鉄道唱歌 奥州・磐城編 第26番 岩沼駅と、馬市の賑わい

鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
岩沼の地理・歴史などについて、やさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

岩沼驛いわぬまえきのにぎはひは
春と秋との馬の市
千里の道にむちうちて
すゝむはたれくにのため

さらに読みやすく!

岩沼いわぬま駅の にぎわいは
春と秋との 馬の市
千里の道に むちうちて
進むはたれぞ 国のため

さあ、歌ってみよう!

♪いわぬまえーきの にぎわいはー
♪はるとあきとのー うまのいちー
♪せんりのみーちに むちうちてー
♪すすむはたれぞー くにのためー
(東北本線)
福島駅→伊達駅(旧・長岡駅)→越河駅→白石駅→岩沼駅→仙台駅→岩切駅→国府多賀城駅→塩釜駅→松島駅→鹿島台駅→小牛田駅→石越駅→花泉駅→一ノ関駅→平泉駅→盛岡駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

常磐線との分岐点・岩沼駅に到着

阿武隈川あぶくまがわに沿って北上すると、常磐線じょうばんせんとの合流点でもある、

  • 岩沼駅いわぬまえき(宮城県岩沼市)

に到着します。

岩沼駅(宮城県岩沼市)

岩沼駅(宮城県岩沼市)

岩沼駅は、東京都の日暮里駅にっぽりえきから遙か続く常磐線じょうばんせんの終着駅でもあります。

また「鉄道唱歌 奥州・磐城編」のストーリーは、

  1. 帰りのルートは、この岩沼駅から分かれ、
  2. 常磐線(当時は磐城線)の太平洋側を通って、東京方面へ帰る

という流れになります。

かつて定期的に開かれていた「馬市」

歌詞にある「馬市うまいち」とは、簡単にいうと馬が売買されていた場所です。

これは江戸時代に、春と秋の年2回開かれていたようです。

歴史的に、人々の交通・移動に不可欠だった馬

昔は、特に江戸時代までは馬は(身分の高い人にとって)非常に重要な交通手段でした。

しかし、馬は人間が歩くよりも大きな速度で移動できますから、幕府にとっては馬を軍事力に使われてはたまらないものでした。
なので、武士以外の人々はもちろん、武士であってもよほど信頼された人しか、馬を使用することはできませんでした。

逆にいえば、「馬に乗れる」ということは、武士の権威地位を示す象徴であったという面がありました。
つまり、馬は単なる乗り物・移動手段ではなかったということです。


江戸時代は軍事上の理由から交通手段にはかなり厳しかったのでした。
例えば、東海道上では橋を架けることすらできずに、歩いて川を渡らなくてはならない、なんてこともあったようです。
もしくは「渡し舟」といって、代わりに舟で川を渡ったり、などのケースもありました。

馬は人よりも速く移動できますし、力も大きいですから、

  • 荷役目的(荷物を引かせて移動する)
  • 農耕目的(”すき”などを引かせて移動する)

の役割としても使われてきた歴史があります。


しかし、馬は代謝が大きい(言い換えれば、よく食べる)ため、馬を飼育管理するには、エサとなる牧草のコストが半端なかったようです
また、それだけエサを食べるということは、糞尿の処理なども問題になってきます。

そのため、明治時代以降に蒸気機関車電車などが発展してくると、次第に馬は移動手段としては利用されなくなってきたという経緯があります。

今と異なり、限定的に開かれていた「定期市」

馬市は、現代でいうところの「車を販売する店」などに近いかもしれません(違うかな?)
また、「春と秋の2回」開かれるそうですが、現代の我々はコンビニで24時間365日買い物できるのが常識ですから、なぜ年に2回なの?と思うかもしれません。

あくまで私の予想ですが、昔は、

  • 二日市ふつかいち」:2日に一回開かれる店
  • 四日市よっかいち」:4日に一回開かれる店
  • 五日市いつかいち」:5日に一回開かれる店
  • 十日市とおかいち」:10日に一回開かれる店
  • 廿日市はつかいち」:20日に一回開かれる店

などといった感じで、毎日ではなく何日間に1回のペースで店を開くことが一般的だったのかもしれません。

これを「定期市」といいます。


そして三重県四日市市よっかいちしなどのように、こういった定期市を由来とした地名が、全国各地に存在します。

四日市市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 関西編 第17番 亀山駅を北へ寄り道 名古屋方面へ そして四日市に到着
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編を、小学生にもわかりやすく解説しています。鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説します。

他にも、「朝市あさいち」は朝の時間帯に営業していたわけですから、おそらく毎日8時間(+残業)働く現代の我々の常識とは、おそらく時代的に異なっていたのでしょう。

  • 「昔当たり前だったことが、今は当たり前じゃない」
  • 「昔はありえなかったことが、現代は当たり前になっている」

というのはよくあることなのです。

また、「二日市」「四日市」「五日市」などの定期市で買い物をする人達も、昔は予め営業日が決まっていたため、その前提で「それに合わせて買い物をする」というのが当たり前だったのでしょう。

現代の我々のように

夜中に腹減ったから、コンビニでも行くか~

みたいな常識は、昔の人からは信じられないものだったのかもしれませんかもしれませんね。

現代はとても便利になったものです。

「千里の道も一歩から」少しずつ進みだそう

さて、歌詞には

千里の道に鞭打ちて 進むは誰ぞ国のため

とあります。

これは、まだ現代ほど飛行機・鉄道・自動車などの交通手段が発達していなかった時代に、

  • 馬に秘められたパワーが、輸送力・農耕などによって、国に大きな貢献をもたらす

というようなことを言ったものでしょう。


余談ですが、

千里の道も一歩から

という言葉があります。

これは、どれだけ大きな目標で今は届かなかったとしても、まずは一歩を踏み出すことが大事、という意味です。

今日努力したから明日結果が出る、なんてことはありません。
しかし、すぐに結果が出ないことで投げ出して諦める人は多いと思います。

短期的な結果を求めず、5年後、あるいは10年後に結果が出て上手くいけばいいや~という気持ちで、いわゆる長期的視点で物事に取り組めば、やがてうまくいくときはくるものです。
私(筆者)も、10年かけてようやく実現・達成した夢や目標はたくさんあります。


今これを読まれているあなたも、

  • 何かを学んで、自分を高めていきたいと考えている優秀な方

なんだろうと思っています。
私は、あなたのように「常に学ぶ意欲があり、日々自分を高めていける方」は素晴らしいと思います。

しかし残念がながら、世の中は優秀なだけでは評価してもらえない、という残酷な面もあります。
それは、自分が本当に活躍できるかどうかは、

  • 環境
  • 周囲の理解
  • 人間関係

なども重要になるからです。

そして、現状を変えるために新たに転職したり、起業したりして本当の自分の優秀さを発揮できる場所を求めたり考えている方も多いと思います。


繰り返しにはなりますが、「千里の道も一歩から」。

努力はすぐに反映されるものではない、最初はうまくいかなくて当たり前、

いずれ長い年月の後にうまくいけばいいや

ぐらいの考えでいれば、長く続けられるポイントになるでしょう。

名取川を過ぎて、仙台市へ

話がずれましたが、岩沼駅を過ぎて北上すると仙台市の1つ南の自治体である名取市なとりしを過ぎて名取川なとりがわを渡ると、仙台市せんだいしはあと少しです。

次は、いよいよ東北一の大都会・仙台に止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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