鉄道唱歌 東海道編 第54番 京都を出て大阪方面・山崎駅へ 淀川の向こうは男山 

まずは原文から!

山崎(やまざき)おりて淀川(よどがわ)を
わたる向かふは男山(おとこやま)
行幸(ぎょうこう)ありし先帝(せんてい)の
かしこきあとぞ忍(しの)ばるゝ

さらに読みやすく!

山崎(やまざき)おりて淀川(よどがわ)を
わたる向こうは男山(おとこやま)
行幸(ぎょうこう)ありし先帝(せんてい)の
かしこきあとぞ忍(しの)ばるる

さあ、歌ってみよう!

♪やまざきおーりて よどがわをー
♪わたるむこうはー おとこやまー
♪ぎょうこうありし せんていのー
♪かしこきあとぞー しのばるるー

(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅

※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり

京都駅を出発して、どんどん大阪方面向かっていくと、途中で大阪と京都の境目をなす山崎駅(やまざきえき、京都府乙訓郡大山崎町)に着きます。

山崎駅(京都府乙訓郡大山崎町)

山崎駅は新快速列車では降りられないので、山崎駅で降りたい場合は京都駅から普通列車で乗って行かれることをお勧めします。
あと、山崎駅の次にある島本駅(しまもとえき、大阪府三島郡島本町)にも、鉄道唱歌の旅で重要な「桜井の別れ」の史跡があります。
そのため、鉄道唱歌に沿った旅をされたい方は京都駅からは新快速ではなく普通列車に乗って行かれることをオススメしたいところです。

これは歌詞の通りなのですが、山崎駅を降りて南側、つまり淀川の向こう側には男山(おとこやま)という山があります。
男山は、京都府八幡市(やわたし)の山になります。

山崎駅からの男山(京都府乙訓郡大山崎町)

また、歌詞には「行幸(ぎょうこう)ありし先帝(せんてい)の」とあります。
先帝(せんてい)とは、鉄道唱歌の当時の天皇だった明治天皇よりも前の天皇(つまり、江戸時代最後の天皇)のことをいいます
つまり、後述するように第121代孝明天皇(こうめいてんのう)のことです。

なお、行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇陛下がご出張になることをいいます。
つまり、天皇陛下が各地を訪問されることを、行幸といいます。
現在でも、天皇陛下は被災地を訪問されたり、様々な土地を訪問されて現地住民と交流を交わされたりしていますよね。

江戸時代は、まだ天皇よりも将軍様の方が偉い時代でした(しかも、将軍様が政治をできないときは「老中」や「大老」などが実質の権力を握っていました)。
そのため、天皇は政治に口出しできない時代でした。
しかし、1853年にペリー提督率いる黒船がやってきてから、国内が動乱し、幕府の権威が揺らぐと、天皇や朝廷の発言力が徐々に増してくることになるのです。つまり、幕府と朝廷の力関係が徐々に逆転しつつあったのです。
その後日本は外国勢力を排除する動きである「尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)」に失敗することとなり、
「今の幕府のままでは欧米列強に太刀打ちできない。新しい政府を作らなくては。」
という動きに時代は代わりました。
そして徳川15代将軍である慶喜(よしのぶ)により政権が朝廷に返還され(大政奉還)、戊辰戦争(ぼしんせんそう)などを経て明治時代へと入っていくのでした。

話を元に戻します。

明治天皇より1つ前の天皇を、先ほど述べたように孝明天皇(こうめいてんのう)といいます。
第121代孝明天皇は、1863年(文久3年)に、京都の男山行幸(ぎょうこう)されました。
この男山に対する行幸の目的って何だったのかというと、それは当時、先ほど述べた尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)というものが激しかったので、攘夷祈願のためだと言われています。
尊王攘夷運動とは、迫り来る外国からの脅威に対して外国勢力を排除し、古くからの天皇を中心とした国家としての体制を守ろうという考え方であり、またその動きです。

また、その男山の向こうには、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)という神社があります。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、代々源氏から信仰されてきた八幡(やはた)の神様です。
八幡(やはた)の神様というのは、いわゆる「戦いの神様」のことであり、歴代の武将によって戦勝祈願のため多くの信仰を集めてきました。
現代でも、スポーツなどの大事な試合のために必勝祈願のため多くの選手やアスリートからの参拝があります。

石清水八幡宮は、かつて奥州・東北地方で戦った源義家(よしいえ)が元服(げんぷく)した場所でもあり、そのため八幡太郎(はちまんたろう)の名前が付いています。なお、元服(げんぷく)とは、成人の儀式を行うことです。
源義家は、平安時代の「前九年の役」や「後三年の役」などで、東北地方を征伐平定する武将として、朝廷から派遣されて戦いました。
源義家は勿来関(なこそのせき。茨城県と福島県の太平洋側の県境にあった関所)にかった時に、「道もせにちる山桜かな(道に所狭しと散る山桜かな)・・・」と詠みました。
これは鉄道唱歌奥州・磐城編第51番にも歌われていますね。
また、発明王エジソンが電気を発明する時に、そのフィラメントを作る時に日本の竹を使いました。その竹は石清水八幡宮、男山のものと言われています。

歌詞にある「かしこき」とは、畏れ多い(おそれおおい)という意味です。
つまり、天皇陛下を畏れ多くも迎えたこの場所に、その当時が偲(しの)ばれる(昔が思い出される)、などの意味になるでしょう。

山崎駅を出ると列車はまもなく県境(正確には府境)を過ぎて京都府を抜け、大阪府に入ります。
というか、山崎駅のホーム端っこの一部が、大阪府にかかっています(ホーム上に府境がある)。

そして、大阪府に(完全に)入って最初の駅となる島本駅(しまもとえき)で降りると、目の前には「桜井の別れ(さくらいのわかれ)」の史跡があります。
桜井の別れ」の話は、後々の鉄道唱歌の旅において重要になってきます。
そこはかつて、楠木正成(くすのき まさしげ)と息子の楠木正行(くすのき まさつら) の親子が、涙ながらに別れた場所として知られます。

鎌倉幕府が滅亡した後、時代は後醍醐天皇による約150年ぶりくらいの天皇・朝廷による政治に戻りました。後醍醐天皇が打ち出した政治を「建武の新政(けんむのしんせい)」といいます。
しかし、この建武の新政は、朝廷や貴族、公家ばかりを優遇し、武士や武家に対して不遇な扱いをするものでした。
これに不満を持った武士たちは、後に室町幕府を開く足利尊氏(あしかが たかうじ)を筆頭に武装蜂起しました。
これに対して、後醍醐天皇に忠誠を誓う楠木正成や結城宗広(ゆうき むねひろ)、名和長年(なわ ながとし)たちは、一旦、足利尊氏を九州まで追い返します。

しかし、九州で力を蓄え、勢いを増してきた足利尊氏は、もう一度京都に攻め込まんとしていました。
あまりにも勢いに、「もはやこれまで」と察した楠木正成は、息子である正行(まさつら)に対して、遺言を残しました。

正成(父)「この戦いで私は必ず死ぬだろう。お前はここに残れ。私は行く。」

正行(子)「何をおっしゃいます父上。私も一緒に行かせて下さい。そして私も父上と一緒に死なせてください。」

正成(父)「いや、お前はここに残れ。私が死んだら、次は足利尊氏の世の中になる。そうなったら、母上のために尽くすのだぞ。」

そう言い残して、楠木正成は息子と泣く泣く別れ、神戸の湊川(みなとがわ)へ去っていきました。

そして「湊川の戦い」で足利尊氏に破れた楠木正成は、

例え7回生まれ変わっても、この国を守り抜いてみせる。

と言い残して戦死しました。

そして、息子の楠木正行も、大阪府東部の四條畷(しじょうなわて)で行われた「四条畷の戦い」で、足利尊氏の一派である高師直(こうの もろなお)と戦い、無念の最期を遂げました。

なお、これら一連の物語は、鉄道唱歌を学習するにあたって、今後みな重要となってきます。

湊川の戦い」→鉄道唱歌東海道編第64番
四条畷の戦い」→鉄道唱歌関西・参宮・南海編第4番
桜井の別れ」→鉄道唱歌関西・参宮・南海編第5番

同じく後醍醐天皇に忠誠を尽くし、三重県津市にて最期を遂げた「結城宗広」について
 →鉄道唱歌関西参宮南海編第20番

同じく後醍醐天皇に忠誠を尽くし、後醍醐天皇の島根県隠岐の島からの脱出を助けた「名和長年」について
 →山陰鉄道唱歌第19番・第20番

にて、それぞれ歌われています。

また、「桜井の別れ」の舞台となった史跡は、島本駅から降りてすぐの場所にあり、公園にもなっているので休憩もできます。
(ただし、新快速列車では来れないので、京都駅から普通列車に乗ってくる必要があります)

そして、その公園には楠木正成と正行父子の像が建てられています。

歴史の話ばかりになって申し訳ありませんが、少しでも皆さんの鉄道旅行の充実さアップに繋がれば幸いです。

列車は、淀川沿いに高槻・新大阪・大阪方面へどんどん進んでいきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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