鉄道唱歌 奥州・磐城編 第3番 赤羽を過ぎて、荒川の橋を渡る

まずは原文から!

赤羽(あかばね)すぎて打ちわたる
名も荒川(あらかわ)の鐵(てつ)の橋
その水上(みずかみ)は秩父(ちちぶ)より
いでゝ墨田(すみだ)の川となる

さらに読みやすく!

赤羽(あかばね)過ぎて打ちわたる
名も荒川(あらかわ)の鉄の橋
その水上(みずかみ)は秩父(ちちぶ)より
いでて墨田(すみだ)の川となる

さあ、歌ってみよう!

♪あかばねすーぎて うちわたるー
♪なもあらかわのー てつのはしー
♪そのみずかーみは ちちぶよりー
♪いーでてすみだの かわとなるー

(東北本線)
上野駅→王子駅→赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→蓮田駅→久喜駅→栗橋駅→(利根川)→古河駅→間々田駅→小山駅→小金井駅→石橋駅→雀宮駅→宇都宮駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

王子駅を過ぎてさらに北上すると、赤羽駅(あかばねえき、東京都北区)に到着します。

赤羽駅(東京都北区)

赤羽駅(あかばねえき、東京都北区)は、かつて鉄道唱歌ができた明治時代の1900年頃前後には、品川方面への乗り換え駅でした。
というのも、当時は上野駅~新橋駅の間の線路がまだ出来ていなかったからです。理由は、既に市街地が形成されていて線路が確保しにくかった、汽車の吐き出す煙が市街地に敬遠された、など様々にあるでしょう。(諸説あり)
つまり、当時の路線は現在の山手線とは違い、「C」の字の形だったわけです。
なお、現在のように上野駅~新橋駅間が繋がって「O」の字になったのは、1925年のことです。

赤羽(あかばね)」の地名の由来は、関東ロームの堆積物でできた赤い埴輪(はにわ)に由来していると言われます(諸説あり)。アイヌ語由来という説もあります。
なお、「関東ローム層」とは、大昔に関東地方で火山が噴火しまくって溜まりまくった堆積物が積み重なり続けてできた土地です。
つまり、富士山、箱根山、赤城山といった関東地方周辺の火山が過去に噴火しまくって、その堆積物でできた土地が関東ローム層なわけですね。

赤羽駅を過ぎて北上すると、東京都と埼玉県の県境である荒川(あらかわ)の橋を渡って、埼玉県に入ります。

荒川を渡る。写真奥が、秩父側

荒川(あらかわ)は、その名の通り荒れ狂う川」という意味で付けられ、古くは江戸時代から川の増水や氾濫で人々を悩ませてきました。
荒川に限らず、日本全国の川は、人々の暮らしに様々なメリットやデメリットをもたらしてきました。

川のメリット
・人々の飲み水になる
・人々の生活用水(洗濯、お風呂など)
・農業に必要な水になる(灌漑)
・舟の通り道になる(水運)
・舟に大量の荷物を載せて運べる

川のデメリット
・氾濫を起こすと人々の安全を脅かす

川は、うまく使えば人々の生活の糧になります。これを「利水(りすい)」といいます。しかし、川は水が溢れないようちゃんと管理しないと大変なことになります。これを「治水(ちすい)」といいます。

明治時代当時、かつての江戸が「東京(とうきょう)」に改められ、東京は日本の首都として著しく発展してきました。そうなると、必然的に人口も増えてきます。

人口が増えると所狭し(ところせまし)と家屋(かおく)が増えます。そうなると、ひとたび河川が氾濫すると、近くに住んでいる人達は甚大な被害を被ります。

それが現実化してしまったのが、1910年(明治43年)に起きた、「明治43年の荒川大洪水」でした。
この大洪水では、荒川周辺の街は甚大な被害に遭ったと言われており、街はみな水没してしまうなど大惨事となり多くの犠牲者が出ました

二度とこのような大惨事は起こしてはならないため、荒川では何度も何度も人々の努力によって改良を加えられ、川が氾濫しないように治水事業(ちすいじぎょう)が進められてきました。その結果、現代のような氾濫の起きにくい荒川ができあがったわけです。現在の我々の安全は、過去の人々の犠牲と努力のもとに成り立っているわけですね。

こうしたできた赤羽以南の荒川の大きな下流部を、「荒川放水路(あらかわほうすいろ)」といいます。
なお、放水路(ほうすいろ)とは、洪水が起きたときに水が溢れるのを防ぐために、水を逃がす目的で人工的に作った川のことです。

この荒川放水路は、1965年に荒川の本流に正式に改められました。つまり、放水路の方が「荒川」に変更されたわけです。
それと同時に、後述する岩淵水門(いわぶちすいもん)以南の元々あった旧荒川の部分は、「隅田川(すみだがわ)」という呼称に正式に改められました。

赤羽の近くに「岩淵(いわぶち)」という地名があり、ここに「岩淵水門(いわぶちすいもん)」と呼ばれる水門があります。
現在では、この岩淵水門を起点として、隅田川(すみだがわ)が流れるという扱いになっています。
つまり、隅田川は荒川が岩淵水門から分岐した下流部の川であるといえます。
前述した通り、1965年に荒川放水路が正式に荒川の本流に改められた際に、元々の流れであった旧荒川の岩淵水門以南の流れは「隅田川」に改められたということになります。

また、歌詞に出てくる「秩父(ちちぶ)」というのは、埼玉県の南西部・東京都の北西部、山梨県の北東部にかかる、いわゆる「秩父連峰(ちちぶれんぽう)」という約2,000m級の高い山々のことです。
「秩父山」という単独の山があるわけではなく、複数の2,000m級の山々で構成される、「連峰」となります。
東京都最高峰の「雲取山(くもとりやま、標高2,017m)」も、秩父連峰の1つに含まれます。

歌詞にある通り、荒川はこの秩父の山奥から流れ出てくる川です。

埼玉県熊谷市の熊谷駅(くまがやえき)から出ている「秩父鉄道」に乗れば、自然豊かな荒川を眺めることができます。

荒川の橋を渡ると、次は埼玉県に入ります

荒川の鉄の橋(写真奥は秩父側)

荒川を渡り埼玉県に入ると、次は浦和駅に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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