鉄道唱歌 北海道編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
鉄道旅行を楽しむためのノウハウを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
眞直に行けば幾春別
幌内太と幌内と
三炭山のありどころ
さらに読みやすく!
真っ直ぐに行けば 幾春別
幌内太と 幌内と
三炭山の ありどころ
さあ、歌ってみよう!
♪まっすぐにゆけば いくしゅんべつ
♪ほろないぶーとと ほろないとー
♪さんたんざんのー ありどころー
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅
(幌内線/1987年廃止)
岩見沢駅→三笠駅(→幌内駅(貨物支線))→幾春別駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示
「幌向原野(ほろむいげんや)」とは?
歌詞にある「幌向原野(ほろむいげんや)」とは、
- 幌向駅(ほろむいえき、北海道岩見沢市)
を過ぎた辺りから、岩見沢市周辺に広がる平野のことではないかと思います。
当時はまだ開拓間もない頃で「原野」だった?
歌詞では「原野(げんや)」と呼ばれているくらいですから、もしかしたら当時はまだ開拓間もない頃で、手つかずの土地も多かったのかもしれません。
しかし、現在は立派にインフラも整い、岩見沢市をはじめとする空知(そらち)地方の重要な地域です。
岩見沢駅に到着
やがて、
- 岩見沢駅(いわみざわえき、北海道岩見沢市)
に到着します。

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

岩見沢駅(北海道岩見沢市)
札幌市のベッドタウン・岩見沢市
北海道岩見沢市(いわみざわし)は、札幌駅から
- 特急列車で約25分
- 普通列車で約40~50分ほど
で来られる、札幌市のベッドタウンとしても発展している都市です。
かつては後述するように、炭鉱から掘り出した石炭を運ぶための拠点として発展した街です。
アイヌ語に由来しない地名・岩見沢
また、旭川市などと同様に、北海道では珍しくアイヌ語に由来しない地名です。
「岩見沢」の由来
明治時代、近くの幌内(ほろない)における炭鉱の道路工事をしていた人たちのために、
- 幾春別川(いくしゅんべつがわ)
のそばに、浴場(お風呂場)が設けらたのでした。
その作業員たちが、ここでお風呂に入ってをして休憩したことから、
と呼ばれたのが始まりです。
「沢」とは、「川」という意味です。
また、「お湯を浴びること」を「湯浴み(ゆあみ)」といいます。
ここから、
↓
「湯浴み沢(ゆあみざわ)」
↓
「岩見沢(いわみざわ)」
に変化していったと考えられています。
北海道のアイヌ語に由来しない地名一覧
アイヌ語に由来しない地名一覧です。
- 函館市:かつて函館山に存在した「ウスケシ館」が、まるで箱のような形だったから。
- 北広島市:広島県の人々が明治時代に移住してきたから。
- 伊達市:東北の伊達氏が、明治時代に北海道に移住してきたから。北海道は、移住者・開拓者の名前や出身地に由来する地名も多い。
- 北見市:北のオホーツク海を、広く見わたせる土地だったから(※当時、ロシアの動きを警戒するために重要だった)。
- 北斗市:2006年の合併のとき、一般公募により決定。
- 千歳市:千歳川にいたツルから、縁起のよい「ツルは千年 亀は万年」という言葉にちなんで。
- 大空町:女満別空港にちなんで。
かつて、沢山の石炭を運んだ官営幌内鉄道
北海道にはかつて、沢山の炭鉱がありました。
特に、
- 北海道の真ん中あたりで採れた大量の石炭を小樽まで運び、
- そこから海を経由して本州など、各地へ運ぶ
という必要がありました。
この鉄道路線を
- 「官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)」
といいます。
幾春別・幌内太・幌内の炭鉱
その主たる炭鉱が、歌詞にある
- 「幾春別(いくしゅんべつ)」
- 「幌内太(ほろないぶと)」
- 「幌内(ほろない)」
という、3つの炭鉱でした。
明治時代、なぜ大量の石炭が必要だったのか?
なぜ大量の石炭が必要だったかというと、明治時代当時は石炭が主要エネルギーだったからです。
現代では電気・石油・ガソリンなどが主力エネルギーであり、これらがないと我々の生活は成り立ちません。
しかし、当時は石炭が主力エネルギーでした。
石炭は何を動かすにも必要なエネルギーだった
何を動かすにも石炭が必要だったため、石炭が採れる鉱山を切り開き、それらを運ぶ貨物列車が必要でした。
それが、現在は廃線となった、
- 幌内線(ほろないせん。1987年廃止)というわけです。
幌内線は、現在の岩見沢駅からやや北東に向かって現在の三笠市にある
- 幾春別町(いくしゅんべつちょう)
まで延びていました。
高度経済成長期以降、炭鉱は衰退
しかし戦後、特に1960年代の高度経済成長期以降、主力エネルギーがどんどん石油に変わってゆきました。
また、
- 安い輸入品の台頭で、北海道で採れた大半の石炭は売れないものとなっていった
- 炭鉱で数多く発生した事故も問題化していった
ことなどにより、次々に炭鉱は閉鎖していきました。
幌内線も同じような運命を辿り、炭鉱が閉鎖していくと運ぶ石炭もなくなりました。
また、そこに住んでいた人も新たな職を求めてその町からいなくなってしまうため、沿線の利用客も激減してしまいました。
そのため、幌内線は1987年に廃止となりました。
文明の発展にも、石炭は必要だった
話を元に戻しますが、明治時代になると北海道の開拓と同時に
という機運が高まり、特に歌詞にある幾春別、幌内太、幌内で採れた大量の石炭は文明の発展や軍事力の強化のために必要だったわけです。
官営幌内鉄道を経由して、小樽まで運ばれていった
貨物列車に大量に積まれた石炭は、
- 幌内線を経由し、
- 一旦岩見沢駅を経由して、
- 現在の函館本線を経由して小樽まで運ばれ、
- さらに小樽から海上輸送で本州など各地に運ばれていく
ことになりました。
「北海道最初の鉄道路線」
当時これらの貨物路線は先述のように
- 「官営幌内鉄道」
と呼ばれました。
官営というくらいですから、当時の明治政府が国力強化のために国を挙げて作った鉄道というわけですね。
そして国鉄時代を経て、現在のJR函館本線となるわけです。
そしてこの官営幌内鉄道は、北海道で最初に出来た鉄道路線ということで、現在の小樽にある手宮線跡にも
- 「北海道最初の鉄道路線」
という風に紹介されていると思います。
炭鉱とともに発展してきた岩見沢

岩見沢駅(北海道岩見沢市)
岩見沢駅は、この官営幌内鉄道の通過点に位置する駅です。
当然ながら岩見沢市はかつてより炭鉱に従事する人達の交通拠点として賑わい、発展してきたわけです。
次回は、峰延・美唄へ
次は、
- 峰延駅(みねのぶえき)
- 美唄駅(びばいえき)
に止まります!
コメント