まずは原文から!
こゝを開きて耕して
作りし村は年々(としどし)に
榮(さか)えて朝夕(あさゆう)立ちまさる
煙あまねく民(たみ)ゆたか
さらに読みやすく!
ここを開きて 耕して
作りし村は年々(としどし)に
栄えて朝夕(あさゆう)立ちまさる
煙あまねく民(たみ)ゆたか
さあ、歌ってみよう!
♪こーこをひらきて たがやしてー
♪つくりしむらはー としどしにー
♪さかえてあさゆう たちまさるー
♪けーむりあまねく たみゆたかー
(函館本線)
函館駅→桔梗駅→七飯駅→新函館北斗駅→大沼公園駅→駒ヶ岳駅→森駅→八雲駅→国縫駅→長万部駅→黒松内駅→比羅夫駅→倶知安駅→然別駅→余市駅→蘭島駅→塩谷駅→小樽駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
列車は既に、倶知安駅(くっちゃんえき、北海道虻田郡倶知安町)に達しています。
まずは、歌詞の意訳から確認しましょう。
「ここ(倶知安辺り?)を開墾して、畑を耕して、
作られていく村は年を追うごとに栄えてゆき、
汽車は毎朝、毎夕、煙を吐きながら次々に進んでいく。
汽車の煙は広々と広がり、人々で栄える、後志の村々。」
冒頭の「ここ」とはどこなのかは察しがつかないのですが、歌詞は前回の倶知安(くっちゃん)から続いていますから、どこか後志(しりべし)地方周辺の町かもしれません。
「あまねく」とは「広く」という意味です。
現在でも「広くあまねく皆に伝える」と言ったりしませんかね?
明治時代の1904年に北海道で鉄道が開業してから、この付近の村がどんどん栄えていった様子が描かれています。
この辺りの町というと、倶知安町のほかに現在の蘭越町(らんこしちょう)、ニセコ町、共和町(きょうわちょう)、さらに西海岸沿いの岩内町(いわないちょう)あたりがあると思います。
蘭越町(らんこしちょう、北海道磯谷郡)は、倶知安町、ニセコ町のやや西にある後志地方の重要な町です。
年間を通じて雪がとても降る「特別豪雪地帯」に指定されており、冬には雪が2m以上積もります。木とか普通に埋もれてしまいますよね・・・。列車の車窓から眺める、真冬の蘭越町近辺の真っ白な雪景色は別格壮観です!
倶知安駅の1つ小樽方面へ行った駅に、「小沢駅(こざわえき、北海道岩内郡共和町)」があります。
その昔、小沢駅からは、1985年までは西の海岸沿いにある岩内町(いわないちょう)まで、「岩内線(いわないせん)」という国鉄の路線が出ていたようです。
岩内町(いわないちょう、北海道岩内郡)は、江差町(えさしちょう)、寿都町(すっつちょう)と共に北海道屈指の名ある港町です。
この岩内線は、漁業で採れた大量のお魚や、沿線の鉱山で採れた大量の鉱物を運ぶために、20世紀の中頃にかけて大いに繁盛したようです。
小沢駅から現在の函館本線に乗り入れ、そこから札幌方面か、あるいは函館方面、さらに本州まで運んでいたのでしょう。
しかし、毎回説明しているように、戦後、特に1960年代以降はトラック輸送が主流になり、列車による貨物輸送は衰退してしまいました。
結果、瀬棚線(せたなせん)や寿都鉄道(すっつてつどう)などと同様に、この岩内線も1985年に廃止になったようです。
このように、北海道には、現在多くの廃線跡が残されています。
いつも説明していることですが、まとめると、廃線の原因はおおまかに以下のようなものです。
・かつては漁業や鉱山、炭鉱などで採れた物資を運ぶ貨物路線として栄えた
・しかし、戦後の自動車の普及と自動車網の発達で、貨物列車が使われなくなってきた
・漁業が衰退(人口減少や燃料高騰、跡継ぎがいない問題など)
・鉱山や炭鉱が閉鎖(安価な輸入品への置き換わりや、危険な事故の多発など)
次回も、この付近についての解説です!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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