鉄道唱歌 奥州・磐城編 第54番 日立市と常陸炭鉱、そして那珂湊の歴史 やがて水戸へ

まずは原文から!

助川(すけがわ)さして潮(しお)あびに
ゆけや下孫(しもまご)孫(まご)も子(こ)も
驛夫(えきふ)の聲(こえ)におどろけば
いつしか水戸(みと)は來(き)たりたり

さらに読みやすく!

助川(すけがわ)さして潮(しお)あび(浴び)に
ゆけ(行け)や下孫(しもまご)孫(まご)も子(こ)も
駅夫(えきふ)の声におどろけば
いつしか水戸(みと)は来たりたり

さあ、歌ってみよう!

♪すけがわさーして しおあびにー
♪ゆーけやしもまご まごもこもー
♪えきふのこーえに おどろけばー
♪いつしかみとはー きたりたりー

(常磐線)
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端

歌詞にある「助川(すけがわ)」とは、現在の茨城県日立市(ひたちし)にあたります。
日立駅(ひたちえき、茨城県日立市)は、明治時代の開業当時は助川駅(すけがわえき)と言う名前でした。

日立駅(日立市)

また、日立市には、歴史的に常陸炭鉱(ひたちたんこう)という、明治時代の首都圏や日本には欠かせない、エネルギー源となる石炭を掘り出していた炭鉱がありました。

日立市は、あの日立製作所の企業城下町であります。
日立製作所は、元々は常陸炭鉱の機械修理部門のような部署が発展して、大きな会社に発展しました。機械修理部門が徐々に技術力をつけ、一つの会社としてやっていけるだけの力を持ったため、常陸炭鉱から独立し、日立製作所が誕生したイメージです。

これは、山口県の宇部市にある、宇部興産(うべこうさん/現・株式会社UBE)という会社にも同じことがいえます。宇部興産も、元々は鉱山のいち機械設備部門が発展して、宇部興産という大きな会社になりました。
「石炭は掘り続けるといずれ無くなる」ことをあらかじめ想定していため、元々の鉱山事業から新たに生まれた機械に関する技術やノウハウをより発展させ、鉱山に依存しない新たな価値を生み出していったわけですから、すごいですね。
時代のニーズが変わっても、新たに仕事や事業のノウハウを造り出していける企業は強いといえます。

なお、日立グループのCMソングである「この木なんの木(正式名称は「日立の樹」)」という曲に出てくる大きな木は、ハワイのオワフ島にある木です。

日立駅からの太平洋の海の眺めは壮観です!
私は初めて日立駅に来たとき、「この巨大な大海原のはるか向こうには、アメリカ大陸があるんだなぁ」と、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんと同じことを思いました。
まさに、第44番でも歌われていたように、「ながめ果てなき海原は 亜米利加(あめりか)までや続くらん」ですね。

歌詞にある「下孫(しもまご)」とは、現在の常陸多賀駅(ひたちたがえき、茨城県日立市多賀町)にあたります。
常陸多賀駅は、1890年代の開業当初は、「下孫駅(しもまごえき)」という名称でした。

さらに、東海駅(とうかいえき、茨城県那珂郡東海村)にかかります。

東海村(とうかいむら)は、人口3万7000人あり、町制の要件(つまり、「東海町」を名乗る資格)は十分満たしています。
私は、東海村で降りたときはすごく町だと思いました。

なお、東海村の名前の由来ですが、藤田東湖(ふじた とうこ)という江戸時代の水戸藩主による詩にあるようです。しかし、あくまで私個人の予想ではありますが、それはかつて常陸国(ひたちのくに)のこの地域も、いわゆる「東海道」の一部だったことにあると予想しています。

現代で「東海道(とうかいどう)」というと、江戸(東京)の日本橋に始まり、京都の三条大橋に至る街道をイメージされるかと思います。これは江戸幕府が江戸~京都(延いては大坂)までの交通の便宜を図るために整備した道路です。
しかし、「東海道」という概念自体は、古くは奈良時代の律令制の時代からあったため、その当時は茨城県も東海道の一部でした
東海村というと、いかにも静岡県あたりにありそうな地名ですが、茨城県に東海村という地名があるのは、こうした歴史的経緯があるからかもしれません(※あくまで私の予想です!事実というわけではありませんので、参考までに受け止めていただければ幸いです。)。

さて、東海駅を過ぎると、かつては勝田市(かつたし。現在のひたちなか市)の駅だった勝田駅(かつたえき、茨城県ひたちなか市)に着きます。

茨城県ひたちなか市は、勝田市那珂湊市の合併により1994年にできました。
ひたちなか市には、かつての「東廻り航路」の重要な港だった「那珂湊(なかみなと)」があります。
東廻り航路とは、江戸時代に河村瑞賢(かわむら ずいけん)という人物が整備した、海の交通を便利にするためのルートです。昔は今と違って長距離トラック輸送や航空輸送、貨物路線などがなかったため、船で大量に荷物を運んでいく方が効率がよかったのです。
例えば、仙台藩で大量にとれたお米を、東廻り航路を利用して、利根川から関東地方に入り、江戸に供給します。
しかし、途中で乗組員も疲れますし、航海の途中で夜になるので、寄港(泊まる港)が必要なわけです。それが以前解説した平潟港(ひらかたこう。茨城県北茨城市)だったり、この那珂湊だったりするわけです。
しかし、当時は現代と違い、船で米を運んでいる途中で米が腐敗したり、海水に晒されたり、虫に食われたりすることが多々あったようです。
現代では「食の安全」の観点から厳重に管理されていますから、こうしたことは起こらないでしょう。

勝田駅を過ぎると、いよいよ窓の景色はビルが立ち並ぶ都会の様相を呈してくるようになります。
茨城県の県庁所在地である水戸市(みとし)の中心駅である水戸駅(みとえき、茨城県水戸市)に着きます。

水戸駅(水戸市)

水戸駅からは、鹿島臨海鉄道(かしまりんかいてつどう)大洗線(おおあらいせん)という路線が出ていますので、少しここで言及したいと思います。

鹿島臨海鉄道(かしまりんかいてつどう)大洗鹿島線(おおあらいかしません)は、1960年代に出来た鉄道路線としては比較的新しい時代にできた路線です。そのためか、綺麗な高架の上を走り、比較的直線が多いため線形のよい路線であると感じます。
途中、アニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台となった大洗(おおあらい)の最寄駅である大洗駅(おおあらいえき、茨城県東茨城郡大洗町)を過ぎます。
やがて、常陸国(ひたちのくに)の一宮(いちのみや)である鹿島神宮(かしまじんぐう)の最寄駅である鹿島神宮駅(かしまじんぐうえき、茨城県鹿嶋市)に至ります。
また、Jリーグのチームである鹿島アントラーズの本拠地もこの地域になります。

余談ですが、私(筆者)は、大洗鹿島線で大洗に向かうとき、アニメの舞台となった場所を探訪する(いわゆる、聖地巡礼)ということで、静岡県の伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)に乗るときのように頭の中でAqoursの「HAPPY PARTY TRAIN」が流れていました。(^^;)
大洗には、マリンタワーや、(アニメ内で)戦車で破壊された旅館など、ファンにはたまらない聖地巡礼ポイントがたくさんあります。
アニメの聖地巡礼はもはや旅行のときの楽しみの一つであり、大洗や静岡県沼津市に限らず、岐阜県多治見市(「やくならマグカップも」)や、千葉県館山市(「戦翼のジグルドリーヴァ」)などがあります。たとえアニメを観たことなくとも、街の装飾などを眺めるだけでもそれなりに楽しめたりします。地元の自治体としても、アニメを観光事業として大いに活用した「町興し」が積極的に行われています。

水戸に着いたら、駅周辺は都会でお店も多いので、無理をせずに列車を降りて休憩しましょう!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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