まずは原文から!
めぐみ熱田(あつた)の御(み)やしろは
三種の神器(さんしゅのじんぎ)の一つなる
その草薙(くさなぎ)の神つるぎ
あふげや同胞(どうほう)四千萬(しせんまん)
さらに読みやすく!
めぐみ熱田(あつた)の御(み)やしろは
三種の神器(さんしゅのじんぎ)の一つなる
その草薙(くさなぎ)の神つるぎ
あおげや同胞(どうほう)四千万(しせんまん)
さあ、歌ってみよう!
♪めーぐみあつたの みやしろはー
♪さんしゅのじんぎの ひとつなるー
♪そのくさなーぎの かみつるぎー
♪あおげやどうほう しせんまん
(東海道線)
浜松駅→舞阪駅→弁天島駅→豊橋駅→蒲郡駅→岡崎駅→南大高駅→大高駅→熱田駅→名古屋駅→岐阜駅→大垣駅→関ヶ原駅→米原駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
熱田駅(名古屋市熱田区)へ到着
大高駅(おおだかえき)・笠寺駅(かさでらえき)を過ぎると、熱田神宮(あつたじんぐう)の最寄り駅である、熱田駅(あつたえき、愛知県名古屋市熱田区)に到着します。
厳密には、名鉄名古屋本線の神宮前駅(じんぐうまええき)の方が最も熱田神宮の入口に近いため便利なのですが、JR東海道線においてはやや北にある熱田駅が最寄り駅となります。

「三種の神器」の1つ「草薙の剣」が祀られる、熱田神宮
熱田神宮(あつたじんぐう)とは、「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)が祀(まつ)られている神社です。
ヤマタノオロチの尻尾から出てきた、草薙の剣
草薙剣(くさなぎのつるぎ)とは、島根県の奥出雲(おくいずも)の方で、かつて斐伊川(ひいがわ)の上流で素戔嗚尊(スサノオ)がヤマタノオロチを倒した時に、尻尾(しっぽ)から出てきた剣です。
ヤマタノオロチとは、日本神話に登場する、頭と尻尾が8つある怪物のことです。
斐伊川とヤマタノオロチについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
草薙の剣で敵を追い払った、焼津
この草薙の剣で草を薙(な)ぎ倒し、敵を追い払った場所を、「(剣で)焼き払った港町」ということで、焼津(やいづ。静岡県焼津市)という地名の由来になっています。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
「三種の神器」とは?
三種の神器とは、
- 草薙の剣
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
- 八咫の鏡(やたのかがみ)
のことです。
なお、
- 八尺瓊勾玉は、東京都千代田区の皇居に
- 八咫の鏡は、三重県伊勢市の伊勢神宮に
それぞれ存在していると言われています。
三種の神器はあまりにも神聖であるため、天皇陛下ですら(三種の神器を)見てはならないと言われています。
歌詞の「あおげや同胞四千万」とは?
歌詞にある「あおげや同胞四千万」というのは、当時(明治時代)の日本の人口が約4,000万人だったことからきています。
あおぐ(仰ぐ):尊ぶ、尊敬する
つまり、日本人全員で、草薙の剣を尊(たっと)ぼう、というような意味になるでしょう。
鉄道唱歌が作られた明治時代は、今よりも「天皇崇拝」「軍事的な思想」が強かった時代ですから、こうしたちょっと「国民一丸となって戦おう」みたいな歌詞になってしまっているのかもしれません。
現代の我々からするとちょっと馴染めない価値観ですが、時代が時代なので、それはある意味仕方ないでしょう。
東海道最大の宿場町・宮宿で栄えてきた名古屋
もともと愛知県名古屋市(なごやし)は名古屋城の城下町であり、また熱田神宮の前にある宮宿(みやしゅく)のある町としても栄えました。
熱田神宮の前には宮宿(みやしゅく)という宿場町がありました。宮宿は、江戸時代の東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)における、全53もの宿場町のうちの1つです。
宮宿(みやしゅく)は、東海道最大の宿場町ともいわれ、最大で約240もの旅籠(はたご)があったと言われています。
旅籠(はたご)とは、庶民が泊まるための宿場のことを言います。その宿泊費の相場は、現在価値でだいたい3,000円~5,000円ぐらいだったと言われています。
伊勢国・桑名までを海上で結んだ「七里の渡し」
宮宿(みやしゅく)は、熱田神宮へ通じる道が存在しているほか、これから伊勢国の桑名(くわな。三重県桑名市)まで続く海上のルートである 「七里の渡し(しちりのわたし)」を控えた旅人たちで賑わいました。
熱田神宮の近くには、この「七里の渡し」の跡があります。
七里の渡しとは、名古屋・熱田神宮の付近から船出して、海を渡り、三重県桑名市に至る7里(約28km)に及ぶ海上のルートです。
なぜ七里の渡しがあるのかと言うと、いわゆる木曽三川(きそさんせん)によって橋をかけるのが困難だったからと言われています。
木曽三川(きそさんせん)とは、
- 長良川(ながらがわ)
- 揖斐川(いびがわ)
- 木曽川(きそがわ)
という、とても大きな3つの川です。
これらの川はとても大きいので、橋を簡単にかけることはできませんでした。
仮に橋をかけたとしても、昔の技術では嵐や豪雨で川が氾濫したときに、簡単に流されてしまっていたのでした。
そのため「橋を最初からかけずに、海上を船で人を運べばいい」という考えのもとに生まれたのが、七里の渡しでした。
しかし、七里の渡しは天気もよく荒れ、波で船が揺れるため、船酔いをする人達も多く、そうした人たちからは敬遠されていました。
そのため佐屋街道(さやかいどう)と呼ばれる、やや内陸の道がありました。
佐屋街道は、現在の愛知県愛西市(あいさいし)あたりを通るルートであり、関西本線・近鉄線のやや北を通ります。
熱田駅を出たら、名古屋へはあと少し
熱田神宮の参拝が終わり、そのまま名古屋市街地へ戻りたい場合は、冒頭で述べたように名鉄名古屋線「神宮前駅」から乗って帰るのが便利です。
しかし、以下は便宜上、再び熱田駅から鉄道旅を再開する前提で書きます。
熱田駅を出ると、中央線との合流点である金山駅(かなやまえき、愛知県名古屋市中区金山)に着きます。
金山駅は中央線との合流点であり、東京駅から東海道線に乗ってはるばるここまで来られた方にとっては、本当に久しぶりに中央線と再会するということになります。
中央線と金山駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
金山駅を出ると、次はいよいよ名古屋駅へ到着します!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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