鉄道唱歌 北海道編 北の巻第2番 小樽の石炭を運んだ歴史と、手宮線 手宮洞窟の謎の文字も

まずは原文から!

市街は人口八万余(はちまんよ)
商業漁業(しょうぎょうぎょぎょう)繁盛し
それに続ける手宮(てみや)町
崖には奇形の文字(もじ)あり

さらに読みやすく!

市街は人口、八万余(はちまんよ)
商業漁業(しょうぎょうぎょぎょう)繁盛し
それに続ける手宮(てみや)町
崖には奇形の文字(もじ)あり

さあ、歌ってみよう!

♪しがいはじんこう はちまんよー
♪しょうぎょうぎょぎょう はんじょうしー
♪そーれにつづける てみやまちー
♪がけにはきけいの もーじありー

(函館本線)
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→
琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

列車は既に、北海道小樽市(おたるし)の小樽駅(おたるえき)に到着しています。

小樽駅(北海道小樽市)

歌詞によれは、鉄道唱歌の明治時代の当時の小樽市の人口8万人あまりと歌われています。当時の日本の人口は約4,000万人で、今の3分の1の多さでした。なので、現在の人口規模だと約24万人もの人々が小樽市に住んでいたことになります。

現在の小樽市の人口は約12万人ですから、いかに当時が栄えていたかがわかりますね。前回も説明したように、小樽市は「ニシン」という魚や石炭を運ぶための港として、当時の日本の資源を担う重要ポジションの街という位置付けでした。

なお、現在は函館市と同様に小樽市も人口減少に悩まされているようで、それはどうしても「札幌一極集中」という問題に帰結されます。
これは小樽や函館に限らず、北海道各地の高校を卒業した若い人達は、どうしても札幌または東京の大学に進学・就職したりする傾向にあるようなので、致し方ない部分もあるでしょう。
北海道各地のこうした苦しい事情を理解した上で、みんなで北海道を旅行して、北海道を元気したいものですね!

なお、2030年開業予定の北海道新幹線の小樽市駅「新小樽駅」は、在来線の小樽駅から南へ約3~4kmの所に建つようです。かなり不便だという評判が早くもネット上で渦巻いていますが、小樽駅のすぐ裏側は「山」ですし、表側は歴史的建造物商業地、また運河などもあり、新幹線の線路を市街地に通すと歴史的な景観を損なうこともあることから、新小樽駅の立地に関してはかなり苦渋の決断もあったことでしょう。

ここで新小樽駅とは少し関係ない余談にはなってしまいますが、新幹線の線路なるべく直線を多く確保するため、街の中心地に線路を通すと大きなカーブとなってしまう可能性があります。カーブが大きくなると、新幹線はスピードが落ちてしまうため、あまり好ましくありません。そのため、街の中心地から離れた場所に新幹線駅を設置する必要性が出てきます。
また、その他の理由として既に市街地が形成されており、新たに街の中心地に新幹線駅の線路が通せない場合もあります。さらに、観光都市の場合は景観などの問題に配慮して街中に新幹線の線路を通せない場合もあります。
つまり、上記などの理由でA県の県庁所在地駅である在来線「A駅」に新幹線駅を作れない場合、街から少し外れた在来線と交差する地点に新幹線駅を設置し、「新A駅」と言う名称にしたりします。これは「新大阪駅」「新横浜駅」などはこの例に当てはまると思います。

このような様々な事情により、中心駅が街の中心地から離れた場所にあるという事例は全国各地にあります。

話がだいぶ逸れましたが、前回「小樽は北海道の真ん中辺り(幌内など)から採れた大量の石炭を、貨物列車に載せて幌内(ほろない)地方から運んできて、さらに港から(船に載せて)運んでいた街」と説明しました。

なお、幌内(ほろない)地方から小樽にまで至る、いわゆる北海道で最も古い鉄道路線の1つである「官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)」は、現在のJR函館本線の原型にあたります。

実は、小樽市内には小樽港に接続する鉄道線路が敷かれていました。これを「手宮線(てみやせん)」といいます。手宮線は1985年に廃止されましたが、現在でも小樽市内にその線路跡が残され、観光地化されています。

手宮線跡(北海道小樽市)

手宮線(てみやせん)は、現在の南小樽駅から小樽市内を経由して小樽運河に沿って伸び、現在の手宮公園(小樽駅の北東約1.8kmほどの位置)の近くにあった手宮駅(てみやえき)まで伸びていました。わずか約2.8kmという非常に短い路線で、「日本で最も短い路線」という記録を保持していた時期もあったようです。
手宮公園の手前には、現在では博物館や資料館などがある広大なスペースがあり、ここに貨物列車などが停車して大量の荷物を運び出すスペースがあったことは容易に想像できます。

しかし、毎回説明しているように、北海道各地の「かつて大量の石炭を運ぶことで栄えた貨物列車」などの路線は、1960年代以降の炭鉱の衰退石油へのエネルギー転換安い輸入品の台頭などもあって衰退していき、手宮線も1985年に廃止されてしまいました

手宮線跡(北海道小樽市)
手宮線跡(北海道小樽市)

元々あった線路や敷地内は、その後に有効利用されるために買収されたりするものですが、小樽の場合は線路・運河・倉庫ともに三拍子残っており、個人的には全国的にこういったケースは珍しいものと感じています。使わなくなったレンガ倉庫は取り壊されますし、使わなくなった運河は埋め立てられたりするものです。
かつての江戸(東京)や(大阪府)など都市も「水運の街」として多くの運河がありましたが、水運がやがて鉄道輸送トラック輸送に置き換わり、運河はほぼ姿を消してしまいました
しかし、小樽の場合は住民の皆さんの必死の努力もあってか、こうした歴史的建造物が現代にまで残ると見事な景観となり、素晴らしい観光地としての威容となっています。

手宮線跡(北海道小樽市)

なお、手宮公園近くにある「手宮洞窟」には、古代のアイヌ民族が書いたとされる「北海道奇形文字」といった、現在では解読不可能な文字が刻まれています。
まるでアルファベットの「Y」の文字や、「人」のような文字
まるでシャーロック・ホームズの小説に出てくる「踊る人形」のような文字です。

もはや、これが本当にアイヌ人が書いた文字なのか、果たしてそれがそもそも本当に文字なのか、文字ではなくイラストなのか、イタズラもしくは落書きなのか、その真相はタイムマシンでも発明されない限り解明は無理でしょう。学者によっても見解は異なりますし、完全にロマンの世界です。信じるもよし、信じないもよし。それは究極的には、あなたの判断に委ねられます。

世界には他にも「インダス文字」や「ヴォイニッチ手稿」など、今となっては解読不可能な未解読文字がたくさんあります。しかし最近ではAIなどを用いたビッグデータ処理などが進展してきてますので、この北海道奇形文字もいつか本当に解読される日が来るかもしれません。

次は、小樽駅を出て、札幌方面へ向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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