鉄道唱歌 奥州・磐城編 第42番 弘前や津軽地方へ寄り道 五能線や津軽鉄道にも乗ってみよう

まずは原文から!

汽車のりかへて弘前(ひろさき)に
あそぶも旅の樂(たの)しみよ
店にならぶは津輕塗り(つがるぬり)
空に立てるは津輕富士(つがるふじ)

さらに読みやすく!

汽車のりかえて(乗り換えて)弘前(ひろさき)に
あそぶも旅の楽しみよ
店にならぶ(並ぶ)は津軽塗り(つがるぬり)
空に立てるは津軽富士(つがるふじ)

さあ、歌ってみよう!

♪きしゃのりかえて ひろさきにー
♪あそぶもたびのー たのしみよー
♪みーせにならぶは つがるぬりー
♪そーらにたてるは つがるふじー

(奥羽本線)
青森駅→新青森駅→川部駅→弘前駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅、および乗り換え駅などを表記

青森まで来たら、やはり津軽地方の旅もしてみたいものです。
青森駅からは、奥羽本線(おううほんせん)に乗り換えて、弘前(ひろさき)方面へ向かうことができます。

弘前(ひろさき)に向かう途中、川部駅(かわべえき、青森県南津軽郡田舎館村)という五能線(ごのうせん)との分岐駅があります。
五能線(ごのうせん)は、青森県の北西部分の日本海側を経由して、秋田県の東能代駅(ひがしのしろえき、秋田県能代市)に至る路線です。「五所川原(ごしょがわら)」と「能代(のしろ)」の頭文字を取って「五能線」というわけですが、実際には五所川原駅が起点ではなく川部駅が起点になっています。
五能線を経由して秋田へ向かう快速「リゾートしらかみ号」は、座席指定券510円を払えば「青春18きっぷ」や「北海道&東日本パス」でも乗ることができます。
日本海側の景色は絶景なので、何としても「A席」を確保しましょう!!

五能線の沿線について、簡単に紹介します。

川部駅を出発すると、津軽半島を徐々に北上し、五所川原市(ごしょがわらし)方面へ向かって進みます。
まずは窓の景色がリンゴ畑に包まれます。
青森県は、日本一のリンゴの産地です。
それは、青森県の夏でも冷涼な環境が、リンゴの生育に適しているからとのことです。
そして、窓の左側には、青森県で最も高い山である岩木山(いわきさん)が登場します。

岩木山(いわきさん、標高1625m)は、青森県で最も高い山(最高峰)であり、通称「津軽富士(つがるふじ)」と呼ばれます。津軽地方にあり、また山の姿が富士山のようであることから、津軽富士と呼ばれるわけです。いわゆる、北海道の「渡島富士(おしまふじ。北海道駒ヶ岳のこと)」や「蝦夷富士(えぞふじ。羊蹄山のこと)」などのような、いわゆる郷土富士(きょうどふじ)の1つです。

岩木山(津軽富士)

しばらく北上すると、津軽鉄道(つがるてつどう)との分岐点でもある五所川原駅(ごしょがわらえき、青森県五所川原市)に到着します。

津軽鉄道(つがるてつどう)は、津軽五所川原駅をスタートして北上し、津軽半島の真ん中あたりの津軽中里駅(つがるなかざとえき、青森県北津軽郡中泊町)までを走る私鉄路線です。
冬は「ストーブ列車」といってこの地域ならではの楽しさを味わえるほか、沿線は小説家の太宰治(だざい おさむ)の出身地ということもあり、車両は主にオレンジ色の津鉄21型列車走れメロス号)が運転されます。
車内では、女性の車掌さんが津軽弁で沿線で解説してくれたり、太宰治の小説「津軽」の朗読をしてくれるというファンにはたまらないおもてなしがあります。

嘉瀬駅(かせえき、青森県五所川原市金木町嘉瀬)は、歌手の吉幾三(よしいくぞう)さんの出身地ということで知られています。

嘉瀬駅を出ると、次はいよいよ、あの太宰治の生まれた金木駅(かなぎえき、青森県五所川原市金木町)に到着します。金木町(かなぎちょう)には、太宰治の生まれた家を博物館のようにした、「斜陽館(しゃようかん)」があり、ファンにはたまらなすぎる展示で溢れています。

太宰治(だざい おさむ、1909年生・1948年没)は、青森県五所川原市金木町出身の小説家です。代表作に「走れメロス」「人間失格」「斜陽」「津軽」などがあります。
幼少期からイケメンで成績は非常に優秀でしたが、社会にうまく適合できす、精神が安定せず愛人と5回に及ぶ自殺未遂を繰り返しました。
最期は東京都三鷹市玉川上水(たまがわじょうすい)で自殺し亡くなられました。38歳という若さでした。
太宰治の小説は日本を代表する作家として現在も多くの人々に読まれ続けています

五所川原駅を出て西へ行くと、日本海側へ出てきます。ここから日本海の美しい景色が眺められます!

しばらく行くと、鰺ヶ沢駅(あじがさわえき、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町)に着きます。
鯵ヶ沢町(あじがさわちょう)は、「ヒラメのヅケ丼」で有名な町で知られます。
かつて鰺ヶ沢には、白い犬の「わさお」さんがいました。
わさおさんは残念ながら2020年に亡くなられたようです。

鯵ヶ沢駅を過ぎると、千畳敷駅(せんじょうじきえき、青森県西津軽郡深浦町)に着きます。
千畳敷(せんじょうじき)とは、まるで千枚の畳を敷いた岩場のような海岸であることからこう呼ばれます。
千畳敷駅では、リゾートしらかみ号ならば便によっては観光のため約15分も停車してくれるものもあります。
ただし日本海側は風が強いので、外に出るときは十分注意しましょう。

さらに五能線で日本海側を南下すると、今や鉄道系YouTuberスーツさんにゆかりのある広戸駅(ひろとえき、青森県西津軽郡深浦町広戸)に到着します。
スーツさんが2022年3月の動画でご自身の本名を「藤田裕人(ふじた ひろと)」であることを公表され、藤田駅(ふじたえき、福島県伊達郡国見町)から広戸駅までの旅行の一部始終が動画で公開されています。
YouTubeで「スーツ 名前」で検索したら一発で出てきます。
とても勉強になるので、必ずチェックしましょう。
広戸駅からは、行会崎海岸(ゆきあいざきかいがん)という絶景が眺められます。

さらに深浦駅(ふかうらえき、青森県西津軽郡深浦町)を過ぎ、白神山地(しらかみさんち)の西側を南下します。
白神山地(しらかみさんち)は、恐らく「快速リゾートしらかみ」の名称の由来となっていると思われ、またブナの原生林があります。原生林(げんせいりん)とは、人類が生誕してから一度も手を加えられていない林のことをいいます。つまり、地球が誕生したときのまま手が付けられずに残っているため、貴重というわけです。
秋田県に入り、奥羽本線との合流駅であり五能線の終着点である東能代駅(ひがしのしろえき、秋田県能代市)に到着します。

リゾートしらかみ号はここ(東能代駅)でスイッチバックした後、川部駅以来の奥羽本線に再び入り、かつて湖を干拓(かんたく。湖の水を干上がらせて平地を作ること)して出来た八郎潟(はちろうがた)を過ぎ、また男鹿線(おがせん)との分岐点である追分駅(おいわけえき、秋田県秋田市)も過ぎ、やがて秋田県の県庁所在地の秋田市の中心駅である秋田駅(あきたえき、秋田県秋田市)に至ります。

・・・かなり五能線の話にスペースを割いて申し訳ありません。
正直、五能線の旅についてはもっと語りたいことがあるのですが、今回はメインでないので、また別の機会にじっくり解説したいと思います!

話を再び川部駅に戻します。

川部駅から奥羽本線をそのまま南下すると、青森県第3の都市であり、津軽地方の中心都市である弘前市(ひろさきし)の中心駅、弘前駅(ひろさきえき、青森県弘前市)に到着します。

弘前駅(弘前市)

上野駅のところでも解説しましたが、1960年代には「就職列車」といって、義務教育を追えた若者の皆さんが人手不足だった東京へ、ここ弘前駅から就職列車に乗って夢と希望を抱いて上野駅まで旅立ちました(これを「集団就職」といいます)
青森をはじめ東北地方出身の彼らは「金の卵」と呼ばれ、高度経済成長期の東京を支えた率役者として、尊敬の念を集めています。
また、就職列車については青森県出身の井沢八郎(いざわ はちろう)という歌手によって「あゝ上野駅」という曲で歌われています。

弘前は「ひろさき」と読みます。「ひろまえ」ではありません。
私(筆者)は大学受験のとき、いわゆる「赤本(過去問題集)」を探していたときに、本屋に「弘前大学」とあり、そこで初めて「ひろまえだいがく」の存在を知ることになります。私は当時17歳、世間知らずの若造だったときのことです。

しかし、塾(予備校)で周りに平気で「ひろまえだいがく」と言ってしまい、誰かに「お前、それ読み方違うぞ。ひろさき』だぞ」と言われて大恥をかきました
当時の私は、周りよりも明らかに常識知らずの世間知らずだったため、色んな所でいわゆる「恥の多い生涯」を送っていました(太宰治には親近感が湧きます)
学校でも、バイトをやっても、会社に入っても、自分だけがなぜか怒られ続けました。何で自分だけこんなに出来ないんだろうと思っていました。いわゆる、「社会不適合者」です。発達障害(ADHD)などの先天的要素ありです。
(ここから先は話すと長くなるので、この話はここで止めておきます)

弘前大学(ひろさきだいがく)は、青森県唯一の国立大学です。国立大学で県名と大学名が一致していないのは珍しいパターンではあります。
「青森大学」という名称の大学も存在しますがあくまで私立大学であり、青森県内の国立大学は弘前大学です。

青森県弘前市(ひろさきし)は、青森市、八戸市に次ぐ青森県第3の都市であり、また津軽地方の中心都市です。
弘前市には、かつて江戸時代に津軽氏(つがるし)の居城(きょじょう)だった弘前城があります。

弘前城(弘前市)

弘前市、五所川原市など津軽地方では夏の風物詩として「ねぷた祭り」があります。これは毎年8月上旬に行われるお祭りです。
青森市では「ねぶた」ですが、弘前市や五所川原市など津軽地方では「ねぷた」に変わるので、混同しないよう注意しましょう。
ねぷたまつりの起源は、青森市の青森ねぶた祭と同じように、坂上田村麻呂に由来するようです。平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷をおびき寄せるためにわざとお祭り騒ぎを起こした、という話でしたね。

なお、以下の3つを合わせて「東北3大祭り」と呼ばれます。

青森ねぶた祭り(青森県)
竿灯(かんとう)祭り(秋田県)
仙台七夕まつり(宮城県)

歌詞にある「津軽塗り」については現在では情報が少なく、正直わからなかったので今回は説明を省略させてください。
わかり次第加筆します。
ただ、津軽地方ならではの安価で加工しやすい丈夫な原材料を用いて、地元のスペシャリストによる高度な技術によって製造される伝統工芸品なのではないか、という想像はつきます。

弘前や津軽地方の観光が終わったら、次回からはいよいよ帰りの行程になります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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