鉄道唱歌 北海道編 南の巻第4番 函館市を観光!

まずは原文から!

出船(でぶね)入船(いりふね)ひまもなく
商業貿易北海(ほっかい)の
關門(かんもん)占めたる土地ぞとは
知らるゝ市街の賑(にぎわ)しさ

さらに読みやすく!

出船(でぶね)入船(いりふね)ひまもなく
商業貿易北海(ほっかい)の
関門(かんもん)占めたる土地ぞとは
知らるる市街の賑(にぎわ)しさ

さあ、歌ってみよう!

♪でーぶねいりふね ひまもなくー
♪しょうぎょうぼうえき ほっかいのー
♪かんもんしめたる とちぞとはー
♪しらるるしがいの にぎわしさー

(函館本線)
函館駅→桔梗駅→七飯駅→新函館北斗駅→大沼公園駅→駒ヶ岳駅→森駅→八雲駅→国縫駅→長万部駅→黒松内駅→比羅夫駅→倶知安駅→然別駅→余市駅→蘭島駅→塩谷駅→小樽駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

鉄道唱歌第4番の舞台は、北海道第3の都市にして、道南最大の都市・函館市(はこだてし)です。

日本の歴史において、函館がメジャーな存在になったのは、何といっても1853年のペリー来航にあります。
開国に伴い、1854年に当時の老中・阿部正弘が「日米和親条約」を結び、下田」と「函館」の2港を開港することになりました。なお、下田(静岡県下田市)とは、伊豆半島のほぼ最南端にある街です。

これにより、函館には西洋の人々が多く移住するようになり、現在でも函館山の麓あたりには多くの西洋風の建築物が建っています。
また、現在こそ北海道の玄関口は新千歳空港になっていますが、当時は津軽海峡で船で海を渡っていたので、函館は北海道への入口の町として大きく賑わいました。
歌詞にある「関門占めたる土地ぞとは 知らるる市街の賑しさ」とは、まさにこのことをいうのでしょう。

当時は「函館」ではなく「箱館」という漢字表記になっていたようです。

函館は年間500万人が来訪する国内屈指の観光都市であり(2019年以前。現在は感染症等の影響で減少傾向)、今更私が説明するまでもないほどの観光資源の宝庫です。

函館の代表的な観光地である五稜郭(ごりょうかく)は、巨大な星形とした圧倒的なインパクトを誇ります。これは「稜堡式(りょうほしき)」といって、防御力を高めるために西洋の要塞にヒントを得たものです。
星形をしていると、一方から攻めても横の壁から攻撃されてしまい、城内への侵入が困難になります。つまり、五稜郭を攻めるには全方位から攻める必要があるわけです。これが稜堡式の要塞の強みなわけですね。

五稜郭(函館市)。さまざまな方向からの防御力を高めるため、星形の要塞となっている。

五稜郭がなぜできたのかというと、1854年の日米和親条約によって函館が開港し、多くの外国人が急に街中を行き来するようになったためです。それまで鎖国をしていた日本にとって、急に
街中を外国人が行き来するという見慣れない光景に、幕府が不安に感じて函館の防衛のための要塞が必要だということで造られました(これを「箱館奉行所」といいます)。
また、外国との接触機会が増えたために、単に外国からの侵略から函館を防衛するという意図もあったでしょう。

なぜ幕府がこのような不安を覚えたのかというと、日本は長年に渡って島国かつ単一民族の国(つまり、日本人だけで生活することが当たり前だった国)ですし、しかもそれまで鎖国をしていたわけですから、急に珍しい外国人が街中を歩き回ると不安なわけですよね。ましてや1825年には「異国船打払令」といって、外国船を見たらとにかく打ち払ってしまえ、みたいなことまでやっていたくらいですから、日本人の外国人に対するアレルギーは当時から大きかったわけですね。
例えばアメリカでは「人種のサラダボウル」といって、生まれたときから様々な人種の人々と暮らすのは当たり前であり、外国人との交流は何ら抵抗はないのですが、日本では幼少期から外国人と暮らしてきた経験ある人は少ないでしょうし、また日本は外国人などのマイノリティ(少数派)が受け入れられにくい同調圧力の強い国ですから、これが日本で外国人差別やいじめが生まれやすい原因かもしれません。しかし、近年はダイバーシティ(多様性)の見直しにより、これらは改善傾向にあります(と信じます)。

外国と交わるメリットは、何といっても海外の最新技術を導入できたり、外国人との交流により海外の様々な新しい価値観を得られることにあります。また、日本製の製品がたくさん売れて輸出できれば利益も上がりますし、外貨をたくさん獲得できるメリットもあります。
一方で、外国と交わるデメリットは、価値観の違いにより争いが生まれてしまうことです。日本では当たり前のことであっても、海外では当たり前でない、といったことはよくありますからね。

・・・話を元に戻します。

函館は日本を代表するロックバンド・GLAYの出身地でもあります。

GLAY(グレイ)は、1988年に当時函館の桔梗の高校生だったTAKUROさん(リーダー、ギター)とTERUさん(ボーカル。当初はドラム)を中心に結成されました。
その後上京し、1994年にX JAPANのYOSHIKIさんのプロデュースのもとメジャーデビューしました。
1997年に「HOWEVER」という曲が大ヒットし、当時の国民では知らない人はいないほどの国民的アーティストになりました。
私(筆者)も、現在でも「HOWEVER」「グロリアス」「春を愛する人」といった曲をカラオケで歌います。
「Winter, Again」を歌うときは函館の街並みが頭に浮かんできます。
GLAYの曲は歌うのが非常に難しいですが、それなりに歌いがいもあります。

私はアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」第2期8話・9話で函館が舞台になったのをきっかけに、函館について詳しく知るようになりました。
函館駅、波止場、金森レンガ倉庫、五稜郭タワー、八幡坂、函館山ロープウェイ、ラッキーピエロベイエリア本店、ハセガワストアの焼き鳥弁当など、このアニメでは函館の主要観光地はかなり抑えられてると思うので、函館観光にかなり参考になりました。
Saint Aqours Snowの「Awaken the Power」の曲調が函館夜景、そして八幡坂の景観に見事に調和していると感じます。

函館は、いわゆる新撰組(しんせんぐみ)がその最期を迎えた、いわゆる戊辰戦争最後の戦いである「箱館戦争」が行われた場所です。

かつて江戸幕府の武士たちは、戦わずして自分達の本拠地である江戸を明け渡してしまいました。(江戸の無血開城)。
これでは、武士のプライドはズタボロです。
当然、江戸の無血開城に納得がいかない武士たちは、明治の新政府軍に向かって立ち上がります。その中の旧幕府軍の中の一チームが、新撰組というわけです。新撰組のトップ(局長)は近藤勇(こんどういさみ)、ナンバー2(副長)は、土方歳三(ひじかたとしぞう)という人でした。土方歳三は洋装でありながら刀を腰に据えたイケメンであり、現在でも歴史好き女子(レキジョ)さんから人気の的だそうです。

この新政府軍と旧幕府軍が戦い、旧幕府軍が敗れて明治維新が起こるまでの一連の戦争を戊辰戦争(ぼしんせんそう)といいます。

この戊辰戦争は、京都の鳥羽・伏見(現在の京都駅のやや南)あたりで勃発しました。これが鳥羽伏見の戦いです。
新政府軍は西洋から次々に輸入した近代的な武器を持っていますから、旧幕府軍は次々に敗北し東へ追いやられています。
新撰組局長の近藤勇は、東京(江戸)の板橋で処刑されてしまい、その後土方歳三率いる新撰組はどんどん北へ追いやられていき、新政府軍から逃げる形になっていきます。
北へ追いやられた新撰組は、ついに北の大地・函館に追い詰められます
土方歳三は最後まで善戦して、最後まで新政府軍を苦しめ続けましたが、現在の函館山の麓あたりに味方の応援に向かっている最中、銃弾に撃たれて戦死してしまいました。35歳という若さでした。
土方歳三の死により新撰組も降伏し、これにて戊辰戦争は終了。そして明治の時代に入っていくのです。
武士としてのプライド・矜持(きょうじ)を最後まで貫き、北の大地に追い詰められるまで最後まで戦い続けたイケメン・土方歳三に対して畏敬の念を示す歴史ファンは多いことでしょう。

歴史の話になってばかりになりましたが、函館は食・景観・歴史どれをとっても国内トップクラスに素晴らしい観光地だと思います。

冬の五稜郭
五稜郭タワー
函館の海

次は、函館駅から函館本線に乗り、いよいよJR北海道の鉄道の旅がスタートすることになります。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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