鉄道唱歌 奥州・磐城編 第5番 蓮田・久喜・栗橋の埼玉県北部を北上する

鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
蓮田・久喜・栗橋の地理などを、やさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

中山道なかせんどうと打ちわかれ
ゆくや蓮田はすだの花ざかり
久喜くき栗橋くりはしの橋かけて
わたるはこれぞ利根とねの川

さらに読みやすく!

中山道なかせんどうと 打ちわかれ
ゆくや蓮田はすだの 花ざかり
久喜くき栗橋くりはしの 橋かけて
わたるはこれぞ 利根とねの川

さあ、歌ってみよう!

♪なかせんどーうと うちわかれー
♪ゆーくやはすだの はなざかりー
♪くきくりはーしの はしかけてー
♪わたるはこれぞー とねのかわー
(東北本線)
上野駅→王子駅→赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→蓮田駅→久喜駅→栗橋駅→(利根川)→古河駅→間々田駅→小山駅→小金井駅→石橋駅→雀宮駅→宇都宮駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

大宮を出て、蓮田・久喜・栗橋方面へ

大宮駅を過ぎると、北西へ進む中山道なかせんどうと並行する高崎線たかさきせんと分かれて、北東へ進みます。
厳密には東北本線の区間にはなりますが、現在では宇都宮線うつのみやせんの愛称で呼ばれる区間です。

すると、

  • 蓮田駅はすだえき(埼玉県蓮田市)
  • 久喜駅くきえき(埼玉県久喜市)
  • 栗橋駅くりはしえき(埼玉県久喜市)

を過ぎて、日本一の流域面積を持つことで有名な利根川とねがわを渡るまでの行程になります。

中山道と分かれて、北上してゆく

それでは、各行程についてわかりやすく解説していきます。

中山道とは?

中山道なかせんどうとは、江戸時代に人々京都まで旅するときに「徒歩」または「馬」で向かっていた道路の一つです。

多くの人は「徒歩」で向かうために、何日も何日もかけて宿場町に泊まりながら、時にはきついく険しい峠を越えながら向かっていったわけです。
途中には69の宿場町があったため、「中山道六十九次なかせんどつろくじゅうきゅうつぎ」と呼ばれたりもします。

東北本線は、かつての「奥州街道」・「日光街道」とは必ずしも並行していません。

東京~大宮間はむしろ中山道と並行しています。

そして、歌詞にあるように大宮から北は、中山道と分岐していくわけです。

中山道のルート 江戸から京都へと至る道

中山道なかせんどうは、東海道と同じように東京の日本橋にほんばしをスタート地点とし、最初の宿場町は板橋いたばしになります。
やがて荒川を渡り、

  • わらび
  • 浦和うらわ
  • 大宮おおみや

と進んでゆきます。
ここまでは、現在の東北本線とほぼ並行した形になります。

大宮から北西へ分岐した中山道は、高崎線と並行して、

  • 上尾あげお
  • 桶川おけがわ
  • 鴻巣こうのす
  • 熊谷くまがや
  • 新町しんまち

と過ぎて、群馬県の高崎たかさきへ至ります。

高崎から先の中山道ルートは、現在の信越本線しんえつほんせんと平行して西へ向かいます。そして、

  • 安中あんなか
  • 松井田まついだ

へと至り、群馬県と長野県の県境をなす、中山道の難所の1つであった碓氷峠うすいとうげを越えます。

碓氷峠を越えると長野県に入り軽井沢かるいざわに至ります。

軽井沢からは諏訪湖すわこ方面へ向かうのですが、ここも中山道きっての難所である和田峠わだとうげを超え、諏訪湖すわこのある地域に出てきます。

その後、塩尻しおじりからは現在の中央西線ちゅうおうさいせんと並行して、

  • 奈良井ならい
  • 木曽福島きそふくしま

木曽路きそじを超え、岐阜県の中津川なかつがわに出てきます。

中津川から先は、

  • 恵那えな
  • 瑞浪みずなみ

から北上して美濃太田みのおおたへ至ります。

そこから西へ、

  • 大垣おおがき
  • 垂井たるい
  • 関ヶ原せきがはら
  • 醒ヶ井さめがい
  • 米原まいばら
  • 彦根ひこね
  • 草津くさつ

と現在の東海道線にほぼ沿ったルートをいきます(この地域は、どちらかというと近江鉄道の線路に並行)。

草津からは、東海道(鉄道の東海道線ではない)と合流し、京都の三条大橋中山道のゴールとなります。

中山道の旅については、鉄道系YouTuberのスーツさんが2021年5月に行った「自転車で行く中山道の旅」シリーズがとても勉強になります。
スーツさんが中山道きっての難所である碓氷峠や和田峠を越えるシーンはあまりにも過酷かつ壮絶極まりないものであり、このシリーズを作る際にスーツさんは相当な苦労と努力をされたことと思います。
YouTubeで「スーツ 中山道」で検索したら一発で出てきますので、合計16本の動画がありとても勉強になりますので、是非ともご覧になられることをお勧めします。

蓮田・白岡を過ぎ行く 「アマリリス」と「花盛り」

中山道の説明にかなりスペースを割いてしまいましたが、中山道(高崎線)と分かれた東北本線は、

  • 蓮田市はすだし
  • 白岡市しらおかし

といった埼玉県の北部地域を、列車はどんどん北上していきます。

個人的にはこの近辺の駅で流れる「アマリリス」という発車メロディーが印象的です。◯アマリリスとは赤い色の美しい花のことであり、またフランス民謡の一つでもあります。

蓮田駅(埼玉県蓮田市)

歌詞「ゆくや蓮田の花ざかり」

歌詞に

ゆくや蓮田の花ざかり

とありますが、これは恐らく

  • はすの花」」

というフレーズと、

  • 蓮田はすだ

という地名をけているものと思われます。
これはある種の、日本の伝統的な美しい洒落しゃれの一つであり、「掛詞かけことば」と呼ばれます。

鉄道唱歌における、他の「掛詞」の例

鉄道唱歌では、このような掛詞かけことばはたくさん登場します

♪つれだつ旅の友部より~

→「旅の友」と、「友部ともべ」という地名を掛けている
 ※奥州・磐城編57番より
 ※友部駅は茨城県の駅

♪菜種に蝶の舞坂(舞阪)も~

→「蝶が舞う」と「舞阪まいさか」という地名を掛けている
 ※東海道編27番より
 ※舞阪は静岡県の地名

♪故郷のたより喜々津とて~

→「故郷のたよりを聞き」と「喜々津ききつ」という地名を掛けている
 ※山陽・九州編63番より
 ※喜々津は長崎県の地名

♪流れに波の辰野駅

→「流れに波も立つ」と「辰野駅たつのえき」を掛けている
 ※中央線鉄道唱歌37番より
 ※辰野駅は長野県の駅

♪こころ細呂木すぎゆけば~

→「心細い」と「細呂木ほそろぎ」という地名を掛けている
 ※北陸編62番より
 ※細呂木は福井県の地名

上記詳しくは、以下の各記事にて解説していますので、をご参照ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第57番 友部駅に到着! 栗の名所・笠間市 そして石岡市の常陸国府跡
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中央線鉄道唱歌 第37番 天竜川を横に、辰野駅へ 伊那路・飯田線との分かれ道
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「旧街道」ルートと「鉄道」ルートは、必ずしも一致しない

ここでは「旧街道」のルートと「鉄道」ルートは、必ずしも一致しないという話をします。

先ほど

「現在の東北本線は、必ずしもかつての奥州街道や日光街道とは沿っていない。
むしろ中山道に沿っている。」

と述べました。
では、元の奥州街道や日光街道と沿っている鉄道路線とは、一体どこなのか。

それは、JR線ではなく、私鉄である東武鉄道とうぶてつどう

  • 東武伊勢崎線とうぶいせさきせん
  • 東武日光線とうぶにっこうせん

が、かつての奥州街道と日光街道のルートにほぼ並行しているといえます(少なくとも利根川を渡るまでの区間においては)。

このように、現在のJR線とかつての街道が必ずしも並行しておらずむしろ私鉄の方がかつての街道に沿っている、というケースは結構あるのです。

東海道・品川宿の場合

例えば、現在の東海道線は、かつての東海道の品川宿しながわしゅくとは離れています。
むしろ私鉄である京浜急行線のルートの方が、かつての東海道の宿場町と並行していたりします。

甲州街道の場合

また、現在の中央線はかつての甲州街道こうしゅうかいどうと並行しておらず、やや北を通っています。

かつての甲州街道は、

  • 新宿
  • 高井田たかいだ
  • 国領こくりょう
  • 調布ちょうふ
  • 府中

といった現在の京王線とほぼ並行したルートでした。
しかし、中央線の場合は、

  • 中野
  • 荻窪おぎくぼ
  • 吉祥寺きちじょうじ
  • 三鷹みたか

というルートを通っています。

なぜ「旧街道」と「鉄道」は、ルートが一致していないのか?

※以下、個人的な考察が入っています。読み飛ばし推奨・信用しないOKです!

なぜこうなっているのかに関して、理由は諸説あります。
いわゆる「鉄道忌避説てつどうきひせつ」が関連しているかもしれません。

鉄道忌避説てつどうきひせつとは、いわゆる

  1. 鉄道黎明期れいめいきの明治時代は、蒸気機関車の煙がたくさん出る
  2. そのため、鉄道の煙を嫌うかつての街道の宿場町が、周辺に線路を引くことを拒否した
  3. そのため、宿場町と離れた場所に線路を引いた

という説です。

宿場町から離れた場所に鉄道駅ができると、必然的にその周辺は人の往来が増えるために、どんどん栄えてくることになります。
しかし一方で、かつての宿場町は駅から離れているために取り残されてしまい、衰退のリスクが高まってゆきます。


また、鉄道が蒸気機関車から電車に置き換わると、もはや煙は関係なくなります。
そのため、こうなってくると宿場町としては、何のために線路や駅建設を拒否したのかが、わからなくなってしまいます。

そこで慌てて、

  1. かつての街道(奥州街道や東海道など)に沿った鉄道路線を、
  2. 地元のお金持ち達がお金を出し合って、
  3. 鉄道線路を引いていった

というケースもあったのでした。
それが上記の「かつての街道に沿った私鉄路線」なのかもしれません。(根拠なし)


正直いって、上記は完全に私の想像で語っており、根拠(エビデンス)などはありません。
というか「鉄道忌避説」自体が根拠が残っておらず、信憑性しんぴょうせいのないものとして扱われたりもします。

具体的な史料や資料もない100年前の昔の話であるため、現在の我々の中に、明確な根拠を持って説明できる人は、ほぼ皆無といっていいでしょう。


しかし、私個人としては、上記の仮説のほうがに落ちるというか納得できるため、個人的には上記の仮説を信じさせていただいております。

繰り返しになりますが、上記の仮説はあくまで私の想像なので、本記事を読まれている方々におかれましては、過度に信用なされないようお願い致します

かつての「奥州街道」「日光街道」に沿っている、東武伊勢崎線・東武日光線

なお、現在の東北本線の原型である日本鉄道上野~利根川までの区間を建設したのが1880年代であり、現在の東武伊勢崎線のルートができたのが1899年です。

話が長くなりましたが、現在の東武伊勢崎線東武日光線は、かつての奥州街道日光街道に配慮してできた路線なのかもしれません。
もし違っていたらご指摘願えれば修正いたします。

このルート上では、千住せんじゅを出発すると千住大橋せんじゅおおはしを渡ります。
そして、現在の東京都心部へのベッドタウンとしても重要な、

  • 草加市そうかし
  • 越谷市こしがやし
  • 春日部市かすかべし

を経て北上していき、やがて久喜市くきしで現在の東北本線と合流します。

利根川を渡った後は、かつての奥州街道は、現在の東北本線とほぼ並行していくという形になります。

かつての奥州街道・日光街道の宿場町・春日部(粕壁)

なお、春日部かすかべは、かつては「粕壁かすかべ」と書きました。
「クレヨンしんちゃん」で有名な街ですね。

35歳にして年収600万で係長、マイホーム持ちで妻と子ども2人持ちの野原ひろしは、現代では勝ち組の男性とも言われています。
野原ひろしは、春日部駅から東武伊勢崎線に乗って、毎朝家族のために東京の会社まで通勤していたのでしょうか。

栗橋駅を過ぎて、やがて利根川へ

現在の栗橋駅あたりで、東北本線はかつての奥州街道、日光街道と合流します。
そして、利根川とねがわにさしかかります。

栗橋駅(埼玉県久喜市)

栗橋駅(埼玉県久喜市)

利根川(東北本線)(埼玉県・茨城県)

利根川(東北本線)(埼玉県・茨城県)

かつて利根川に置かれていた「関所」

利根川は、現在では埼玉県と茨城県の県境であり、かつては武蔵国むさしのくに上総国かずさのくにの国境でもありました。
こうした「国境」に当たる場所には、古くから関所せきしょと呼ばれる機関が設置されたりします。

関所とは

関所せきしょは、その国に入る者や出ていく者が不審者でないか、危険物を持っていないか、入国の目的が適性で犯罪目的でないかなどを厳しくチェックするために存在していた機関です。

現在でも外国人がその国に入国するためには厳しい入国審査がなされたりしますが(犯罪歴はないか、犯罪をしたりしないか、危険物を持っていないかなど)、あれに近いイメージでしょう。

かつては現在のように、単に県境をまたぐだけという次元のものではなく、本当に外国に行くのと同じくらい遠い場所へ行くようなものでした。
そのため、現在の入国審査と同じくらい(もっと?)厳しかったことでしょう。

現在では新幹線や飛行機で、いとも簡単に県境は越えていきますから、昔の「国境を越える」というのは、現代人の我々からしたらなかなかイメージしづらいかもしれません。

埼玉県側には栗橋宿くりはししゅく本陣ほんじんのそばに、関所跡があります。
また、利根川の向こう岸である茨城県側にはかつて中田宿なかたしゅくのあった「中田」という地名があり、かつて関所があった中田関所跡があります。

今回は、長文・雑談・考察が多すぎた

今回はかなり話が長くなり申し訳ありませんが、少しでもこの地域の交通の歴史に興味をもってもらい、本記事で紹介した宿場町や街への観光を行っていただくきっかけになれば幸いです。

次は、利根川の説明をさせていただきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

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