鉄道唱歌 東海道編 第44番 大津にもかつて都があった 逢坂山トンネルをも越える

まずは原文から!

むかしながらの山ざくら
にほふところや志賀(しが)の里
都(みやこ)のあとは知らねども
逢坂山(おうさかやま)はそのまゝに

さらに読みやすく!

むかしながらの山ざくら
にほう(匂う)ところや志賀(しが)の里
都(みやこ)のあとは知らねども
逢坂山(おうさかやま)はそのままに

さあ、歌ってみよう!

♪むーかしながらの やまざくらー
♪にーおうところや しがのさとー
♪みやこのあーとは しらねどもー
♪おうさかやまはー そのままにー

(湖西線)
山科駅→大津京駅→唐﨑駅→比叡山坂本駅→おごと温泉駅→堅田駅→志賀駅→比良駅→近江舞子駅→近江高島駅→近江今津駅→マキノ駅→近江塩津駅

(京阪電鉄石山坂本線)
石山寺駅→唐橋前駅→京阪石山駅→粟津駅→京阪膳所駅→びわ湖浜大津駅→三井寺駅→大津市役所前駅→京阪大津京駅→近江神宮前駅→滋賀里駅→坂本比叡山口駅

※上記は全ての駅でなく、鉄道唱歌に関連する駅及びその他歴史上重要と思われる駅を筆者の独断と偏見で抜粋

逢坂山のトンネルをくぐって、京都・山科方面へ向かう

近江八景の旅も終わり、滋賀県大津市の観光を楽しんだ後まもなく出発し、逢坂山トンネル(おうさかやまトンネル)をくぐって、京都方面へ向かいます。

山桜(やまざくら)とは、言うまでもなく、山に咲く桜のことをいいます。
その桜の香りが匂うのは志賀の里(しがのさと)というわけです。
志賀の里とは、現在の大津市のやや北の地域となります。後で改めて解説します。

琵琶湖の水運で栄えた、滋賀県の県庁所在地・大津市

滋賀県大津市(おおつし)は滋賀県の県庁所在地であり、また近くに琵琶湖に接している街であります。内陸部の県庁所在地でありながら、琵琶湖という大きな湖があるため、大津港という大きな港を持つ全国的にも珍しい街です。
例えば、内陸部の県庁所在地として思い浮かぶのは長野県長野市(ながのし)、山梨県甲府市(こうふし)、奈良県奈良市(ならし)、山口県山口市(やまぐちし)などがあると思いますが、やはり各都市とも海がなく大きな港湾を持つのは難しいため(新幹線新山口駅のあるかつての小郡町は現在山口市に合併されているため、厳密には山口市は海に面しています)、大津市は珍しい内陸部の港湾県庁所在地ともいえます。

比叡山から眺める、琵琶湖(滋賀県大津市)

大津市は歴史的に、その「内陸部でありながら港がある」というアドバンテージを最大限に生かして発展してきた街です。
まず、大昔は軍事上の理由から、海際よりも内陸部に都市があった方が有利と考えられていました。京都市(平安京)や奈良市(平城京)が内陸部にあるのはそのためです。
もし海沿いや半島に都があると、現代のように防壁や防御技術のなかった時代は簡単に海から攻め滅ぼされます。外国から攻められるリスクもあります。
海沿いの都市にお城が築かれるようになったのは、城壁などの技術が発展してきた安土桃山時代以降です。また、天下泰平の世の中(戦争のない世の中)であれば、海際の街の方が海運など経済面でのメリットが大きいですからね。

大津市も内陸部で山に囲まれたセキュリティ面(防衛面)で優れた地形にあるので、安全面はバッチリです。
実際、飛鳥時代に天智天皇(てんちてんのう)がその地理面に着目し、奈良の仏教勢力から逃れるために大津に都を移しています。
つまり、大津市は一時的に日本の首都であったということもできます。
この近江大津宮(おうみおうつのみや)については、後述します。

そして大津市のメリットとして、琵琶湖を使った海上(湖上)交通があります。
鉄道も航空機も長距離トラックもなかった昔は、大量の荷物を運ぶには舟に載せて運ぶのが効率的でした。
そのため、海のように大きい琵琶湖では、海上交通が盛んに行われました。
港では荷物を載せたり、降ろしたり、保管したりする人々が働きます。働く人が増えると、その人達に向けた商業施設などが増えるので、結果的に街が発展します。大津市に限らず、港町(みなとまち)や港湾都市(こうわんとし)はこのようにして発展します。

琵琶湖からの比叡山(滋賀県大津市)

大津港は、堅田(かただ)、矢橋(やばせ)、長浜(ながはま)といった琵琶湖近辺の主要港湾と盛んに水運を繰り返してきました。

大津市からの、琵琶湖の雄大な景色

大津駅からちょっと南へ下ると滋賀県庁があります。さらに南へ坂を下ると、琵琶湖の雄大な景色に出会えます。

琵琶湖の景色(滋賀県大津市)

志賀(しが)という地名ですが、JR湖西線(こせいせん)志賀駅(しがえき、滋賀県大津市) にその名が残っています。
志賀駅は大津市の北部にある駅ですが、すなわちこのあたりの地名のことを言います。
現在は大津市に合併されています。

琵琶湖の景色(滋賀県大津市)

「大津京」の由来は、飛鳥時代の都にあった!?

次に、飛鳥時代の大津遷都(せんと)について解説します。
これまで、何度も「かつて大津には都があった」と説明してきたと思います。

大津にはかつて、天智天皇(てんちてんのう)が飛鳥時代に遷都した近江大津宮(おうみおうつのみや)という都がありました。
飛鳥時代と奈良時代、この時期の天皇は何度も都(みやこ)を移しています。
何故都を移したのかに関しては、当時の飛鳥(あすか)つまり現在の奈良県には仏教勢力があまりも強く、政治に介入してくることが多かっため、その影響力を排除するためにあえて逃げるような形で近江や恭仁京(くにきょう。奈良県の加茂駅あたりにあった都)など、そのような場所に都を移したものと思われます。
昔は疫病や凶作・災害・嵐・犯罪などに巻き込まれないように、 仏の力に頼ることが多くなっていました。そのため、多くの人が仏様を拝むようになりました。
そうし人達が増えると、お寺は多くの人々を救うことで人々に対する影響力が強くなるため、次第に発言力を増して政治に介入したり、意見を言うようになってくるのです。
奈良では道鏡(どうきょう)という僧侶があまりにも強くなり過ぎて、ついには「俺が天皇になる!」とまで言い出したこともあります。しかしこれは和気清麻呂(わけのきよまろ)が大分県の宇佐神宮(うさじんぐう)に赴いて、神様の助言を受けてそれにより道鏡天皇は否定されました。
鎌倉時代にも同じような事があって、政治に口出しをした僧侶や開祖などは罰として多く島流しにされています。

JR湖西線(こせいせん)の大津京駅(おうつきょうえき、滋賀県大津市)の駅名はこの近江大津宮に由来しています。
かつては西大津駅(にしおおつえき)という名前でしたが、2008年にその近江遷都を記念して 「大津京駅」に名前変更されたそうです。
しかし大津京が本当に元々この場にあったかどうかについては学術的に懐疑的な意見があり、またそ本当の場所についてはわからないこと(確証が得られない)ことから、歌詞にも「都のあとは知らねども(都の本当の跡地についてはわからないけれども)」となっているものと思われます。
しかし、実際に旅行に行ったときは、大津京=都のあった場所、と信じた方が旅にはロマンができます。信じる者は救われます。

逢坂山トンネルと、膳所駅スイッチバックの歴史

最後に、「逢坂山トンネル」と、膳所駅(ぜぜえき)のスイッチバックの歴史について解説します。

昔(1880年当時)は東海道線がまだ全通していなかったために、米原駅~大津駅間は鉄道路線がきていませんでした。
また、関西方面から東へ建設して延びてきた線路は、大津駅でストップしていました。
東海道線がすべて繋がったのは、1889年のことです。

まだ米原駅~大津駅間が開業していない頃は、琵琶湖北東の長浜(ながはま)から琵琶湖で船を通って大津港まで来ていました。
当時の大津駅は、現在のびわ湖浜大津駅です。
何故かというと、現在の大津駅高い場所にあり、当時の列車は勾配を克服できなかったためです。
琵琶湖湖畔から現在の大津駅まではきつい坂道になっているのはわかると思います。そして、現代であれば京阪京津線(けいしんせん)のように、街中のきつい坂道を登っていくことも可能です。
しかし当時はその坂道を克服できなかったため、現在のびわ湖浜大津駅から一旦、東にある膳所駅(ぜぜえき)まで行き、膳所駅スイッチバック(折り返し)して、距離を稼ぎながら現在の大津駅のある高い位置まで登っていました。

さらにその高台を過ぎると、逢坂山(おおさかやま)という難所が待ち構えていました。
逢坂山(おうさかやま)とは、簡単にいうと大津と山科(やましな)の間にある山です。
現在では、大津駅から逢坂山のまっすぐで長いトンネルに入り、山科駅に難なく着くことができます。

しかし、明治時代のトンネルは技術的に距離の短いものしか掘ることができなかったので、現在よりも南側に短いトンネルが存在していました。そのトンネルは現代でも遺構が残っています。
しかも、当時の線路はなるべくトンネルを掘らずに勾配もきつい南側のやや遠回りのルートが選ばれたため(当時はそれが限界だった)、大津~山科の区間はボトルネックとなっていました。そのため、後に現代のように新しいトンネルでより距離の短いルートが作られたわけです。

また、1889年に米原駅~(現在の)大津駅の区間が開業し、東海道線が全通すると、現在の膳所駅~(当時の)大津駅までの区間は貨物路線となり、その貨物路線も1969年に廃止となりました。
それとは別に現在のびわ湖浜大津駅~膳所駅間京阪石山坂本線が通っています。

逢坂山トンネルを越えると、滋賀県はここまでであり、次は京都府に入ります。
次は、山科駅に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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