鉄道唱歌 奥州・磐城編 第46番 原ノ町駅(南相馬市)に到着!相馬野馬追と、妙見信仰

鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞(南相馬、原ノ町駅、妙見信仰など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!

まずは原文から!

中村かなむらいでゝ打ちわたる
川は眞野川まのがわ新田川にったがわ
原の町はらのまちより歩行ほこうして
妙見みょうけんまうでやこころみん

さらに読みやすく!

中村かなむらいでて 打ちわたる
川は真野川まのがわ 新田川にったがわ
原の町はらのまちより 歩行ほこうして
妙見みょうけんもうでや こころみん

さあ、歌ってみよう!

♪なかむらいーでて うちわたるー
♪かわはまのがわー にったがわー
♪はーらのまちより ほこうしてー
♪みょうけんもうでや こころみん
(常磐線)
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端

相馬駅(旧・中村駅)に到着

歌詞冒頭の「中村(なかむら)」とは、前回触れたように、いわゆる相馬駅(そうまえき、福島県相馬市)のことです。
相馬駅は、1890年代の開業当初は「中村駅」という駅名でした。
そして1960年代に「相馬駅」に改称しています。

相馬市は、江戸時代は「相馬中村藩(そうまなかむらはん)」が置かれていた地域でになります。
また、相馬駅周辺に現在も「中村」という地名が残っていることは、前回解説しました。

相馬駅を出て、真野川・新田川を渡る

相馬駅を出て南下すると、途中で「真野川(まのがわ)」と「新田川(にったがわ)」という、この辺りでは比較的大きな川を渡ります。

原ノ町駅(南相馬市)に到着

そして、新田川をさらに南下すると、南相馬市(みなみそうまし)の中心駅である、原ノ町駅(はらのまちえき、福島県南相馬市)に到着します。

福島県南相馬市(みなみそうまし)は、「相馬野馬追(そうまのうまおい)」という行事で有名な街です。

「相馬野馬追」とは?

相馬野馬追(そうまのうまおい)は、かつて平将門(たいらのまさかど)という、今から約1200年前の平安時代に常陸国(ひたちのくに:現代の茨城県)にて影響力のあった武将が、馬を追う訓練のために行ったことが始まりとされています。

現在では、重要無形民俗文化財に指定されています。

南相馬市は、原町市(はらまちし)を含む複数の街が合併して2006年に誕生しました。
原ノ町駅」という駅名は、上記の原町市に由来します。

東日本大震災において、甚大な被害を受けた南相馬市

2011年3月11日の東日本大震災のときには、南相馬市は津波と放射性物質のために、甚大な被害を受けました。

津波による被害とともに、福島第一原子力発電所から放出された放射性物質が人間に害を及ぼす基準を超えたため、いわゆる「帰宅困難地域」に指定され、多くの人々が住む場所を失ってしまい、ふるさとを離れざるを得ませんでした。
また、移住した先では、地震による風評被害や差別を受けるなど、その時はいわれの無い苦しい思いをされたと伺っております。

しかし、現在では帰宅困難地域の指定もほとんどの地域で解除され、また市民の皆様の不屈の精神で復興に取り組んでおられるものと伺っております。

2025年時点で震災から14年であり、被災者の皆様に対しては改めてお見舞い申し上げます。

北極星を神様とする「妙見信仰」と、歌詞内容の若干の誤り

なお、歌詞には「妙見(みょうけん)詣でや試みん」とありますが、こちらで様々に調べたところ、どうも違うようです。

この地域で「妙見(みょうけん)」というと、いわゆる日本三大妙見の一つである「相馬妙見(そうまみょうけん)」のことをいい、前回説明したように相馬市にあります。
三大妙見のうち、もう一つは熊本県八代市、もう一つは大阪府能勢町(のせちょう)にあります。

相馬妙見とは

相馬妙見(そうまみょうけん)は、北極星を神様とする、平氏や相馬氏によって代々信仰されてきた神様であることは、前回説明しました。

歌詞の内容に、若干の誤り?

そしてこれは南相馬市ではなく、妙見さまを代々深く信仰してきた相馬藩がおかれた相馬市にあります。

もしかしたら南相馬市にもあるのかもしれませんし、私の調査不足かもしれませんが、鉄道唱歌の歌詞の誤植ともいえるかもしれません。

鉄道唱歌は歴史や地理の勉強にすごく役立つのですが、残念ながら正確でない情報がいくつか混じっていることは、これまで何回か触れてきました。

例えば、

東海道編・第21番

「わたればここぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞の道」

 →実際は宇津ノ谷峠よりも海側のルートを通っている

詳しくは、以下の記事をご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第21番 静岡に到着!徳川家康が幼少期と晩年を過ごした地
鉄道唱歌 東海道編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

山陽・九州編33番

「中津は豊後の繁華の地」

 →豊後ではなく、豊前(ぶぜん)

詳しくは、以下の記事をご覧ください。

鉄道唱歌 山陽・九州編 第33番 中津に到着!頼山陽の耶馬溪、そして福澤諭吉生誕の地
鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

奥州・磐城編第32番

「一の関より陸中ときけば南部の旧領地」

 →一ノ関は南部氏ではなく、伊達氏の旧領地

詳しくは、以下の記事をご覧ください。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第32番 一ノ関に到着! ここから岩手県へ
鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

などです。

どんな書籍や文献でも、人間が書く以上、どうしても思い込み勘違いというものが入るので、こうした誤りは仕方ないでしょう。

そして、私のこのブログも(充分に調べた上で書いてはいますが)多くの誤りがあるかもしれません。
いつもお願いしていることですが、誤りに気付かれた場合は勉強し直しますので、優しい口調で教えていただければ幸いです(^^;)

次は、浪江・双葉へ

南相馬市を出ると、次は浪江町(なみえちょう)、双葉町(ふたばちょう)方面へ進んでいきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

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