鉄道唱歌 奥州・磐城編 第57番 友部駅に到着! 栗の名所・笠間市 そして石岡市の常陸国府跡

まずは原文から!

つれだつ旅の友部(ともべ)より
わかるゝ道は小山線(おやません)
石岡(いしおか)よりは歌によむ
志筑の田井(しづくのたい)も程(ほど)ちかし

さらに読みやすく!

つれだつ(連れ立つ)旅の友部(ともべ)より
わかるる(分かるる)道は小山線(おやません)
石岡(いしおか)よりは歌によむ
志筑の田井(しづくのたい)も程(ほど)ちかし

さあ、歌ってみよう!

♪つれだつたーびの ともべよりー
♪わかるるみちはー おやませんー
♪いしおかよーりは うたによむー
♪しづくのたいもー ほどちかしー

(常磐線)
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)

(水戸線)
友部駅→岩瀬駅→下館駅→結城駅→小山駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端

水戸駅を西へ出発して、赤塚駅(あかつかえき、茨城県水戸市)、内原駅(うちはらえき、茨城県水戸市)を過ぎると、小山(おやま)方面へ続く水戸線との分岐点である、友部駅(ともべえき、茨城県笠間市)に到着します。

友部駅(笠間市)

歌詞では「つれだつ旅の友部より」とありますが、これは「旅の友(とも)」と「友部(ともべ)」という地名を掛け合わせた、いわゆる「掛詞(かけことば)」といわれるものです。
掛詞(かけことば)は、古くから日本の歌で用いられてきた、一種の美しい言葉あそび、または洒落のようなものです。
このように鉄道唱歌では、多くの掛詞が使われています。

また、友部駅から西へ分岐して栃木県小山市(おやまし)の小山駅方面へ続く線路は、「水戸線(みとせん)」といいます。しかし、歌詞では「小山線(おやません)」と歌われています。

水戸線については以前説明した通りですが、改めて簡単に復習しておきましょう。
水戸線は、小山駅(おやまえき、栃木県小山市)から友部駅を結ぶ鉄道路線です。
しかし、そもそも、水戸駅が含まれていないのに、なぜ水戸線っていうの?というのは誰もが疑問に思うと思います。

水戸線は、明治時代の1890年代に水戸鉄道(みとてつどう)という民間鉄道会社によって作られた、元々は本当に水戸駅までを結ぶ路線でした
しかし、後に友部駅~水戸駅の区間が常磐線の区間になったため、水戸線という名前だけが残って現在に至っています。

友部駅は、(くり)の生産で有名な茨城県笠間市(かさまし)の駅です。

茨城県笠間市(かさまし)は、(くり)の名産地として有名です。
なぜ笠間市が栗の生産に適しているのかというと、栗の生産に適した気候や土地が確保できたこと、また栗は縄文時代から生産されてきたそうなので、栗の生産の技術やノウハウが子孫に代々受け継がれてきたことが大きいでしょう。
もし、例えば笠間市の若者がいきなり「リンゴ畑をやるぞ!」といっても、親世代は栗専門のプロフェッショナルですし、安くて高品質なリンゴの作り方まではさすがに知らないでしょうから、教えることができません。しかもリンゴは夏の蒸し暑さを嫌うので、青森のような冷涼な地域でしか育ちません。ネームバリューでも青森のリンゴに負けてしまい売れるわけがないので、やはり地域の伝統や先人のノウハウを継承(親のあとを継ぐ)という意味でも、笠間市の若者が何か農業をやろうと思ったら、笠間市の栗のブランドを生かした栗の生産がベストであるという結論に落ち着くでしょう。

友部駅の発車メロディーには、茨城県笠間市にゆかりのあるアーティストである坂本九(さかもと きゅう)さんの「明日があるさ」「上を向いて歩こう」「幸せなら手を叩こう」などが採用されています。

坂本九(さかもと きゅう)さんは、1960年代~1980年代の日本の音楽シーンを牽引した代表的存在です。
1941年に神奈川県川崎市で生まれ、戦時中の疎開のために幼少期を茨城県笠間市で過ごされました。
川崎出身ということもあり、川崎駅の発車メロディーには「上を向いて歩こう」が使用されています。
上を向いて歩こう」は日本国内でなんと3ヶ月連続1位、アメリカのビルボードチャートでも3週連続1位を記録するなど、国内ならず海外でも圧倒的な知名度と人気を誇りました。
高度経済成長期を支えてきた団塊の世代の人々にとっては誰もが知るほどのお馴染みのアーティストでしたが、残念ながら1985年8月12日に起きた日航機墜落事故により亡くなられてしまいました。

なお、私は日航機墜落事故の映像を知ってから飛行機恐怖症に陥ってしまいました。(^^;)というか、私に限らずあの事故がきっかけで飛行機に乗れなくなったという人は多いと思います。
しかし、飛行機事故で死ぬ確率は数千万~1億分の1くらいだそうです。飛行機はこれでもかというほどの安全対策がなされているため、飛行機に何千万回乗ってもまず死ぬ方が難しいということになります。
飛行機は空を飛ぶため、地上と比べて障害物がありません。確かにこの世に絶対的な安全はありませんが、過去の悲惨な事故の教訓や、スタッフや保守員など人々の日々の努力によって安全は保たれています。
飛行機が離陸する前に整備員の皆さんが手を振ってくれるのは、「私たちが整備しましたから、安心して行ってらっしゃい!」というメッセージになります。彼らは本当の難関をくぐり抜けた、凄まじい集中力と技術力を誇る、選りすぐりのスペシャリストです。

茨城県石岡市(いしおかし)は、常陸国(ひたちのくに)の国府(こくふ)が置かれていた場所です。
常陸国(ひたちのくに)とは、現代の茨城県に該当し、国府(こくふ)とは現代でいうところの県庁に該当します。

また、かつての国には「一宮(いちのみや)」という、その国で最も格式の高い神社が置かれていました。常陸国の一宮は鹿島神宮(かしまじんぐう)になります。
鹿島神宮で祀(まつ)られている神様は、タケノミカヅチノミコトという、戦いの神様(軍神)です。
また、長野県の諏訪神社(すわじんじゃ)で祀られているタケミナカタノミコトも、いわゆる戦いの神様(軍神)として知られます。
こうした軍神は、昔から武将たちに戦に勝つために戦勝祈願のために信仰されたほか、現代でもスポーツなど大事な試合に勝つために必勝祈願をされる対象となるのが、こうした軍神を祀っている神社になります。

なお、歌詞にある「志筑の田井(しづくのたい)」は、現在の石岡市にあったと伝えられる井戸のことを言います。あくまで昔の歌に詠まれた(つまり、昔の歌に登場する)ものであり、実際に志筑の田井がどこにあったのかはわからないようです。
この地域が昔の日本において「ヤマトタケルノミコト」や関東平氏などの影響力にあったことは、これまで何度か説明してきました。
ヤマトタケルノミコトは、日本神話における東国(現在でいうところの大体東海地方~関東地方あたり。「板東」ともいう)の遠征で、この辺りに来たことも伝えられています。

しかし、ヤマトタケルノミコトと志筑の田井との関連性についてですが、例によって現代では情報が少なく、沢山調べましたがよくわかりませんでした(^^;) わかり次第、追って加筆します。

次は、土浦方面へ進んでいきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました