鉄道唱歌 北海道編 北の巻第18番 苫小牧、ウトナイ湖、そして白老のアイヌ民族の町

まずは原文から!

白鳥(はくちょう)おるゝ沼の端(ぬまのはた)
鰯(いわし)の取るゝ苫小牧(とまこまい)
降り積む雪の白老(しらおい)は
アイヌの人々暮らす町

※注! 
後述しますが、本来の原文は、現代の人権的観点からすると差別用語と誤解される表現を含むため、やむを得ず一部改変しております。事情を何卒察していただき、ご賢察願います。詳しくは後述します。

さらに読みやすく!

白鳥(はくちょう)おるる 沼の端(ぬまのはた)
鰯(いわし)の取るる 苫小牧(とまこまい)
降り積む雪の白老(しらおい)は 
アイヌの人々暮らす町

さあ、歌ってみよう!

♪はくちょうおーるる ぬまのはたー
♪いわしのとるるー とまこまいー
♪ふりつむゆーきの しらおいはー
♪アイヌのひとびと くらすまちー

(室蘭本線)
岩見沢駅→栗山駅→由仁駅→追分駅→早来駅→沼ノ端駅→苫小牧駅→白老駅→登別駅→幌別駅→東室蘭駅→輪西駅→室蘭駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

千歳方面から苫小牧方面へ南下すると、沼ノ端駅へ

早来駅(はやきたえき)を南下すると、現在では千歳線との分岐点となる沼ノ端駅(ぬまのはたえき、北海道苫小牧市)に到着します。
札幌方面から千歳線を経由して苫小牧へ向かう場合、千歳線は基本的に沼ノ端駅までなのですが、原則してそのまま室蘭本線経由で1つ先の苫小牧駅まで向かいます。

沼ノ端駅(ぬまのはたえき)の駅名についてですが、歌詞には「白鳥おるる(白鳥が降りてくる)」とありますよね。また、駅名からして「沼のそば」ですから、どこの沼に白鳥が降りてきたのかが気になります。
鉄道唱歌が出来た当時(1906年)と現在の地形は若干変わっているところもあるでしょうし、当時は飲み水や生活用水、田畑の用水として貴重だった沼や池も、時代とともにダムや上水道、浄水場などのインフラが出来てからは用済みとなってしまい、現在では埋め立てられてしまって沼や池などは存在しないかもしれません。

渡り鳥たちの憩いの場、ウトナイ湖

この近辺の大きな湖、それはなんといっても「ウトナイ湖」です。

ウトナイ湖は、苫小牧駅から東へ約10km、沼ノ端駅から東へ約2kmほどの位置にある大きな湖です。ウトナイ湖は「淡水湖」に分類されます。

淡水湖(たんすいこ)というのは、要は真水(に近い水)で出来た湖のことです。一方、海水など塩分を含む(塩分濃度が高い)湖のことを「塩湖(えんこ)、塩水湖(えんすいこ)」といいます。さらに、海水と真水が混じったハイブリッドな湖を「汽水湖(きすいこ)」といいます。汽水湖の代表格は、静岡県浜松市、湖西市の「浜名湖(はまなこ)」です。浜名湖は、元々は本当の湖だったのですが過去に地震で海と湖が繋がってしまい、海水と淡水(真水)が混じる湖となりました。

ウトナイ湖は、渡り鳥の生活の拠点となっています。渡り鳥とは、例えば夏になったら北海道などの涼しい土地へゆき、秋を過ぎたら暖かい南の方へ飛んでいく鳥です。渡り鳥がなぜ夏になると北へ来るのかは、エサの確保のためといわれています。しかし、寒くなるとエサとなる昆虫がいなくなってしまうので、南へ飛んでいってしまうようです。

ウトナイ湖は、そんな渡り鳥たちの休憩所、簡易な生活の拠点、移動の中継点のような憩いの場所となっています。ウトナイ湖には豊富な水分や栄養分があるので、渡り鳥たちにとっては居心地がいいんですね。

「ラムサール条約」とは?渡り鳥たちを守るため、自然を守る約束

また、ウトナイ湖は渡り鳥のための自然を確保するために、「ラムサール条約」での保護対象に指定されています。

ラムサール条約とは、簡単にいえば湖や湿地などの環境を守り、鳥類たちを守ることを目的とした条約です。
ハクチョウなどの水鳥は、こうした湖における食物連鎖のトップとされています。これは逆にいえば、こうした鳥類などが人間による環境破壊などで絶滅すれば、鳥類がエサとしている虫が大量に繁殖してしまい、また鳥類がエサとしている植物が野放しになって草ボーボーになります。草ボーボー状態は、景観を乱すだけでなく、周りの元々あった植物から地面の栄養分を奪うなど、大変なことになります。このように、鳥類が絶滅すると生態系を乱して、また食物連鎖が立たれて環境が破壊されてしまいます。
なので、ハクチョウなどこうした鳥類を守るために、ウトナイ湖のような水鳥が生活しやすい環境を破壊してはなりません。こうした生態系を維持するための条約が、ラムサール条約というわけです。逆にいえば、ラムサール条約に指定された湖や湿地が破壊されると、そこにいた鳥類の絶滅に繋がり、そこからとんでもない環境破壊に繋がるなど、それだけ重要な湖や湿地ということになります。

沼ノ端駅から西へ進む やがて苫小牧駅へ

鉄道唱歌の話題に戻ります。
沼ノ端駅を過ぎると、一気に東西に長い平野に出てきます。苫小牧駅(とまこまいえき、北海道苫小牧市)に近づくにつれ、窓の景色は多くの工場や倉庫など景色の様相を呈してきます。やがて、列車は苫小牧駅に着きます。

苫小牧駅(北海道苫小牧市)
苫小牧駅(北海道苫小牧市)

北海道苫小牧市(とまこまいし)は、北海道南の海岸の重要な工業都市です。
苫小牧市の景観で、何といってもインパクト大なのが、王子製紙(おうじせいし)苫小牧工場の巨大な煙突群です。
元々、苫小牧は木材が豊富にある場所でした。また、北にある支笏湖(しこつこ)からの水の原料も豊富にあります。紙は木を原料として作られますから、王子製紙がここへ進出して、紙製品の製造の拠点の一つとなったわけです。

苫小牧の製紙業と、かつて渋沢栄一が東京・王子に作った「王子製紙」

なお、王子製紙の歴史は、1873年に渋沢栄一(しぶさわ えいいち)という偉大な方が、東京都北区の王子(おうじ)に作った「抄子会社(しょうしがいしゃ)」という会社が原型です。
渋沢栄一さんは、当時日本の経済の発展にはお金が必要と考え、そしてたくさんの紙幣を印刷するために大量の紙が必要だと考えました。そして、紙の製造や原料の調達などに適したとされる王子が工場に選ばれました。そして、その後1910年に王子製紙は北海道の支笏湖周辺の大量の水資源や木材資源に着目し、苫小牧に進出することになったのです。1910年のことでした。
また、当時王子製紙とライバル関係にあり、後に合併される静岡県富士市の富士製紙(ふじせいし)も、王子製紙に対抗して北海道釧路市(くしろし)に進出しています。釧路市に新富士駅(しんふじえき)という、静岡県富士市の東海道新幹線新富士駅と同名の名前の駅があるのは、その名残です。

苫小牧には、たくさんの倉庫がある 海の荷物を保管する拠点

また、苫小牧市は太平洋に面しており、札幌方面にも比較的近いですから、貨物を運ぶための港街として非常に重要な位置づけにあります。
船から積み出されてきた荷物、またはこれから船に載せる荷物は一時的に倉庫に保管してほく必要があります。苫小牧では大量の貨物を扱いますから、倉庫がたくさん存在するわけです。
これは小樽運河にもたくさん倉庫があったのと似ていますね。

苫小牧駅を西に進み、白老駅へ アイヌ民族の拠点の地

苫小牧駅を出発して西へ西へ行くと、東西に長い平野をいつしか過ぎ、北海道の南の海岸線をひたすら西へいくことになります。このとき、窓の右側の景色には樽前山が登場します。この辺りは、北海道でも比較的温暖な地域になります。そして、間もなく白老駅(しらおいえき、北海道白老郡白老町)に到着します。

白老駅(北海道白老郡白老町)

白老町(しらおいちょう)は、アイヌ民族の生活様式や文化の象徴の町として知られており、駅前には民族共生象徴空間(ウポポイ)とよばれる観光施設があります。
ウホポイでは、アイヌ民族の独特の文化や生活に触れることができます。アイヌ民族の居住となる住み家(チセ)などをはじめ、アイヌ語を少し学べたり、ポロト湖の壮大な景観があります。
私が行ったときは、あまりにもボリュームに驚き、展示物を全部楽しみ勉強するには丸一日かかると思いました。

ポトロ湖(白老町・民族象徴共生空間)

時代とともに忘れ去られてゆくアイヌ文化と、その存続のための努力

アイヌ民族の伝統や文化は、残念なことに時代とともに忘れ去られていく傾向にあります。今やアイヌ語がわかる人はほとんどいなくなっていますし、アイヌ文化について正しく理解出来ている人も時代とともに減っていくでしょう。少しでも後世の人に伝えていく努力をしないと、こうした伝統や文化は風化していきます。アイヌ文化は、北海道(蝦夷地)の歴史や伝統の長年の象徴であり、決して忘れ去られるようなことがあってはなりません
アイヌ文化の礎となった白老町は、こうしたアイヌ文化伝承についての取り組みが日々行われていることと思います。

歌詞原文の4行目には、現代では差別用語とも取られる用語が

なお、冒頭でも少し触れましたが、本来の鉄道唱歌の原文に詳しい人なら既にお気付きと思いますが、歌詞の4行目をやむを得ず一部改変させて頂いております。理由は、原文は現代の人権意識・人権的価値観からすると差別的と思われる用語を含んでいるためです。
実際、現代では、歌い手によっては人権的観点から歌詞のこの部分だけを改変して歌っている例や、あるいはこの南の巻18番自体をカットして歌っている例もあるようです。

元々の原文にある用語は、あくまで「その土地に住んでいた人々」「人々が暮らす町、集落区分」といったニュアンスの言葉であるため、本来であれば差別的な要素を含む用語ではありません。少なくとも、鉄道唱歌が作られた明治時代の1906年ではそのような差別的な意味では使われてなかったでしょう。原文はあくまで「白老はアイヌの人々が暮らしている町」という意味で述べられているに過ぎず、作詞者の大和田建樹さん(1857年生まれ・1910年没)もそのような差別的な意図で作詞をしたわけではないでしょう。しかし、近年や現代においてはこうした用語はどちらかというと差別的・侮蔑的なニュアンスや文脈で使用されることも多いため、何かと誤解を招きやすい表現です。大和田建樹さんも、もし彼が現代において作詞をされると想定した場合には、原文にあるような誤解を招きやすい表現を用いることはきっと避けられるだろうと考えております。

元々この記事を書く際に、作詞者の大和田建樹さんの意思を尊重して原文ママで載せるつもりでしたが、近年では人権意識の高まりやインターネットやSNSでの誹謗中傷やヘイトスピーチ、差別用語や放送禁止用語の規制が厳しくなっており、敢えてそのまま載せると何らかの規制やアルゴリズム等に引っかかる可能性を鑑みて、悩んだ結果やむを得ず歌詞の4行目を改変して載せるという決断に至りました。どうか事情を察していただき、ご賢察のほどよろしくお願い致します。

近年ではアイヌ民族に対する人権意識も厳しくなっていますし、私自身もアイヌ民族に対する差別はあってはならないと考えているため、繰り返しになりますが何卒事情を察していただき、ご賢察のほどよろしくお願い致します。

鉄道唱歌は明治時代(1906年)に作られた曲であり、また作詞者の大和田建樹さんがアイヌ民族に対する差別意識を助長する目的や意図は無かったことをご理解いただければ幸いです。

昔は差別用語ではなかったけど、現代では差別用語と取られる言葉も出てきている

「昔は差別用語ではなかったけど、現在では差別用語である」といった用語はたくさんあります。昔のドラマや小説とかでも、「現代でこれ放送したらヤバいよな?」というのは一部ありますよね。その一方で、「何でもかんでも差別用語にして、そんなの言葉狩りだろ!表現の自由はどうなるんだ!」という意見もあり、過剰な人権保護によって当事者達を甘やかし、その人が本来果たすべき努力や義務を怠ったりするような逆差別に繋がらないように(無いとは信じますが)留意する必要があります。このように、人権問題は双方のバランスをうまく取らないと「あちらを立てればこちらが立たず」といった問題になりやすく、さらにそこから論争が生まれるなど、こうした問題は難しいですよね。

アイヌ民族と日本人の、複雑な争いの歴史 お互いが理解し、共存・共生していくために

歴史上、アイヌ民族と大和民族(日本人)は、その文化の違い、環境の違い、価値観の違いから様々なすれ違いを起こしてきました。
まず、アイヌ語と日本語はまったく関連性のない別物の言葉です。しかし、明治時代は北海道も日本の一部として欧米列強に立ち向かう必要から、アイヌの人々はアイヌ語を捨てて日本語で教育を受けざるを得ませんでした。また、アイヌ民族はどちらかというと農耕よりも「漁(魚釣り)」が得意な民族であり、日本人のように農耕が得意な民族ではなかったと思います。しかし、定住と安定した財政を目指すには、漁や猟よりも農耕を定着させたほうが国家として発展するため、日本人としては北海道でも農耕を推し進めたかったでしょう。しかしアイヌ民族は、これに馴染むことができません。そこでも価値観や文化の違いから、いざこざが起こります。

いかなる場合も、差別や偏見というものは、「相手のことをよく知らないこと」から始まります。障がい、病気、外国人、民族、性別、出身地など本人の責めに帰さない事項について、相手についての知識や理解がなければ、あらぬ偏見や一方的な誤解が生まれます。現在ではインターネットで検索して簡単に相手のことを知り、勉強することができますから、相手の価値観や育ってきた環境、文化を理解し、差別のない社会を作りたいものですよね。

白老駅を出て、線路を西に進めると、あの有名な登別温泉のある登別駅(のぼりべつえき)に到着します。

次は、登別に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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