鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
筑波山の地理・歴史などを、初心者の方にもやさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
立てたる駒の如くにて
みゆる高嶺は男體と
女體そびゆる筑波山
さらに読みやすく!
立てたる駒の 如くにて
みゆる高嶺は 男体と
女体そびゆる 筑波山
さあ、歌ってみよう!
♪たてたるこまのー ごとくにてー
♪みーゆるたかねは なんたいとー
♪にょたいそびゆる つくばやまー
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端
窓の右側に当時のする、筑波山
土浦駅(茨城県土浦市)を過ぎると、窓の右側、もしくは右後ろには、
- 筑波山
という、二つのトンガリ帽子のような山がそびえ立ちます。

筑波山(画像不鮮明ですみません)(しかも写真は水戸線の車窓のものです)(茨城県)
男体山と女体山からなる筑波山
筑波山(標高877m)は、男体山と女体山の二つの大きな山からなる山です。
霞ヶ浦からもはっきり見える上、茨城県龍ケ崎市にある牛久沼からの筑波山の眺めもまたいいものです。
昔は
- 「山には神様が宿っている」
- または、「山そのものが神様である」
という考え方があったのでした(山岳信仰)。
そのため、筑波山もその山岳信仰の対象とされてきた、という歴史があります。
幕末に起きた「筑波山の戦い」
筑波山は、幕末に「筑波山の戦い」が起きた場所でもあります。
「筑波山の戦い」は、幕末の水戸浪士とよばれる人達が決起した戦いです。
水戸浪士とは、水戸学の影響を受けた、
- 「外国からの影響を排除して、自分たちの力だけでよい国を作ろう!」
と決意した武士たちです。
つまり、尊王攘夷という考え方です。
しかし、
- 「口で言っても聞かない相手には、武力など実力行使をもってしてでも、国を変えてやる!」
という考え方のため、当然ながら
- 「外国の考え方を受け入れて、新しい国を作っていこう!」
という考え方の人達との間で争いが起きてしまいます。
こうして、筑波山で水戸浪士の1グループである「天狗党」が決起して京都を目指し、尊王攘夷を実現するために西へ西へと進んでいきます。
そして、
- 群馬県から中山道ルートを通じて、長野県に入り、
- 軽井沢と諏訪湖(下諏訪町)の間にある、中山道の難所・和田峠に入り、
- ここで争いが勃発
してしまったのでした。
これを「和田嶺合戦」といいます。
中央線鉄道唱歌 第35番でも
と歌われています。
詳しくは以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

和田峠を攻略した天狗党 しかし福井・敦賀にて散る
和田峠を攻略した天狗党は、京都を目指してさらに西へ進んでいきます。
しかし、京都に入る前に足止めを食らい、劣勢に立たされて、北の敦賀(福井県敦賀市)まで退却します。
ここで力尽き、天狗党のリーダーだった武田耕雲斎は、斬首されてしまいます。
幕末の外国からの影響により新たな国を作ろう、という雰囲気があった中で、最期まで天皇や国に誇りを持ちながら散っていったのでした。
そんな武田耕雲斎のことは、鉄道唱歌 北陸編 第67番でも
松の木かげを指さして あれと子供はおしえたり」
と歌われていますね。
詳しくは以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

そういう意味では、鉄道唱歌は、すごく歴史の勉強になる、優れた教材となります。
こうして、鉄道や地理を通じて、歴史について知っていくのもとても面白いといえます。
歴史について知れば、鉄道の旅も面白いものになります。
次回も、筑波山の話題へ
次も筑波山の話題、そして列車は徐々に千葉・東京方面へと向かってゆきます!
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