鉄道唱歌 北海道編 北の巻第14番 再び室蘭本線に戻り、夕張行きの乗換場へ

まずは原文から!

再びもどる室蘭線(むろらんせん)
栗山(くりやま)由仁(ゆに)の農場を 
過ぐれば來(きた)る追分(おいわけ)の 
夕張(ゆうばり)行の乘替場(のりかえば)

さらに読みやすく!

再びもどる室蘭線(むろらんせん)
栗山(くりやま)由仁(ゆに)の農場を 
過ぐれば来たる追分(おいわけ)の 
夕張(ゆうばり)行の乗換場(のりかえば)

さあ、歌ってみよう!

♪ふたたびもーどる むろらんせん
♪くりやまゆにのー のうじょうを
♪すぐればきーたる おいわけのー
♪ゆうばりゆきのー のりかえばー

(室蘭本線)
岩見沢駅→栗山駅→由仁駅→追分駅→早来駅→沼ノ端駅→苫小牧駅→白老駅→登別駅→幌別駅→東室蘭駅→輪西駅→室蘭駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

鉄道唱歌 北海道編では、旭川駅(あさひかわえき)まで行くと再び岩見沢駅(いわみざわえき)まで戻り、岩見沢駅からは函館本線ではなく室蘭本線に乗り、夕張(ゆうばり)に寄り道した後、千歳(ちとせ)・苫小牧(とまこまい)・白老(しらおい)・登別(のぼりべつ)などを経由し、終着の室蘭(むろらん)を目指すというストーリーになります。

室蘭本線(むろらんほんせん)は1892年に開通した鉄道路線で、鉄道唱歌が出来た当時(1906年)は岩見沢駅から室蘭駅までを結ぶ路線でした。終点の室蘭駅から先は、船で青森まで向かっていたものと思われます。

室蘭本線は1892年の開業以降、石炭を運ぶための路線として重要な役割を担ってきました。
かつて北海道の真ん中辺りにある空知地方(そらちちほう)の幌内炭鉱(ほろないたんこう)から掘り出した大量の石炭を、貨物列車に載せて運ぶ必要があったことは、これまで何度も説明してきました。
現在の函館本線の前身にあたる「官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)」が1880年からできてからは、幌内炭鉱などで採れた大量の石炭を小樽まで運び、そこから本州方面へ船で運んでいたわけです。
室蘭港も小樽港と同じく本州方面へ物資を運ぶ重要な港でしたが、石炭を運ぶルートは当初は小樽だったため、室蘭は一時的に衰退した時期もあったようです。
しかし、1892年に室蘭駅~岩見沢駅間の「室蘭本線」が開業してからは、室蘭港からも本州方面へ石炭を運ぶことが可能になり、室蘭は炭鉱を運ぶ街として栄えることになったようです。

岩見沢駅から室蘭本線に乗ると函館本線と分岐し、千歳・苫小牧方面に向かって南下します。
この地域は夕張山地の西側の麓の平野を走るイメージで、主な自治体に栗山町(くりやまちょう、北海道夕張郡)、由仁町(ゆにちょう、北海道夕張郡)、南幌(なんぽろちょう、北海道空知郡)、長沼(ながぬまちょう、北海道夕張郡)があります。

この地域の歴史はあまり資料がなくはっきりしたことはわからないのですが、鉄道唱歌の歌詞から察するに農場が栄えていた場所だということは想像できます。
実際、この地域は夕張川の流域ですし、また石狩平野の一部ということもあり、平地がとてもよく確保できるため、農場を営むための土地確保には困らなかったでしょう。また、夕張川から農業に必要な用水を確保したり(灌漑)、近隣に住む人の飲料水や生活用水(上水としての用途)としても活用され農村が発展しやすい地理事情であったことは想像できます。さらに、夕張川はやがて江別市(えべつし)付近で石狩川(いしかりがわ)に合流しますから(石狩川は江別市西で豊平川へも分岐)、これら水運を使って札幌方面へ農作物を輸送する、といったことも行われていたかもしれません。江別市まで船で農作物を運べば、あとら貨物列車に乗せて札幌・小樽方面、さらにそこから船に乗せて本州まで運ぶこともできたでしょう。

これまで何度も説明してきたように、まだ貨物列車や長距離トラックがなかった時代は、船に大量の荷物を乗せて運ぶ水運は重要なものでした。また、昔は現代のような上水道のインフラが発達してませんでしたから、川の水は飲料水や生活用水に欠かせませんでした。さらに、農業をやるには平地は重要ですから、平地を確保しやすいこの地域は農業に適した場所だったことでしょう。夕張川の周辺であり、石狩平野の東端にあたるこの地域は、そういった事情や経緯から農業が栄えたのかもしれません。現在でもこの地域は農業が盛んだそうです。

栗山駅(くりやまえき、北海道夕張郡栗山町)、由仁駅(ゆにえき、北海道夕張郡由仁町)を過ぎるとやがて追分駅(おいわけえき、北海道勇払郡安平町)に到着します。

栗山駅(北海道夕張郡栗山町)
由仁駅(北海道夕張郡由仁町)
歌詞にある「栗山由仁の農場」のイメージ(室蘭本線)
夕張川(室蘭本線)
追分駅(北海道勇払郡安平町)

追分(おいわけ)という地名は北海道だけだなく全国的によくある地名で、簡単にいえば「分かれ道」「分岐点」などの意味合いを持たせた地名です。

ここ北海道の追分駅は、室蘭本線と夕張行きの線路(現在の石勝線(せきしょうせん))との分かれ道です。

また、秋田県追分駅も、奥羽本線と男鹿線(おがせん)との分かれ道になっています。
男鹿といえば、ナマハゲで有名な場所ですね。

長野県軽井沢町にある追分(追分宿があった場所)も、長野市方面へ向かう「北国街道(ほっこくかいどう)」と、塩尻市方面へ向かう「中山道(なかせんどう)」の分かれ道です。

鉄道唱歌ではここ(追分駅)から寄り道をして現在の石勝線に乗り換え、夕張方面へ向かうことになります。

追分駅は、夕張から石炭を運んでくる貨物列車と、幌内岩見沢から石炭運んでくる貨物列車の合流点でした。そして鉄道関係の設備がたくさん置かれていたので、そこで働く人も多くいました。そのため、追分駅周辺は鉄道の町として発展し、現在でもその時に使われていた鉄道関係の広大なスペースが残っています。

次は石勝線に入り、新夕張駅(旧 紅葉山駅)に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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