まずは原文から!
淀(よど)の川舟(かわふね)さをさして
くだりし旅はむかしにて
またゝくひまに今はゆく
煙(けむり)たえせぬ陸(くが)の道
さらに読みやすく!
淀(よど)の川舟(かわふね)さお(竿)さして
くだりし(下りし)旅はむかし(昔)にて
またたく(瞬く)ひまに今はゆく
煙(けむり)たえ(絶え)せぬ陸(くが)の道
さあ、歌ってみよう!
♪よーどのかわふね さおさしてー
♪くだりしはなしは むかしにてー
♪またたくひーまに いまはゆくー
♪けーむりたえせぬ くがのみちー
(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり
山崎駅を出て、高槻・大阪方面へ
山崎駅を過ぎると、大阪府に入ります。
島本駅からさらに新大阪・大阪方面へ向かうと、
- 高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)
- 茨木駅(いばらきえき、大阪府茨木市)
という風に過ぎていきます。
時速約130km 日本一速い新快速
この辺りでは新快速のスピードは時速約130kmにも達し、特急列車に匹敵するほどの速さになってきます。
事実、このエリア(京都線)の新快速列車は、日本一速いとも言われています。
なお、この地域は東海道線ではありますが、京都駅~大阪駅間は特に「京都線」と呼ばれています。
なぜこんなに新快速が速いのか?
なぜこの地域の新快速列車がとても速いのかというと、それは
- 京阪線(けいはんせん)
- 阪急線(はんきゅうせん)
と、JR西日本にとってはライバルとなる、私鉄の路線が2つもあるからです。
競合する大阪~京都間
阪急線・京阪線は、京都~大阪梅田(または淀屋橋)間を、わずか400円台前半で結びます。
そのため、料金が500円台後半とやや劣るJR線は、その反面で速度が圧倒的速い、という強みがあるというわけです。
しかし阪急線は、
- 大阪梅田の中心地
- 京都の中心地である四条河原町
を、それぞれダイレクトに結んで料金400円台前半です。
JR線が、これにも劣らないスピードアップを武器とせざるを得ない理由がわかるでしょう。
淀川
淀川(よどがわ)は、滋賀県の琵琶湖から流れて、末は大阪湾に注ぐ、大きな川です。
昔は、淀川での「舟」が主流だった
現在において、滋賀県・京都方面から大阪府までの人々の移動は、鉄道又は車などが主流だと思います。
しかし昔は、
- 旧東海道や西国街道(さいこくかいどう)などの、徒歩または馬による陸路
- 淀川を使った水運
などが主流だったのです。

水面に竿をさして、淀川を漕(こ)いでいた
そう、歌詞にあるように、
船から竿(さお)を水の下に差して、
そして竿(さお)を川の底につけて、
舟を漕(こ)いで移動する。
このような移動のやり方が主流だったというわけです。
淀川の「水運」の歴史
淀川は先ほど述べた通り、かつて水運として多く使われた川でした。
水運とは、舟に人や荷物を乗せて運ぶための交通の仕組みです。
昔は列車も(もちろん新幹線も)トラックも航空機もなかった時代だったため、舟に荷物を乗せて運ぶというやり方が、一番効率がよかったのです。
かつて奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)が、奈良県の加茂(かも。関西本線加茂駅のあるあたり)に恭仁京(くにきょう)を移したのも、木津川(きづがわ)を利用した淀川の交通の便が良かったからだ、と言われています。
木津川は淀川と通じているため、大坂(大阪)方面との物資の授受がしやすいからですね。
なお、恭仁京や加茂駅のことについては、鉄道唱歌 関西・参宮・南海編 第9番でも歌われています。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
かつては「暴れる川」だった淀川 淀川の治水の歴史
また、淀川は古くから暴れる川してもよく認識されてきました。
つまり、嵐や大雨などが起きると川が氾濫してしまい、周辺の地域に甚大な被害をもたらしていたのです。
そのため、淀川は治水(ちすい)が昔から行われてきました。
治水とは、川が氾濫しないために、
- 堤防を造る
- 川の急カーブを無くすために、直線的なルートにする
- 放水路(水の逃げ道)を造る
- ダムを造る
- 川の水の量を調整する
などの工事などすることをいいます。
これによって、川の流れを豪雨のときも適切になるようにするわけです。
そして淀川の治水は、あの豊臣秀吉も尽力してきたことで知られます。
かつての「京街道」に沿った、京阪本線
京阪本線(けいはんほんせん)は、かつて
- 京都の山科(やましな)にある髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)
- 大阪の高麗橋(こうらいばし)
をそれぞれ結んでいた、京街道(きょうかいどう)の宿場町に沿った路線でもあります。
京街道(きょうかいどう)とは、かつて豊臣秀吉が整備した、京都の山科と大坂を結ぶための街道のことです。
東海道と京街道を分けた、山科の髭茶屋追分
髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)とは、京都の山科にある、東海道と京街道の分かれ道のことです。
「追分(おいわけ)」とは、分かれ道のことを意味します。
髭茶屋追分は、
- 西へ進めば、京都の三条大橋(さんじょうおおはし)へ
- 南西へ分かれて進めば、淀(よど)・枚方(ひらかた)・守口(もりぐち)を経て、大坂の高麗橋(こうらいばし)へ
それぞれ至ります。
宇治川の堤防「太閤堤」がきっかけとなった、京街道
京街道は、元々は淀川の氾濫を防ぐために、宇治川(うじがわ)に太閤堤(たいこうづつみ)という堤防を築いたことが発端でした。
この堤防の上の道路が(人が進むのに)通りやすかったため、京街道の発端となったともいわれています。
京阪本線は、
- 淀(よど)
- 枚方(ひらかた)
- 守口(もりぐち)
といった、かつての京街道の宿場町を多く経由します。
淀川の「舟」も昔の話 今は鉄道がたくさん走る道
話を戻しますが、歌詞にあるように、
昔は淀川を、舟を(竿を川底について)漕いで移動していた
のでした。
そんな話も、歌詞にあるように、もはや「昔の話」なのです。
そして今は、
瞬(またた)く暇に、鉄道という線路に乗って、京都~大阪間を進んでゆく
蒸気機関車の吐き出す煙の絶えない、列車の線路の、陸(くが/りく)の道
というわけです。
今や、時速130kmの新快速・時速285kmの新幹線が走る道
そして現在は、時速130kmのJR・新快速が走り、さらに東海道新幹線が時速285kmで進んでいくのだから、とても凄いですよね。
さらには阪急列車も走るため、負けていません。
私が東海道新幹線に乗ったとき、GPSアプリで高槻周辺で新幹線の速度を測ったのですが、時速285kmと出ていました。
東海道新幹線は、大阪~名古屋間でにおいて近鉄線と競合している理由もあるからか、さすが速いです。
高槻駅
列車は間もなく高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)を過ぎます。

西国街道の宿場町・芥川宿
大阪府高槻市(たかつきし)は、かつて西国街道(さいこくかいどう)の芥川宿(あくたがわしゅく)があった場所です。
西国街道(さいこくかいどう)とは、京都の東寺(とうじ)を出発して、山陽地方を経由して九州にまで至るという、昔の人が徒歩または馬ではるばると旅をした道です。
菅原道真(すがわらのみちざね)公も、九州の大宰府(だざいふ)に左遷(させん)になったときに、西国街道を通ったと言われています。
その際、朝廷からの援助はほぼ無かったといわれています。
西国街道は、淀川のやや北を通っていました。
高槻の芥川宿を出ると、
- 大阪の千里中央(せんりちゅうおう)あたりを通り、
- 伊丹(いたみ)を南西に進んで、
- 西宮→加古川→姫路へと進んでいた
ようです。

次は、茨木・吹田・新大阪方面へ
やがて列車は、茨木・吹田・新大阪方面へ向かっていきます!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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