鉄道唱歌 北海道編 北の巻第4番 日本海と石狩平野、そして手稲山の麓を走る

まずは原文から!

海水浴と温泉の
錢函(ぜにばこ)輕川(かるがわ)過ぎ行けば 
右には手稻(ていね)の山高く
左に石狩(いしかり)原(はら)廣し

もう少し読みやすく!

海水浴と温泉の
銭函(ぜにばこ)軽川(かるがわ)過ぎ行けば 
右には手稲(ていね)の山高く
左に石狩(いしかり)原(はら)広し

さあ、歌ってみよう!

♪かいすいよーくと おんせんのー
♪ぜにばこかるがわ すぎゆけばー
♪みぎにはていねの やまたかくー
♪ひだりにいしかり はらはろしー

(函館本線)
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→
琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

今回は、小樽を出発してひたすら日本海沿いを走り、札幌へ向かっている途中の道中になります。

左側はそれまで日本海の景色が続き、徐々に石狩平野の遙か北へ続く長大な海岸線が姿を現します。ずっと北へ行くと増毛(ましけ)方面へ至り、さらに北へいくと北緯45度線を過ぎ、稚内(わっかない)へと至るわけです。

窓の左側にずっと日本海沿いを走るとやがてその海の景色も終わり、銭函駅(ぜにばこえき)に入ってきます。

銭函駅(ぜにばこえき、北海道小樽市)は、石狩平野の最も左上に存在している駅で、逆にいえば銭函駅を過ぎると、広大な石狩平野に突入していくことになります。

石狩平野(いしかりへいや)は、関東平野・十勝平野に続いて、日本で3番目に大きな平野になります。北海道最大の都市である札幌市も、石狩平野にあります。

昔は農業や交通などで人々が往来して栄えるのに、山地や勾配は避けられ嫌われ、農業をやったり道路を敷いたりするのに平地が重宝さていたことと思います。
石狩平野のような広大な平地は昔の人にとって農業や交通の要所として非常に貴重なものだったと思います。ましてや、明治時代以降の北海道開拓においては、北海道に広大な文明を築き諸外国からの侵攻に備える必要がありましたから、農業地帯を発展させ力強い文明を築くために、石狩平野は北海道発展の中心地としてかなり都合のよい場所だったことでしょう。

そして、窓の右側には手稲山が聳えることになります。
手稲山(ていねやま、標高1023m)は、札幌駅の西約10kmほどの位置にある山で、北海道における有数のスキーの名所だそうです。

歌詞に出てくる「軽川駅(かるがわえき)」というのは、現在の「手稲駅(ていねえき、北海道札幌市)」のことです。
手稲駅(ていねえき)は、札幌市手稲区の中心駅で、開業当初は「軽川駅(かるがわえき)」という名称でしたが、1952年に現在の駅名になりました。

また、銭函駅と手稲駅の間には、平仮名の駅名である「ほしみ駅(北海道札幌市)」があります。私はこの平仮名の珍しい駅名に大きなインパクトがありました。
銭函駅を過ぎ、ほしみ駅を過ぎた段階で小樽市ではなくなり、ここからは札幌市に入ります

ほしみ駅の由来は、駅近辺に星置川(ほしおきがわ)という名前の川が流れており、この星置川にかかる橋が「星観橋(ほしみばし)」であることと、この地域(手稲区星置)の地名のイメージからつけられたそうです。

ほしみ駅は札幌市最西端の駅。逆にいえば、ほしみ駅を過ぎれば小樽市を抜けて札幌市に入った、と思うようにすればよいでしょう。

銭函駅を過ぎると、先ほども述べたように徐々に海岸線と離れていき、歌詞に「左に石狩原広し」とあるように、窓の左側には広大な石狩平野の気色が広がることになります(ただし、現在は建物も多く鉄道唱歌の頃の景色とは異なっているようです)。

そして、ほしみ駅・手稲駅・発寒駅(はっさむえき)などの駅を次々に札幌方面へ進んでいき、琴似駅(ことにえき)も過ぎると、札幌へはもうすぐです。

次は、いよいよ札幌に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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