鉄道唱歌 東海道編 第6番 大船駅で乗り替えて、鎌倉に寄り道へ

まずは原文から!

横須賀(よこすか)ゆきは乘替(のりかえ)と
呼ばれておるゝ大船(おおふな)の
つぎは鎌倉(かまくら)鶴が岡(つるがおか)
源氏(げんじ)の古跡(こせき)や尋(たず)ね見ん

さらに読みやすく!

横須賀(よこすか)ゆきは乗替(のりかえ)と
呼ばれておるる 大船(おおふな)の
つぎは鎌倉(かまくら)鶴が岡(つるがおか)
源氏(げんじ)の古跡(こせき)や尋(たず)ね見ん

さあ、歌ってみよう!

♪よこすかゆーきは のりかえとー
♪よばれておるるー おおふなのー
♪つーぎはかまくら つるがおかー
♪げんじのこせきや たずねみんー

(東海道線)
新橋駅→高輪ゲートウェイ駅→品川駅→大森駅→川崎駅→鶴見駅→東神奈川駅→横浜駅→大船駅→藤沢駅→大磯駅→国府津駅(→小田原駅・熱海駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
※鉄道唱歌の当時の「神奈川駅」と、現在の「東神奈川駅」は別の駅
※小田原駅・熱海駅は鉄道唱歌の当時のルートには含まれない

横浜駅を過ぎて、保土ケ谷駅(ほどがやえき、神奈川県横浜市保土ケ谷区)、戸塚駅(とつかえき、神奈川県横浜市戸塚区)と過ぎていくと、かつては東海道線の支線(しせん)扱いであり、現在では横須賀線(よこすかせん)との分岐駅である大船駅(おおふなえき、神奈川県鎌倉市大船)に到着します。

横浜市はとても広いので、東海道線の列車でかなりのスピードで飛ばしても約15分間くらいは横浜市の市域を走行し続けることになります。

保土ケ谷駅(ほどがやえき)は、かつて東海道五十三次(ごじゅうさんつぎ)の宿場町である「保土ケ谷宿(ほどがやしゅく)」があった場所であり、また日本橋から東海道の旅をスタートして、最初のきつい坂が待ち受けている難所である「権太坂(こんたざか)」のある山(高台)も列車の窓の左にきます。権太坂は箱根駅伝のエース区間である2区のランナーもここを走破します。
しかし鉄道は坂道に弱いので、権太坂は通らず、やや北の平坦な切り通し(?)的な所を通ります。切り通し(きりどおし)とは、山や丘などを削って、平らにした場所に作った道のことをいいます。

また、戸塚駅(とつかえき)には、駅直結のビルとして「トツカーナ」「東急プラザ戸塚」などがあり、スタバ・マクドナルド・コンビニ等もあるため買い物や飲食などの休憩に適しています。
朝東京を出発して、朝食がまだの人や、横浜駅周辺が人が多過ぎて買い物や飲食ができなかった、と言う場合にオススメです。

大船駅(おおふなえき)は、窓右側の大船観音寺にある、大船観音(おおふなかんのん)の、観音さまの大きな仏像がとても印象的ですよね。

大船駅(神奈川県鎌倉市大船)

大船駅からは、当時は東海道線の「支線」という扱いであり、現在では横須賀線(よこすかせん)と呼ばれる路線に乗り換え、鎌倉(かまくら)・逗子(ずし)・横須賀(よこすか)方面へ向かうことになります。

いわゆる、「寄り道」となります。

鉄道唱歌では、このような「寄り道」が多く用いられる傾向にあります。
その理由はやはり、鉄道ができたことによって、従来は遠くて行きにくかった場所でも行きやすくなった事が挙げられるでしょう。
また、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんにとって思い入れの深い場所には寄り道が行われたり、またそこに多くの歌詞が割り当てられる傾向にあります。
大船駅から横須賀線(当時は東海道線の「支線」という扱い)ができたことで、鎌倉への寄り道をしやすくなりました。

他の「寄り道」の例を以下に挙げます。

奥州・磐城編」では、宇都宮駅から日光線に乗り換えて、日光への参拝・観光をするシーンがあります。
日光見ずして結構という勿(なか)」という諺(ことわざ)・言い慣わしがあったからですね。

北陸編」では、新潟まで着くと、佐渡まで寄り道をしたりします。
江戸時代までは新潟までの長く険しい峠道を歩いて越えなければならなかったものを(上越国境)、信越本線が群馬県~長野県~新潟県の区間で開業したことによって、東京から新潟への移動のハードルが劇的に下がったため、新潟まで来たら佐渡まではあと少し、というレベルにまで旅の難易度が下がったからでしょう。

(上記はあくまで例です。鉄道唱歌では、この他にもたくさんの寄り道があります。

鉄道や交通の発展はここまで移動のハードルを下げ、容易にしたのだから、「大船まで来たら鎌倉にも寄っていきたくなる」「宇都宮まで来たら日光にも寄りたくなる」「新潟まで来たら佐渡にも行きたくなる」気持ちもわかるような気がしますね!

横須賀線に乗り換えると、歌詞にある通り、次は鎌倉駅(かまくらえき、神奈川県鎌倉市)に着きます。

鎌倉駅(鎌倉市)

神奈川県鎌倉市(かまくらし)は、言うまでもなく、鎌倉時代に鎌倉幕府が置かれていた街です。
歌詞にある「鶴ヶ岡(つるがおか)」とは、鎌倉市にある「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」という神社になります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)を初めとする一族である源氏(げんじ)によって、代々信仰されてきた「戦いの神様」である「八幡(やはた)の神」を祀(まつ)る神社です。

鎌倉観光や、鶴岡八幡宮については、次回も解説します!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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