鉄道唱歌 奥州・磐城編 第19番 須賀川、郡山、猪苗代 多くの偉人のゆかりの地

まずは原文から!

岩もる水の泉崎(いずみざき)
矢吹(やぶき)須賀川(すかがわ)冬の來(き)て
むすぶ氷の郡山(こおりやま)
近き湖水(こすい)は猪苗代(いなわしろ)

さらに読みやすく!

岩もる水の泉崎(いずみざき)
矢吹(やぶき)須賀川(すかがわ)冬の来て
むすぶ氷の郡山(こおりやま)
近き湖水(こすい)は猪苗代(いなわしろ)

さあ、歌ってみよう!

♪いわもるみーずの いずみざきー
♪やーぶきすかがわ ふゆのきてー
♪むーすぶこおりの こおりやまー
♪ちーかきこすいは いなわしろー

(東北本線)
宇都宮駅→西那須野駅→那須塩原駅→黒磯駅→黒田原駅→新白河駅→白河駅→泉崎駅→矢吹駅→須賀川駅→郡山駅→日和田駅→本宮駅→二本松駅→安達駅→松川駅→福島駅

新白河駅を出て、郡山方面へ

新白河駅からは東北本線をさらに乗り継ぎ、郡山(こおりやま)方面へ向かいます。

新白河駅を出発すると、一つ隣の白河駅(しらかわえき、福島県白河市)では、窓の右側には前回解説した「白河口の戦い」の重要拠点となった白河小峰城(しらかわこみねじょう)の三重櫓(さんじゅうやぐら)が登場します。

白河小峰城の景色(東北本線の車窓より)(福島県)

さらに行くと、泉崎駅(いずみざきえき、福島県西白河郡泉崎村)、矢吹駅(やぶきえき、福島県西白河郡矢吹町)、鏡石駅(かがみいしえき、福島県岩瀬郡鏡石町)のように、福島県のいわゆる「中通り」といわれる区間の南部を、どんどん郡山方面に向かって北上していきます。

矢吹駅(福島県西白河郡矢吹町)

福島県は、大きく「中通り」「浜通り」「合津地方」の三つのエリアに分かれる

なお、福島県では地域によって「浜通り」「中通り」「会津地方」と大きく3つに分かれます。

浜通り
太平洋側の海側(南相馬市、双葉町、いわき市など)のこと

中通り
中央部(福島市、郡山市、白河市など)のこと

会津地方
西側(会津若松市、只見町など)のこと

このような呼び方をするので、あわせて覚えておきましょう。

福島県はとても広いので、同じ福島県でも地域によって気候も文化もかなり異なるようです。

ウルトラマンの聖地・須賀川へ 円谷英二の出身地

中通りを北上していくと、やがて須賀川駅(すかがわえき、福島県須賀川市)に到着します。
須賀川駅ホームで降りると、ウルトラマン関係の装飾で彩られ、ファンであれば興奮感動間違いなしになります。

須賀川駅(福島県須賀川市)

福島県須賀川市(すかがわし)は、ウルトラシリーズの生みの親であり、「特撮の神様」ともいわれる円谷英二(つぶらや えいじ、1901年生・1970年没)の出身地としても知られます。

現在、須賀川市はウルトラマンの生まれ故郷であるとされるM78星雲・光の国姉妹提携関係を結んでいます。
なお、M78星雲・光の国は物語では「地球から300万光年離れた場所にある」という設定になっており、一番偉い人は「ウルトラマンキング」、そして宇宙全体の平和を守る「宇宙警備隊」の大隊長は「ウルトラの父」、そして隊長はウルトラ兄弟の長男である「ゾフィー」とされています。

須賀川市を探訪 たくさんのウルトラマンや怪獣が迎えてくれる

須賀川市はウルトラシリーズを活用した街興しを行っていることもあり、街中ではウルトラマン関係のオブジェが大量に並んでおり、ファンにはたまらない「聖地巡礼」ができます。

街には「ウルトラセブン」などのヒーローの他、「宇宙怪獣ベムスター」などの怪獣のオブジェもあります。

私は特に「宇宙恐竜ゼットン」のオブジェに大変驚き、恐怖を感じました。いくら等身大の人形とはいえ、ゼットンの前に正対するとあまりにも威圧的で威圧感あって怖いですよ・・・。
ウルトラ戦士達は過去に何度も怪獣や宇宙人に敗北してきましたが、中でもゼットンは史上初めてウルトラ戦士を倒した強敵中の強敵として知られます。
それだけゼットンは恐ろしい怪獣ですし、現在のウルトラシリーズにも何度も登場します。もはやゼットンはバルタン星人と並ぶウルトラマン達の好敵手といってもいいでしょう。

もしあなたがウルトラシリーズのファンであれば、東北地方への鉄道旅行の際には、是非とも須賀川駅で途中下車してみましょう。
駅周辺だけでも、観光案内所には円谷英二関連の観光案内もしていますし、駅前にはウルトラセブンを彷彿させるモニュメントもあり記念撮影も可能です。

須賀川の「もう一人の円谷」 東京オリンピックマラソン銅メダリスト・円谷幸吉

そして、須賀川市で同じ「円谷(つぶらや)」として忘れてはならないのが、1964年東京オリンピックマラソン競技銅メダリスト円谷幸吉(つぶらや こうきち)です。

円谷幸吉は、1940年に現在の福島県須賀川市に生まれました。
1964年の東京オリンピックで、最後のゴールとなる競技場に入ってきたときは2位であり、優勝したアベベに次ぐ銀メダルとなるはずでした。
しかし、後ろから迫ってくるランナーに気付かず、最後の最後で抜かれてしまい、3位の銅メダルになってしまいます。
これは、父親からの教えである「男は後ろを振り向いてはいけない。後ろを向くのは、自信の無い証拠だ。」という信念を愚直に守り抜いた結果であるとされ、父親は「あの時は、幸吉に後ろを振り返ってもらいたかった」としています。

確かに、現代の価値観においても後ろを向くことはよいことではありませんが、あえて(ポジティブな意味で)後ろを向くことで過去から学ぶ、過去の失敗から学び将来の改善に繋げるということも一理あるわけで、父親の本当の意図と、幸吉の解釈の仕方に乖離(かいり)があった結果なのかもしれません。

とはいえ、日本人陸上界で唯一の銅メダリストになり、円谷幸吉は一躍国民的スターになり、4年後の1968年のメキシコオリンピックで「アベベに勝つ」という期待が持たれました

しかし、その後の幸吉の運命は下り坂になります。婚約の破談、自衛官としての「本業」の激務化、ヒーローになったことで多方面から引っ張りだこになり練習時間が確保できない、持病の深刻化、何より次のメキシコオリンピックで金メダルを取るという国民との約束という重圧に苦しめ続けられることで徐々にランナーとしては低迷していきます

そしてメキシコオリンピックの年はじめにあたる1968年1月。心身ともに限界を迎えた幸吉は、ついに自殺を決意し、遺書を書き、死んでいるところを自衛隊の官舎で発見されることになります。

その時の遺書はあまりに有名です。
お父様、お母様、幸吉は疲れきってしまって走れません。

円谷幸吉はとても真面目で几帳面な性格であったことで知られ、自殺の運命を選んだのも、その責任感の強さからではないかとされています。

円谷英二」「円谷幸吉」二人の偉大なる「つぶらや」を生んだ須賀川市には、重ねてにはなりますが、是非とも寄ってみましょう!

なお、「円谷(つぶらや)」という苗字は、福島県に多いそうです。他にも、たくさんの偉大な「円谷」という苗字の方々がおられます!

安積永盛駅を過ぎて、郡山駅へ

須賀川駅を出ると、水郡線(すいぐんせん。水戸と郡山を結ぶ鉄道路線)との分岐点である安積永盛駅(あさかながもりえき、福島県郡山市)を過ぎて、福島県中通りでも特に大きな街である郡山市(こおりやまし)の中心駅・郡山駅(こおりやまえき、福島県郡山市)に到着します。

郡山駅(福島県郡山市)

福島県郡山市(こおりやまし)は、福島県でも特に大きな街であるとされ、駅前はヨドバシカメラがあるなどかなりの都会の様相を呈しています。新白河駅方面から北上してくると、大抵は郡山行となっているので、ここが乗り換えのポイントとなります。
郡山駅の駅周辺は飲食店など商業施設が充実しています。また、買い物をする際には比較的何でも揃うので、郡山駅周辺はとても便利です。

GReeeeNゆかりの地・郡山

郡山市は、「キセキ」などの曲で有名なGReeeeN(グリーン)のゆかりの地としても有名です。
GReeeeNのメンバーは元々福島県出身ではないのですが、歯学部のある大学が福島県郡山市周辺だったことで、そこでメンバー間で意気投合して結成に至るようです。
なお、メンバーの本業はあくまで歯科医師であり、音楽活動が歯科医師業に支障をきたしてはならないとのことで、顔出しせずに活動していることでも知られます。

磐越西線との分岐駅・郡山 会津方面への寄り道も

さらに、郡山駅は会津地方方面へ向かう「磐越西線(ばんえつさいせん)」との分岐点でもあり、猪苗代湖(いなわしろこ)のある猪苗代町(いなわしろちょう)方面への近道となります。

猪苗代湖(いなわしろこ)は、郡山市、猪苗代町、会津若松市にまたがる、日本で4番目に大きい湖です。
そして、その周辺には、磐梯山(ばんだいさん、標高1816m)があります。

磐梯山は元々は富士山のような綺麗な一つの円錐型の山でしたが、火山の爆発により形が崩れ、現在のような複数のトンガリ帽子のような山になったようです。
また、猪苗代湖は磐梯山の火山の噴火によって排出された堆積物が、会津盆地の水の流れを「せき止め」した事で水が溜まってできた湖のようです。

これは北海道駒ヶ岳(渡島富士)によく似ています。
渡島富士も元々は富士山のような綺麗な円錐型の山でしたが、火山の噴火による爆発で頭の部分が吹っ飛んでしまい、あのような二つのトンガリ帽子の形になりました。そして、渡島富士の噴火によって排出された堆積物が、川の流れを「せき止め」して水が溜まったのが、いわゆる「大沼(おおぬま)」になります。

猪苗代出身の偉大なる人物・野口英世

そして、猪苗代町の偉大なる人物が、あの「野口英世(のぐち ひでよ)」です。

野口英世(のぐち ひでよ)は、1876年に現在の福島県猪苗代町に生まれました。
幼少期に誤って囲炉裏に左手を突っ込み、左手指がくっついてしまうという惨事に見舞われ、幼い頃の清作(せいさく。野口英世の幼い頃の名前)は、これが原因でいじめられるようになります(現代でこれをやると立派な差別になりますので、人の体の欠点を理由にいじめるのは絶対にやめましょう)。
しかし、16歳の時に読んだ作文で周囲から大きな同情を受け、多くの寄付を受けた結果、手術を受けることができました。その結果、ある程度左手が自由に使えるようになりました。

野口英世は当時アフリカで流行していた「黄熱病(おうねつびょう)」という病気の原因を突き止めるため、寝る間も惜しんでひたすら勉強と顕微鏡に向かい、さらにはアメリカに渡るなどその圧倒的な行動力と勤勉さで周囲を驚かせました。
一度気になったことは徹底的に追求しないと気が済まない性格の野口英世は、周囲の反対を押し切ってアフリカガーナに向かうも、1928年に自身も黄熱病にかかり、わずか51歳で死去することとなりました。

しかし、野口英世が追っていた細菌は黄熱病の病原体ではなく、実は「ワイル病」という別の病原体であったことが後の世で発覚しました。野口英世の時代の顕微鏡では、あまりに小さすぎる黄熱病の病原体を追うことができず、本当に黄熱病の病原体が発見されたのは野口英世が亡くなって何十年も後に顕微鏡の精度が上がってからでした。

とはいえ、野口英世がそのきっかけを作らなければ黄熱病やワイル病など、細菌学や感染症の研究はもっと進展が遅くなっていたかもしれません。
そして何より、野口英世はこんな言葉を残しています。

天才がなんだ。人よりも3倍も4倍も5倍も勉強する。それが天才だ。

彼の言うとおり、天才とは「生まれつき何の努力もなしに何でもできる人」のことではありません。
「普通の人ができないような尋常ならぬ努力ができる人」のことを天才といいます。
イチロー元野球選手も、同じような意見を言っておられたと記憶しています。

野口英世は寝る間も惜しんで勉強に励み顕微鏡と向き合い続ける「勉強の天才」であったと同時に、上京してからは女遊びと散財の絶えない「遊びの天才」でもありました。

こうした凹凸が激しく、まさに波瀾万丈といえる人生を思うがままに自由奔放に突き抜けた野口英世。一つのことに没頭するように夢中になり、女遊びなど散財も酷かったことを考えると、現代でいうところの双極性障害のような気質があったのかもしれません
こうした自由奔放かつ波瀾万丈な気質は、太宰治(だざい おさむ)や石川啄木(いしかわ たくぼく)のような他の天才とも同じことがいえます。

まさに「英雄色を好む」ですね!
偉大な成功者は、性欲が強いことが知られています。
溢れすぎる男性ホルモンテストステロン)が「何が何でも成功してモテてやる!」という闘争心や気概に変わり、偉大な発明や創作、成功をもたらすわけですね。

話がだいぶずれましたが、当時の細菌学において日本のみならず世界的に大きな評価を得た野口英世。
1000円札に描かれるほどの偉人です。
猪苗代町には、野口英世記念館がありますので、是非行ってみましょう。

福島には偉人がたくさん! 偉人ゆかりの地を探訪しよう

さて、今回は偉人やゆかりの人物の紹介や説明ばかりになって恐縮ではありますが、逆にいえば福島県はこれだけ多くの偉人を輩出した県でもあるのです

そして、忘れてはならない偉人が、福島市出身の「古関裕而(こせき ゆうじ)」です!
福島駅のところで解説させていただきます。

次は、磐越西線の話に入ります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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