鉄道唱歌 東海道編 第26番 天竜川と、はるか北の水源の諏訪湖

まずは原文から!

この水上(みなかみ)にありと聞く
諏訪(すわ)の湖水(こすい)の冬げしき
雪と氷(こおり)の懸橋(かけはし)を
わたるは神(かみ)か里人(さとびと)か

さらに読みやすく!

この水上(みなかみ)にありと聞く
諏訪(すわ)の湖水(こすい)の冬げしき
雪と氷(こおり)の懸橋(かけはし)を
わたるは神(かみ)か里人(さとびと)か

さあ、歌ってみよう!

♪このみなかーみに ありときくー
♪すーわのこすいの ふゆげしきー
♪ゆーきとこおりの かけはしをー
♪わたるはかみかー さとびとかー

(東海道線)
沼津駅→富士駅→富士川駅→興津駅→清水駅→静岡駅→安倍川駅→焼津駅→藤枝駅→島田駅→掛川駅→袋井駅→磐田駅(旧・中泉駅)→天竜川駅→浜松駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ抜粋

磐田駅(いわたえき、静岡県磐田市)を過ぎ、さらに豊田町駅(とよだちょうえき、静岡県磐田市)を過ぎると、天竜川(てんりゅうがわ)を渡って、浜松方面へ向かいます。

天竜川を渡ったところに天竜川駅(てんりゅうがわえき、静岡県浜松市)という駅があるのですが、天竜川へ行くには天竜川駅から徒歩で行くとかなり遠いので(約1km)、一旦浜松駅まで行き、バスで向かうことをお勧めします。

「この水上(みなかみ)」とは、 天竜川の上流のことであり、水源となる長野県の諏訪湖(すわこ)のことです。
天竜川は、諏訪湖から流れる一級河川(いっきゅつかせん)です。

一級河川とは、経済的にも安全面でも周辺の町に影響の大きい川のことをいい、「河川法(かせんほう)」という法律で国から指定された川のことをいいます。
つまり、一級河川に国から指定された川は、うまく利用すると周辺の街に大きな経済的なメリットを発揮します。しかし、川をうまく利用管理できなければ、氾濫して街が大惨事になったり、飲み水がうまく供給できなかったり、作物が育たなかったりします。
それだけ、一級河川の管理や利用は重要なのです。

天竜川はかつて、江戸時代に角倉了以 (すみのくら りょうい)いう人物によって、木材運搬の為に開削された歴史があります。
なぜ木材運搬が必要だったのかというと、奈良の東大寺の改修や都のお城・武家屋敷などの改修・増築などに必要だったからです。
そしてなぜ、川の開削が必要だったのかというと、天然の川は岩がゴツゴツしていて、そのままでは船を通すことができません。そのため岩を削って、十分な深さを保って船が通りやすくするために開削工事が必要なのです。
なお、角倉了以(すみのくら りょうい)という人物は、江戸時代に京都の高瀬川(たかせがわ)や保津川(ほづがわ)の開削を行い、京都の街に船を通すことが容易にできるようにしたことで知られます。また、静岡県の富士川(ふじかわ)の開削も彼が行い、船を通しやすくしました。

そして、この辺りは中央線鉄道唱歌と被るのですが、天竜川の上流・水源となる、長野県の諏訪湖(すわこ)について簡単に説明します。
今回はメインではないのでそこまで詳しく解説はしないつもりであり、あくまで概要程度の説明にとどめます。

諏訪湖(すわこ)は長野県諏訪市(すわし)、下諏訪町(しもすわちょう)、岡谷市(おかやし)などに跨(また)がる、周囲約16kmの湖です。

長野県諏訪市(すわし)は、明治時代より著しく工業が発展した都市でした。
特に諏訪市は精密工業が盛んであることで知られ、またセイコーエプソンの本社があることで知られています。
セイコーエプソンは、略してEPSON(エプソン)のブランドで有名であり、プリンター等の製品で知られます。
1943年に工場が疎開してきて、長野県の多くに開発拠点を持ちます。
明治時代から水が豊富だった諏訪湖周辺は、現在の岡谷市(おかやし)などを中心に製糸業が盛んでした。
そして戦時中、多くの会社が疎開のために諏訪市に退避してきたのでした。
それが現在の諏訪市の大きな発展につながっています。
諏訪市は東洋のスイスとも呼ばれる街です。
精密機械を造るためには、豊富な水と、澄んだ綺麗な空気が必須なため、長野県や諏訪盆地は精密機械の製造に適しているのです。

諏訪市には諏訪神社(諏訪大社)という大きな神社があり、こちらは信濃国(しなののくに)一宮(いちのみや)となっています。
一宮というのはその国で最も大きな、格式の高い神社のことを言います。
つまり長野県つまり信濃国(しなののくに)で最も格式の高い神社は諏訪大社(すわのたいしゃ)ということになります。

諏訪大社は全国にある諏訪神社(すわじんじゃ)の総本社となっています。
諏訪大社で祀られている神様は、建御名方命(タケミナカタノミコト)という戦いの神様です。つまり「軍神(ぐんしん)」です。
軍神として他にも知られているのは、いわゆる「八幡宮」における源氏から代々信仰されてきた八幡の神、そして神話でいくつもの困難を克服してきた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や素戔嗚尊(スサノオノノミコト)などが存在します。
昔は戦乱の世の中でしたから、こうした軍神は多くの武将から戦(いくさ)に勝つために信仰されてきました。
また、こうした軍神達は戦いの神様なので、現代ではスポーツなど大事な試合に勝つために、必勝祈願で訪れる人たちが多くなっています。

諏訪市(すわし)の西には下諏訪町(しもすわちょう)という町があります。
下諏訪町(しもすわちょう)は 下諏訪宿(しもすわしゅく)で栄えた交通の要所でした。
そして、下諏訪宿は中山道(なかせんどう)と甲州街道(こうしゅうかいどう)との合流点・分岐点でありました。
甲州街道(こうしゅうかいどう)とは、江戸を出発して内藤新宿(現在の東京都新宿区にあった宿場町)を通り、さらに現在の中央線に沿って山梨県に入り、長野県の下諏訪町に至るルートです。
中山道(なかせんどう)において、下諏訪町は和田峠(わだとうげ)という険しい峠を下ってきた、旅人の安らぎの場でした。

諏訪湖は標高が約700mという東京スカイツリーよりも高い位置にある「高原」であるため、夏は涼しくなります。そしてそんな涼しい湖上の船遊びは、とても観光客には魅力的です。
アヒルボート(スワンボート)が印象的ですね。

諏訪湖は湖が凍ると、まるで神様が渡ったかように、湖上に亀裂ができます。
これは「御神渡り(おみわたり)」といい、凍った湖に出来る亀裂が、まるで神様が湖上を渡って歩いたかのような様子をいいます。

諏訪大社は、諏訪市の上社(かみしゃ)と下諏訪町の下社(しもしゃ)に分かれています。
上社は男性の神様で、下社は女性の神様になります。
そのため、男の神様が湖の上を歩いて女の神様に会いに行ったそうです。
この様子がまるで神様が湖の上を渡ってるように感じられるのです。

また、冬は湖が凍るので、湖上のスケートを楽しむことができます。
ただ、近年は気温の高い冬が多く、なかなか湖が凍らないためスケートが難しいようです。

歌詞には
「雪と氷の懸け橋を わたるは神か里人か」
とありますが、それはここまで説明してきた通り、それは神様の湖上の歩行だったり、冬の湖上のスケートのことを表現しているものと思われます。

詳しく書けばもっとたくさん書くことはあるのですが、今回はメインではないため、これらの事は諏訪湖や諏訪大社・長野県諏訪市・下諏訪町・岡谷市などについて歌われている中央線鉄道唱歌の時にまたさらに詳しく解説します。

天竜川を渡ると次はいよいよ、浜松市の中心部に近づいてきます。
浜松駅はあと少しです。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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