鉄道唱歌 北海道編 南の巻第16番 栄える後志の村々

まずは原文から!

こゝを開きて耕して
作りし村は年々(としどし)に
榮(さか)えて朝夕(あさゆう)立ちまさる 
煙あまねく民(たみ)ゆたか

さらに読みやすく!

ここを開きて 耕して
作りし村は年々(としどし)に
栄えて朝夕(あさゆう)立ちまさる 
煙あまねく民(たみ)ゆたか

さあ、歌ってみよう!

♪こーこをひらきて たがやしてー
♪つくりしむらはー としどしにー
♪さかえてあさゆう たちまさるー
♪けーむりあまねく たみゆたかー

(函館本線)
函館駅→桔梗駅→七飯駅→新函館北斗駅→大沼公園駅→駒ヶ岳駅→森駅→八雲駅→国縫駅→長万部駅→黒松内駅→比羅夫駅→倶知安駅→然別駅→余市駅→蘭島駅→塩谷駅→小樽駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

列車は既に、倶知安駅(くっちゃんえき、北海道虻田郡倶知安町)に達しています。

まずは、歌詞の意訳から確認しましょう。

ここ(倶知安辺り?)を開墾して、畑を耕して、
作られていく村は年を追うごとに栄えてゆき、
汽車は毎朝、毎夕、煙を吐きながら次々に進んでいく。
汽車の煙は広々と広がり、人々で栄える、後志の村々。

冒頭の「ここ」とはどこなのかは察しがつかないのですが、歌詞は前回の倶知安(くっちゃん)から続いていますから、どこか後志(しりべし)地方周辺の町かもしれません。

あまねく」とは「広く」という意味です。
現在でも「広くあまねく皆に伝える」と言ったりしませんかね?

明治時代の1904年に北海道で鉄道が開業してから、この付近の村がどんどん栄えていった様子が描かれています。

倶知安駅付近の車窓(函館本線)

この辺りの町というと、倶知安町のほかに現在の蘭越町(らんこしちょう)、ニセコ町共和町(きょうわちょう)、さらに西海岸沿いの岩内町(いわないちょう)あたりがあると思います。

蘭越駅(北海道磯谷郡蘭越町)

蘭越町(らんこしちょう、北海道磯谷郡)は、倶知安町、ニセコ町のやや西にある後志地方の重要な町です。
年間を通じて雪がとても降る「特別豪雪地帯」に指定されており、冬には雪が2m以上積もります。木とか普通に埋もれてしまいますよね・・・。列車の車窓から眺める、真冬の蘭越町近辺の真っ白な雪景色は別格壮観です!

倶知安駅の1つ小樽方面へ行った駅に、「小沢駅(こざわえき、北海道岩内郡共和町)」があります。

小沢駅(北海道岩内郡共和町)

その昔、小沢駅からは、1985年までは西の海岸沿いにある岩内町(いわないちょう)まで、「岩内線(いわないせん)」という国鉄の路線が出ていたようです。
岩内町(いわないちょう、北海道岩内郡)は、江差町(えさしちょう)、寿都町(すっつちょう)と共に北海道屈指の名ある港町です。

この岩内線は、漁業で採れた大量のお魚や、沿線の鉱山で採れた大量の鉱物を運ぶために、20世紀の中頃にかけて大いに繁盛したようです。
小沢駅から現在の函館本線に乗り入れ、そこから札幌方面か、あるいは函館方面、さらに本州まで運んでいたのでしょう。

しかし、毎回説明しているように、戦後、特に1960年代以降はトラック輸送が主流になり、列車による貨物輸送は衰退してしまいました。
結果、瀬棚線(せたなせん)や寿都鉄道(すっつてつどう)などと同様に、この岩内線も1985年に廃止になったようです。

このように、北海道には、現在多くの廃線跡が残されています。
いつも説明していることですが、まとめると、廃線の原因はおおまかに以下のようなものです。

・かつては漁業や鉱山、炭鉱などで採れた物資を運ぶ貨物路線として栄えた
・しかし、戦後の自動車の普及と自動車網の発達で、貨物列車が使われなくなってきた
・漁業が衰退(人口減少や燃料高騰、跡継ぎがいない問題など)
・鉱山や炭鉱が閉鎖(安価な輸入品への置き換わりや、危険な事故の多発など)

次回も、この付近についての解説です!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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