鉄道唱歌 東海道編 第34番 名古屋に到着!輝く金の鯱、そして織田信長ゆかりの岐阜

まずは原文から!

名たかき金の鯱(しゃちほこ)は
名古屋(なごや)の城の光なり
地震(じしん)のはなしまだ消きえぬ
岐阜(ぎふ)の鵜飼ひ(うかい)も見てゆかん

さらに読みやすく!

名たかき金の鯱(しゃちほこ)は
名古屋(なごや)の城の光なり
地震(じしん)のはなしまだ消きえぬ
岐阜(ぎふ)の鵜飼い(うかい)も見てゆかん

さあ、歌ってみよう!

♪なたかききーんの しゃちほこは
♪なごやのしろのー ひかりなりー
♪じしんのはーなし まだきえぬー
♪ぎーふのうかいも みてゆかんー

(東海道線)
浜松駅→舞阪駅→弁天島駅→豊橋駅→蒲郡駅→岡崎駅→南大高駅→大高駅→熱田駅→名古屋駅→岐阜駅→大垣駅→関ヶ原駅→米原駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

名古屋へ到着!名古屋駅の場所は豊臣秀吉の出身地「尾張中村」

刈谷(かりや)・大府(おおぶ)方面から北上し、金山駅(かなやまえき、愛知県名古屋市熱田区・中区)を過ぎると、窓の周辺は巨大な高層ビルが立ち並ぶ大都会の様相を呈してきます。
名古屋市の中心駅である、名古屋駅(なごやえき、愛知県名古屋市中村区)に到着です。

名古屋駅(愛知県名古屋市中村区)
名古屋・JRセントラルタワーズ(名古屋市)

名古屋駅はすべての新幹線「のぞみ」も止まる大きな駅であり、また駅は豊臣秀吉が生まれた「尾張中村」に相当する名古屋市中村区に存在します
現在の名古屋駅のやや西が秀吉の生誕地であり、秀吉は「豊太閤(ほうたいこう)」と呼ばれていたので、名古屋駅の西口に「太閤口(たいこうぐち)」という出入口があります。

人口230万人の大都市・名古屋市

愛知県名古屋市(なごやし)は愛知県の県庁所在地であり、人口約230万人の大都会です。東京・名古屋・大阪市の3つの主要都市を総称して「東名阪(とうめいはん)」という表現もなされます。

中央線鉄道唱歌第68番によれば、名古屋は「三府に続く大都会」とあります。
三府(さんぷ)」とはいわゆる明治時代における東京府・大阪府・京都府のことをいいます。
いわゆる「東京府東京市」は、1943年には現在の「東京都」と「特別区」に改められました。「市」から23の特別区に変わったイメージです(なお当初は35区存在しており、23区になったのは1947年から)。

名古屋城の空に輝く、金の鯱(しゃちほこ)

名古屋は名古屋城の「金のシャチホコ(鯱)」で有名です。シャチホコ(鯱)とは、城の頭上につく二つの飾りのことです。

名古屋城(名古屋市)。頭の上に、2つの金の輝くシャチホコがある

「手羽先」「きしめん」「金時計」「ナナちゃん人形」名古屋の名物・名所を楽しもう

名古屋駅の待ち合わせ場所の定番・金時計

そして名古屋は「手羽先(てばさき)」や「きしめん」などの名物でも知られます。
名古屋駅周辺には「ナナちゃん人形」の名物や待ち合わせの定番「金時計」などがあります。
名古屋では、名古屋駅のことを「名駅(めいえき)」と呼ぶそうです。
名古屋あたりから関西地方を中心に展開する定食屋「宮本むなし」のエリアにも入ってきます。
宮本むなし」はおかわり自由ですし、安い値段でガッツリ食べられるので、私は昔から大好きでした。
名古屋初心者の方がとりあえず名古屋で遊ぶには、名古屋駅から地下鉄東山線でわずか2駅のところにある(さかえ)という街で遊ぶのがオススメです
(さかえ)には、パルコ・ブックオフ・快活CLUB・ヨドバシカメラなどのお店がとにかく充実していて遊ぶ場所には困らないほか、地下街の「サカエチカ」、久屋大通(ひさやおおどおり)に名古屋テレビ塔オアシス21、そしてSKE48の本拠地となったサンシャイン栄の観覧車などがあります。
また名古屋市内が人が多くて遊べない場合は、近くの鶴舞公園(つるまいこうえん)や大曽根駅(おおぞねえき) または八事駅(やごとえき)周辺まで遊び行くのも良いでしょう。
この辺りは、中央線鉄道唱歌の終盤に登場する地名ですね。

名古屋は徳川御三家の一つ「尾張徳川家」の拠点

名古屋城はいわゆる尾張徳川家(おわりとくがわけ)の城のひとつです。いわゆる徳川三家とは尾張徳川家、和歌山の「紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)」、茨城県の「水戸徳川家(みととくがわけ)」の三つのことを言います

なぜ、これだけ家系が分散しているかと言うと、いざという時の家系のバックアップの時のためです。
昔の子供というものは、生まれた時にすぐ病気などで死んでしまうことも珍しくなかったので、家系を途絶えさせないように、このように分家されているわけです。

実際に、徳川家の嫡流(ちゃくりゅう)は7代将軍家継(いえつぐ)の時に8歳の時に亡くなっています。
そして、8代将軍の徳川吉宗紀州徳川家から就任しました。
なお「嫡流(ちゃくりゅう)」というのは本来の家系の筋のことを言います。
また最初に名古屋の「尾張徳川家(名古屋)」、和歌山の「紀州徳川家」、茨城県の「水戸徳川家」ができた時に、徳川家康の子を藩主に就任させていますので、愛しいわが子に対して花を持たせる意味もあったでしょう。

製造業にとても強い「中京工業地帯」の中心地

名古屋には機械や製造メーカーなどがとても強く、中京工業地帯の中心ともいえます。
中京工業地帯(ちゅうきょうこうぎょうちたい)は、名古屋・豊田(とよた)・刈谷(かりや)・桑名(くわな)・四日市(よっかいち)あたりの愛知県・三重県などの工業都市からなる工業地帯です。
中京工業地帯は、全国の工業地帯で1位の出荷量を誇り、関東地方の京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)をも凌ぎます。
それはなぜかと言うと、自動車メーカーのトヨタの関連会社がたくさんあるからです。
また名古屋が東京と大阪のちょうど間にあるので交通の要としても流通面で都合が良いからです。

また中京工業地帯には木曽川(きそがわ)、 長良川(ながらがわ)、揖斐川(いびがわ) という、いわゆる木曽三川(きそさんせん)とよばれる三つの川があり、これらの川によって水が大量に豊富だったことからも工業地帯が栄えました。

名古屋駅を出て北上 庄内川を渡り、清洲城の横を過ぎる

名古屋駅を出ると、庄内川(しょうないがわ)を渡ります。

庄内川(愛知県)

庄内川(しょうないがわ)は、岐阜県では土岐川(ときがわ)と呼ばれます。愛知県に入ると「庄内川」と名前を変え、名古屋の海に注ぎます。

枇杷島駅(びわじまえき、愛知県清須市西枇杷島町)を過ぎ、窓の右側にそこには、清洲城(きよすじょう)があります。

清洲城は、元々織田信長の居城だった場所です。
織田信長は清洲城(きよすじょう)・小牧山城(こまきやまじょう)・岐阜城(ぎふじょう) 、そして滋賀県の安土城(あづちじょう)で4回お城を変えています。
お城を変えた理由は、小牧山や金華山に安土山など、それぞれ防衛に適しており城を建てるのに相応しい山であったことに加え、また経済や交通の流通に便利がよかったことなどが挙げられるでしょう。
織田信長の「時代の変化に応じて、次々に変化・進化を実行に移す」という本人の能力・特性もあったかもしれません。

その織田信長が本能寺の変で亡くなった後、彼の残した領地を豊臣秀吉柴田勝家らがどう配分するかを決めるための会議である「清洲会議(きよすかいぎ)」もここで行われました。そして、豊臣秀吉と柴田勝家は、琵琶湖の北東にある「賤ヶ岳(しずがだけ)」という所で戦うことになるのです。この「賤ヶ岳の戦い」は豊臣秀吉の勝利となり、天下統一へ向けてさらなる躍進をするのでした。

尾張国の国府があった、愛知県稲沢市

そして、清須市のやや北西に隣接する自治体に、稲沢市(いなざわし)があります。

愛知県稲沢市(いなざわし)は尾張国(おわりのくに)の国府(こくふ)があったところです。
尾張国(おわりのくに)とは、現在の愛知県の名古屋市を含む北部のことをいいます。
国府(こくふ)とは、現在の県庁のようなものです。
なお、愛知県の南部は「三河国(みかわのくに)」の領域でした。

歌詞にある「地震のはなしまだ消えぬ」とは?

歌詞には「地震のはなしまだ消えぬ」とありますが、この「地震」とは何でしょうか。
これは明治時代の1891年10月28日に起きた「濃尾地震(のうびじしん)」というものです。
この地震は東日本大震災には及ばないものの、それに近いくらいの猛威をふるい、美濃地方(岐阜県)と尾張地方(愛知県北部町)を壊滅的な被害に追い込みました。
美濃」と「尾張」からそれぞれ1文字ずつ取って「濃尾地震」です。
濃尾地震の当時は「ギフナクナル(岐阜なくなる)」とそんな報道もなされ、岐阜の町が壊滅的に火災で燃えました。
現在の岐阜市のやや北に、濃尾地震の原因となった断層である根尾谷断層(ねおだにだんそう)というものが存在しています。

木曽川を渡り、岐阜駅へ 織田信長の拠点となった美濃国

木曽川(愛知県・岐阜県)

木曽川(きそがわ)を渡ると、やがて、列車は岐阜県の県庁所在地・岐阜市の中心駅である岐阜駅(ぎふえき、岐阜県岐阜市)に到着します。

岐阜駅に到着!(岐阜県岐阜市)

新快速・特別快速列車ならば、名古屋駅→尾張一宮駅→岐阜駅停車駅数が少ないため、この区間は快適に移動できるでしょう。
岐阜駅に近づくにつれ、窓の景色は再び都会的になり、また列車は高架の上を走るため、遠くには岐阜城のある金華山(きんかざん)が眺められます。

岐阜駅(岐阜県岐阜市)

岐阜(ぎふ)という名前は、織田信長が作った名前と言われています。
岐阜はかつて、岐阜城の城下町として栄えました。岐阜城はかつて稲葉山城(いなばやまじょう)ともいわれました。
稲葉山は、またの名を金華山(きんかざん)というふうにも言います。
かつて、岐阜県・美濃国(みののくに)は斎藤道三(さいとう どうざん)という人物の天下のお膝元でした。
斎藤道三はかつては「美濃のマムシ」という風に言われていました。何故「美濃のマムシ」なのかというと、あくまで「油売り」という出身から実力で天下人に成り上がったからです。
まさに「下克上(げこくじょう)」ですよね。
その斎藤道三が織田信長に倒されてからは岐阜城が乗っ取られ、そして信長は美濃を「岐阜」と名づけました。

岐阜にはかつて美濃最大の宿場町と言われた、中山道(なかせんどう)加納宿(かのうじゅく)がありました。加納は、現在の岐阜駅のやや南東に行ったところにある場所です。
加納宿にはかつて、あの和宮(かずのみや)さまもお泊りになられました。
和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)とは、幕末に徳川第14代将軍・家茂(いえもち)のお嫁さまになるために、中山道経由で江戸に向かわれた女性皇族の方です。

岐阜城・金華山の麓(ふもと)には岐阜公園があり、市民の憩いの場になっています。
岐阜公園には、かつての「板垣死すとも自由は死せず」の名ゼリフで知られる「岐阜事件」があった場所があります。
それは板垣退助(いたがき たいすけ)が岐阜で遊説(ゆうぜい)中、金華山の麓で何者かに襲撃され、倒れる間際に放った台詞に由来します。

岐阜駅前の織田信長像 歴史のスーパースター・信長は、批判を恐れず次々に改革を行った

岐阜駅前・織田信長像(岐阜県岐阜市)

岐阜駅の目の前には、金ピカの織田信長の銅像がいます。
織田信長は岐阜を天下に治めたその後、「楽市楽座(らくいちらくざ)」をひきました。
それまでは「」というものを作らなければ人々は商業ができなかったので、それにより新規参入を妨げていました。
つまり座に加入しそのためのお金を払わなければ、商売に参加するということができないという排他的な仕組みであり、それ以外の人は新しい画期的なビジネスも始められないという、ある意味理不尽な仕組みでした。
織田信長はこうした有様を撤廃することによって、新しい業者の新規参入を促せるようにしたのです。
もちろんそのようなことをすれば、かつて座に独占的に居座って、その座に胡坐をかいていた人々の反感もあったでしょうが、 織田信長にとってはそんなことは全く関係なしです。彼はあくまで自分の正義を貫いたのです。
新しい時代を創造しようと思ったら、古いものをぶっ壊さなければなりませんからね。
そのことを織田信長公はよく分かっておられたと思います。
当時はいかなる戦国大名もその祟りを恐れて、歯向かうことができなかった仏教勢力と戦ったり、鉄砲の技術を導入したりと次々に新しいことを批判を恐れず挑戦するという、織田信長はまさに日本の歴史でもまれに見る革命家でした。

織田信長から学ぶ、成功する人の共通点

織田信長は幼少期は「尾張の大うつけ」と言われ、その非常識ぶり、落ち着きのなさや空気の読めなさから発達障害(ADHDなど) もあったと言われています。
しかし、いつの時代も成功してきた人や偉大な革命を起こしてきた人というのは、常識的な人間よりも、むしろ非常識な人間です。
マコなり社長の「常識人間は成功しない」という言葉がありますが 、これは逆にいえば非常識な人間こそが成功者の素質があることをいいます。まさに織田信長もの典型だと思います。なお、マコなり社長も発達障害(ADHD)を自認されています。
非常識な人間は、常識にとらわれない斬新なアイデアを次々から考え考え出すことが得意です。
「人が遊んでいる間に勉強する」「人間が空を飛んではいけないなんて決まりはない」「夜が暗いなんて誰が決めたんだ」みたいな非常識かつ逆張りな発想ができないと、飛行機や電気などの新しい発明や革命は生まれません。
時代の常識は常に変化するので、新しい常識を産む人は、まさに非常識な人の強みであるといえましょう。

岐阜市の美しい景色・長良川の鵜飼い

岐阜市内には、「長良川(ながらがわ)」という大きく美しい川が流れています。
岐阜の鵜飼い(うかい)とは、いわゆる長良川の鵜飼(ながらがわのうかい)のことを言います。
「鵜飼い(うかい)」とは、鵜(う)という鳥を使って鮎(あゆ)を取ることです。
鵜飼いは織田信長からも絶賛されてきました。

長良川の鵜飼いは、岐阜駅からバスで10分~15分ほどで行くことができます。
とても美しいので、訪れる価値はあります。

ここから先の「関ヶ原越え」に備えて、岐阜駅周辺で休憩

岐阜駅周辺はお店や飲食店も多く、これから先に待ち受ける青春18きっぷ初心者の難関「関ヶ原越え」に備えて、岐阜駅で途中下車して寄っていくとよいでしょう。
駅前の織田信長の金ピカ像をバックに写真を撮るだけでも岐阜を訪れる価値はあります。

岐阜駅を出発すると、次は大垣方面へ向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました