鉄道唱歌 奥州・磐城編 第41番 津軽海峡と青函連絡船・青函トンネル 函館はすぐ近くに

まずは原文から!

津輕(つがる)の瀬戸(せと)を中にして
凾館(はこだて)までは二十四里(にじゅうより)
ゆきかふ船の煙(けむり)にも
國(くに)のさかえは知られけり

さらに読みやすく!

津軽(つがる)の瀬戸(せと)を中にして
函館(はこだて)までは二十四里(にじゅうより)
ゆきかう(行き交う)船の煙(けむり)にも
国のさかえ(栄え)は知られけり

さあ、歌ってみよう!

♪つがるのせーとを なかにしてー
♪はこだてまではー にじゅうより
♪ゆきかうふーねの けむりにもー
♪くーにのさかえは しられけりー

(IGRいわて銀河鉄道)
盛岡駅→好摩駅→岩手川口駅→いわて沼宮内駅→奥中山高原駅(旧・中山駅)→小鳥谷駅→一戸駅→二戸駅→目時駅

(青い森鉄道)
目時駅→三戸駅→八戸駅(旧・尻内駅)→三沢駅(旧・古間木駅)→野辺地駅→浅虫温泉駅→野内駅→青森駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋(便宜上、各ターミナル駅や新幹線停車の主要駅なども併記)

青森まで来たら、津軽海峡を間にして北海道や函館はすぐそこになります。

歌詞の冒頭部分「津軽の瀬戸(せと)」とは、青森県(本州)と函館(北海道)の間にある、津軽海峡(つがるかいきょう)のことです。ここでいう「瀬戸(せと)」とは「海峡」と似たような意味で使われます。

歌詞にもあるように、青森まで来たら、北海道の函館(はこだて)まではわずかです。

1里は約4キロメートルですから、

24里×約4キロメートル=約96キロメートル

であり、青森から津軽海峡を隔てておよそ100kmで函館となります

100kmというと長いように感じますが、それだけ津軽海峡は広く、また北海道新幹線で全長53kmに及ぶ青函トンネルをくぐると約30分、新青森駅から新函館北斗駅までも約1時間かかりますから、大体100kmくらいの距離感覚で問題ないと思います。

鉄道ができる以前の昔(江戸時代以前)はまず北海道(蝦夷地)に行くためには、江戸から青森までの旅が大変でしたから(徒歩で約20日)、鉄道ができてからは東京→青森がわずか1日あまりで来れるようになったため、あとは津軽海峡を越えれば北海道はすぐそこ、という時代に変わりました。

青森駅の北の、津軽海峡に面した景色。奥にある白と黄色の大きな船は、青函連絡船「八甲田丸」。

青森駅は海の方向に線路が延びていますが、昔は「青函連絡船(せいかんれんらくせん)」といって、列車ごと船に乗せて函館まで運んでいました。
現在でも青函連絡船「八甲田丸(はっこうだまる)」という白と黄色の大きな船が青森駅から少し北へ行った桟橋に保存展示されており、線路が船の中まで続いているため、列車ごと船に乗せていた形跡がわかります。
1988年に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役割を終えて終了しました。

また、1954年には津軽海峡で台風のため青函連絡船が沈没するという、「洞爺丸沈没事故(とうやまるちんぼつじこ)」という悲惨な事故が起きています。
当時はまだ天気予報の技術が現代と比べて発達していなかったことや、台風の進路を十分に予測できなかったこと、さらに船長の天気予測の過信などにより招いた結果となりました。

この悲惨な事故を教訓に、船の出港の判断は船長の独断や主観ではなく合議制になるとともに、天気予報の技術も発展することになりました。
さらに、当時から構想のあった青函トンネルをより早く実現させたいという契機にもなりました。
そして、地質調査など人々の努力の結果もあって、1988年は青函トンネルが開通するのです。それと同時に、役割を追えた青函連絡船は廃止となるのでした。

冬の津軽海峡を青函連絡船で渡るもの寂しさを歌った有名な曲として、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色(つがるかいきょうふゆげしき)」という曲があります。
この曲は、日本の演歌を代表するような曲ともいえるかもしれません。誰もが一度はどこかで聴いたことある曲です。

石川さゆりさんは、1970年代~1980年代を代表する、女性演歌歌手です。デビューは1973年であり、当初はなかなかヒット曲が出なかったそうですが、1977年の19歳のときにリリースした「津軽海峡冬景色」が大ヒットしたことにより、日本を代表する演歌歌手になりました。
また、静岡県の伊豆半島の真ん中あたりにある天城峠(あまぎとうげ)を越える様子を歌った「天城越え」という曲も、石川さゆりさんの曲です。

津軽海峡冬景色」では、上野を出発した夜行列車を冬の青森駅で降りて、さらに当時はまだ青函トンネルがなかったため、青函連絡船に乗って北海道へ帰るという女性の切ない情景を歌っています。

以下、参考までに「津軽海峡冬景色」の歌詞を引用します。

「上野発の夜行列車おりたときから 青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色」

「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が指をさす
息で曇る窓のガラスふいてみたけど はるかにかすみ見えるだけ」

※「さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色」

(※繰り返し)

当時(1977年)は前述のようにまだ青函トンネルが開通する前だったため、東京の上野駅から北海道方面へ向かう前提の夜行列車に乗り、青森駅で降りたら雪の景色で真っ白だった、という情景が容易に想像できます。
そして、北海道方面へ帰る人々の群れが、徒歩で青函連絡船に向かう様子が描かれていることも容易に想像できます。

歌詞にある「竜飛岬(たっぴみさき)」とは、津軽半島(つがるはんとう)の最北端にある岬(みさき)のことです。
竜飛岬は北海道最南端の白神岬(しらかみみさき)と距離が近いため、南へ帰る渡り鳥の中継点となります。渡り鳥とは、夏を涼しい北海道で過ごし、冬は暖かい南へ帰る鳥のことをいいます。渡り鳥も飛びっぱなしでは疲れるため、エサを確保したり就寝したりする場所が必要なので、竜飛岬や白神岬は渡り鳥にとって重要な場所になるわけです。
なお、本州最北端となる岬(みさき)は竜飛岬ではなく、津軽半島とは反対側の下北半島(しもきたはんとう)の大間岬(おおまみさき)になります。

歌詞では青函連絡船に乗っている他の客が「ごらん、あれが竜飛岬だよ」と言って会話しているわけですが、それを聞いて自分もどれどれと窓を拭いてみたけど、ただ虚しく遠く霞んで見えるだけという、ある種の空虚さや寂しさのようなものが感じられますね。

ただ、この曲だけ聴くとまるで津軽海峡を越えることが悲しく切ないような印象を受けるかもしれません。しかし、歌詞には「さよならあなた 私は帰ります」とあり、恐らくこの内容から察するに東京に置いてきた恋人との別れを歌っていることで寂しさを演出していると思われるため、実際の津軽海峡を渡ることが必ずしも寂しいわけではないことに注意しましょう。また、曲の内容がいかにも寂しい感じの雰囲気ではありますが、青森の日常や風景などと必ずしも一致しないことにも注意しなければなりません(というのも、実際に青森へ行ってみればわかりますが、青森は思った以上に寂しい場所ではない)。
むしろ、この後紹介しますが、津軽海峡を渡って北海道へ行くには、様々なワクワクな方法があります。
むしろ、津軽海峡を越えるときは是非ともワクワクする気持ちで渡りたいものですね!

話を鉄道唱歌に戻しますが、歌詞には「ゆきかう(行き交う)船の煙にも 国のさかえ(栄え)は知られけり」とあります。
これは船の煙が多いということは、それだけ海の交通の往来が盛んであり、その分国の経済活動が活発である、つまり国の栄えが伺える、という意味になるでしょう。

この「知られけり」とは、知識として知っているという意味ではなく、古語で「わかる」「伺える」などの意味になります。

つまり、船の煙の多さ、船の交通の多さから国の発展がわかる(伺える)、という意味になります。

さて、今回の鉄道唱歌の旅程では北海道(函館)方面へは行かないのですが、一応、青森から函館への移動方法をいくつか簡単に解説しておきます。

(1)北海道&東日本パスの特例で新幹線に乗る。新青森~新函館北斗発着限定、4,000円・約1時間

(2)青春18きっぷオプション券を使う。2,490円・約8時間・様々な制約あり

(3)津軽海峡フェリーを使う。約3,000円・約5時間

いずれも一長一短あるので、それぞれ説明します。

(1)最もコスパのよい移動方法だと個人的に思っています。4,000円が高いか安いかは人それぞれですが、私は「4,000円で新幹線に乗れるなんてラッキー」と思っています。
新青森駅を出発し、津軽半島を時速200km以上で突き進んでいく新幹線は、爽快です!
また、青函トンネルに入ると車内でアナウンス(青函トンネルの解説)がなされるなどのおもてなしもあります。
青函トンネルは約53kmと長く抜けるまで約30分かかりますが、木古内駅を過ぎると、そこは雄大な北海道です。

(2)は青春18きっぷユーザーのための救済措置です。新幹線は奥津軽いまべつ駅~木古内駅の区間に限って乗車できます。しかし制約がかなり多く、下手したら丸一日かかる移動方法です。奥津軽いまべつ駅の新幹線の停車本数(昼間は3~4時間に1本)、道南いさりび鉄道では途中下車不可などの様々な制約があります。
以下が、最も早く便利な旅程です。

※以下、2022年のダイヤにて表記
11:01 青森発 津軽線・蟹田行
11:38 蟹田着
11:44 蟹田発 津軽線・三厩行
12:06 津軽二股着
(→奥津軽いまべつ駅へ徒歩で移動)
14:15 奥津軽いまべつ発
 北海道新幹線はやぶさ305号・新函館北斗行
14:45 木古内着
15:19 木古内発 道南いさりび鉄道・函館行
16:22 函館着

各駅での待ち時間も長くなりますが、その分駅や周辺の散策ができます。
「津軽線に乗りたい」「奥津軽いまべつ駅、木古内駅の探索がしたい」「道南いさりび鉄道に乗ってみたい」という楽しみ方ができる人は、きっと丸一日面白い旅になるでしょう。しかし、ただ安く移動したいだけの人には丸一日厳しいかもしれません。

(3)は、船を使うという比較的安くシンプルな移動方法です。青函連絡船とは違いますが、津軽海峡を船で渡ることには変わりないので、ここまで解説した石川さゆりさんの曲「津軽海峡冬景色」の雰囲気も味わえるかもしれません。
近年は石油価格の高騰で値段は上昇傾向にあるものの、約3,000円~4,000円程度の値段でいけます。所要時間は大体5時間です。
また、船の中でも寝ても平気という人は、夜中に出発して、朝に着くというダイヤもあります。これで宿泊費がうくため、寝られる勇気と体力がある方のみオススメです。

前回も書きましたが、青森駅の北側にある「青い海公園」からの陸奥湾、津軽海峡の眺めは最高です。

次回は、弘前(ひろさき)方面へ少し寄り道をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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