鉄道唱歌 東海道編 第13番 御殿場線へ入り、山北駅・駿河小山駅を進む 複線時代の跡も

まずは原文から!

いでゝはくゞるトン子ルの
前後は山北(やまきた)小山驛(おやまえき)
今もわすれぬ鐵橋(てっきょう)の
下ゆく水のおもしろさ

さらに読みやすく!

いでて(出でて)はくぐる(潜る)トンネルの
前後は山北(やまきた)小山駅(おやまえき)
今もわすれぬ鉄橋(てっきょう)の
下ゆく水のおもしろさ

さあ、歌ってみよう!

♪いでてはくーぐる トンネルのー
♪ぜんごはやまきた おやまえきー
♪いーまもわすれぬ てっきょうの
♪したゆくみずのー おもしろさー

(御殿場線)
国府津駅→上大井駅→松田駅→山北駅→谷峨駅→駿河小山駅→足柄駅→御殿場駅→富士岡駅→裾野駅→下土狩駅(旧・三島駅)→大岡駅→沼津駅

※御殿場線は、鉄道唱歌の当時の東海道線
※上記は全駅ではなく、筆者の独断と偏見で主な駅をピックアップしたもの

国府津駅からは、御殿場線に乗り換えて山北駅・駿河小山駅方面へ

国府津駅(こうづえき、神奈川県小田原市国府津)からは、御殿場線(ごてんばせん)に乗り換え、山北駅(やまきたえき、神奈川県足柄上郡山北町)、駿河小山駅(するがおやまえき、静岡県駿東郡小山町)方面を目指すことになります
その後、御殿場線は富士山の麓(ふもと)の御殿場市(ごてんばし)を通り、最終的には静岡県沼津市の沼津駅(ぬまづえき)に至ります。

もちろん、急ぐ場合はそのまま東海道線で小田原・熱海経由で静岡方面へ向かえばよいのですが、鉄道唱歌の旅の気分を味わいたいときや時間に余裕があるときは、御殿場線に乗っていくとよいでしょう

鉄道唱歌の当時の東海道線は、現在の御殿場線だった

御殿場線(ごてんばせん)は、前回も少し解説しましたが、元々は東海道線でした。鉄道唱歌の発表当時の西暦1900年は、現在の御殿場線が東海道線という扱いだったのです。

元々、明治時代に東海道線が建設されていく当初は、鉄道は坂道に弱いため、まともにいけば箱根の山を越えることはできませんでした。そのため、箱根の山を北へ大きく迂回する経路が選ばれたのです。
しかし、それでも勾配はきついことに変わりなく、国府津駅または沼津駅で、補助機関車という車両を付けないと坂道を登れないという状況でした。

このように、御殿場線は箱根の山を大きく北へ迂回し、しかもそこそこ勾配もきついため、東京から静岡・名古屋・大阪方面へ向かう際のボトルネック区間となっていました。

それを解決するために、1918年から「丹那トンネル(たんなトンネル)」という、静岡県熱海市から静岡県函南町に至る、約8kmにも及ぶ当時としてはあり得ないほどの長大なトンネルを掘る工事が進められました

しかし、この工事はとにかく前代未聞の難工事でした。現在の「シールド工法」などのような、巨大な機械で安全に掘り進む技術がなく、人々の手で掘り進めていく工事でした。その結果、トンネルが崩落する「落盤(らくばん)」事故や、大量の地下水が溢れ出てトンネル内が水浸しになり多くの人が溺死する事故、さらにトンネルの奥深くに酸素が行き届かない、いわゆる酸素欠乏性に陥る事故などが多発しました。

丹那トンネルは、こうした前代未聞の苦労により、16年後の1934年にようやく開通しました
この時に犠牲になった人々の慰霊碑が、熱海側と函南側のトンネル出入口に存在します。

丹那トンネルが開通してからは、東海道線は小田原・熱海経由となり、かなりの時間短縮となりました。
また、これにより小田原市三島市などに本格的に鉄道線路がきたことで、一時は鉄道から取り残されたこれらの街は、活況を呈(てい)することになりました
一方、東海道線時代は富士登山の観光拠点として賑わっていた御殿場市は、東海道線のルートから外れたことで苦境に陥ることになりました
なので、そうした御殿場市に配慮し、国府津~御殿場~沼津間の新たな路線名は御殿場市の要望もあり「御殿場線」と改められました。

御殿場線は、現在でこそ単線(たんせん。1本の線路で双方向の列車を共有すること。そのため、どこかの駅で行き違いのための待ち合わせをする必要がある)ですが、元々は東海道線の主要路線だったこともあり、複線(ふくせん。2本の線路を使うこと。行き違いの待ち合わせが必要ないため、コストはかかるが列車の流れはよくなる)でした
しかし、太平洋戦争(大東亜戦争)のとき、日本軍が鉄不足に陥ったため、御殿場線の線路の片方は撤去されてしまいました。
それで、現在の単線に至っています。
しかし、複線だった頃の名残はあちこちに残っており、特に山北駅~谷峨駅間で見られる「現在は使っていない、どう見ても明治時代に作られたトンネル」や、「明らかに明治時代に作られたレンガ造りの(橋のない)橋げた」が登場します。
これは後ほど解説します。

国府津駅を出発し、山北・駿河小山方面へ

国府津駅を出ると、周囲には数多くの機関設備が登場します。これは、かつて御殿場線は勾配がきつかったため、厳しい坂道を克服するための補助機関車を付けたり、外したりする設備やスペースが必要だったからでした。これは、反対側の沼津駅にも同じことがいえます。こうした設備があると、そこで働く人も増え、また付け替え作業の間に人々は降りて「そば」などを食べたりするので、駅周辺は活況を呈(てい)することになります。逆にいうと、列車のスピードや性能が上がったり補助機関車が不要になると、「そば屋」なども不要になってしまうため、駅周辺の街は新たな観光資源を生み出さなければなりません。

珍駅名の一つ「上大井駅」に停車

やがて、いわゆる「珍駅名」のひとつである、「上大井駅(かみおおいえき、神奈川県足柄上郡大井町上大井)」に着きます。

上大井駅(かみおおいえき)は、高知県の「半家駅(はげえき、高知県四万十市西土佐半家)」や北海道の「増毛駅(ましけえき、北海道増毛郡増毛町)」と並んで、いわゆる頭髪の量を増やしたい方の縁起担ぎの鉄道旅の途中駅として知られる駅です。
なお、残念ながら北海道の留萌本線(るもいほんせん)の留萌駅~増毛駅間は2016年に廃止されてしまい(2023年4月には留萌駅~石狩沼田駅間も廃止)、半家駅から増毛駅までの直接の鉄道旅はできなくなりましたが、増毛駅跡は開業当初の駅舎を復元してリニューアルされているなどのおもてなしがあります。

上大井駅(神奈川県足柄上郡大井町)

他にも、いわゆる「珍駅名」としてパッと思いつくのは、群馬県富岡市の「南蛇井駅(なんじゃいえき)」、埼玉県深谷市の「小前田駅(おまえだえき)、高知県南国市の「御免駅(ごめんえき)」、島根県大田市の「馬路駅(まじえき)」、奈良県吉野郡の「六田駅(むだえき)」、島根県出雲市の「揖屋駅(いやえき)」、秋田県真室川町の「及位駅(のぞきえき)」、北海道蘭越町の「昆布駅(こんぶえき)」、京都府南丹市の「胡麻駅(ごまえき)」、北海道の「於札内駅(おさつないえき)」、大阪府の「放出駅(はなてんえき)」などがあります。

ごめん」に対する「許す」駅はないんですかね・・・(^^;) 日本では謝ることは美徳なので、犯罪でも無い限りせっかく相手が謝ってきたら許してあげたいものです。
なお、於札内駅は2020年に廃止されました。また、放出駅は難読駅名の代表格として知られます。北海道はアイヌ語由来の駅名が多く、必然的に難読駅名や珍駅名が多くなります。また、大阪府には他にも名だたる難読駅名が多いことで知られます。
どれも駅名標がユニークで面白く、笑えるものもあります。
青春18きっぷ等で途中下車の旅をされるときは、このように「珍駅名」をめぐる旅をされるのもよいと思われます。

珍駅名関係にスペースを割きすぎて申し訳ありません。まさに御免駅ですね。
珍駅名シリーズについてはもっと書きたいことが山ほどあるので、また別の機会でたっぷり紹介していきます!

小田急線との交差点・松田駅に到着

途中、松田駅(まつだえき、神奈川県足柄上郡松田町)という小田急線との交差点に着きます。
松田駅では、新宿方面から来た小田急線の特急列車が御殿場方面へ行けるよう、JR線との接続線路があります。
小田急線(おだきゅうせん)とは、東京都の新宿(しんじゅく)を出発して西へ西へと進み、東京都町田市(まちだし)や神奈川県海老名市(えびなし)・厚木市(あつぎし)・秦野市(はだのし)などを経由して小田原市に至る路線です。JR東海道線とは、東京都~小田原間で競合関係にあります。

山北駅へ到着、やがて険しい山岳地帯へ 複線時代の名残をとどめる、数々のトンネル

山北駅(やまきたえき、神奈川県足柄上郡山北町)~谷峨駅(やがえき、神奈川県足柄上郡山北町)間では、ここからいよいよ御殿場線の見所満載の区間となります。

山北駅(神奈川県足柄上郡山北町)
山北駅(神奈川県足柄上郡山北町)

山北駅を出ると一気に山岳地帯のような景色に変わるのですが、ここで列車の前方に注目し続け、トンネルが来るのを待ちましょう。

なんと、左側に明らか明治時代に造られた(今は使われていない)トンネルの入口が登場するのです!
これは冒頭で説明した、戦前の複線時代の名残となります。
複線時代は、もう一つのトンネルも使っていたんですね!
この付近では、こうしたトンネルをいくつか潜っていきます。これは歌詞にある通りですね。

左側が、複線時代の現在は使われていないトンネル跡。(御殿場線)

複線時代の橋げたのみが残る鉄橋を渡る

さらに、線路と並行している酒匂川(さかわがわ)を何度か橋梁(きょうりょう。橋のこと)を渡っていきます。
この時、明らかに明治時代に造られた古いレンガ造りの橋げたが左側に登場します!

左側が、複線時代の今はレールが取り外された鉄橋(御殿場線)

線路は見事に撤去され、橋げたのみになっています。
これも、複線時代の名残といえます。
なお、歌詞にある「下ゆく水」とは、酒匂川の水のことをいいます。

静岡県(駿河国)へ入る 鮎沢川に沿い、駿河小山駅へ

谷峨駅を出ると、ここで静岡県との県境を越え、ここから静岡県に入ります。
また、ここまで線路と並行していた酒匂川(さかわがわ)も、静岡県からは鮎沢川(あゆさわがわ)という名前に変わります。

やがて、静岡県に入ってから最初の駅となる駿河小山駅(するがおやまえき、静岡県駿東郡小山町)に到着します!

駿河小山駅(静岡県駿東郡小山町)
駿河小山駅(静岡県駿東郡小山町)

駿河小山駅を出たら、いよいよ前方には巨大な富士山が景色に姿を現します。
ここからは、次回解説します。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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