鉄道唱歌 東海道編 第55番 昔は淀川を舟でこいでいた 今や鉄道で素速く移動できる時代に

まずは原文から!

淀(よど)の川舟(かわふね)さをさして
くだりし旅はむかしにて
またゝくひまに今はゆく
煙(けむり)たえせぬ陸(くが)の道

さらに読みやすく!

淀(よど)の川舟(かわふね)さお(竿)さして
くだりし(下りし)旅はむかし(昔)にて
またたく(瞬く)ひまに今はゆく
煙(けむり)たえ(絶え)せぬ陸(くが)の道

さあ、歌ってみよう!

♪よーどのかわふね さおさしてー
♪くだりしはなしは むかしにてー
♪またたくひーまに いまはゆくー
♪けーむりたえせぬ くがのみちー

(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅

※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり

山崎駅を過ぎると、大阪府に入ります。
島本駅からさらに新大阪・大阪方面へ向かうと、高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)、茨木駅(いばらきえき、大阪府茨木市) という風に過ぎていきます。
この辺りでは新快速のスピードは時速約130kmにも達し、特急列車に匹敵するほどの速さになってきます。
事実、このエリア(京都線)の新快速列車は日本一速いとも言われています。
なお、この地域は東海道線ではありますが、京都駅~大阪駅間は特に「京都線」と呼ばれています。
なぜこの地域の新快速列車がとても速いのかというと、京阪線(けいはんせん)や阪急線と、JR西日本にとっては私鉄のライバル路線が2つもあるからです。阪急線・京阪線は京都~大阪梅田(または淀屋橋)間をわずか400円台前半で結ぶので、料金が500円台後半とやや劣るJR線はその反面、速度が圧倒的速いという強みがあるのです。
しかし、阪急線は大阪梅田の中心地と京都の中心地である四条河原町をダイレクトに結んで料金400円台前半です。JRがこれにも劣らないスピードアップを武器とせざるを得ない理由がわかるでしょう。

淀川(よどがわ)は滋賀県の琵琶湖から流れて、末は大阪湾に注ぐ、大きな川です。
現在の滋賀県・京都方面から大阪府までの人々の移動は、鉄道又は車などが主流だと思いますが、昔は旧東海道や西国街道(さいこくかいどう)などの徒歩または馬による陸路や、淀川を使った水運が主流だったのです。

淀川(写真は新大阪駅~大阪駅間のものです)

そう、歌詞にあるように、船から竿(さお)を水の下に差して、そして竿(さお)を川の底につけて舟を漕いで移動する。このような移動のやり方が主流だったのです。

淀川は先ほど述べた通り、かつて水運として多く使われた川でした。
水運というのは、舟に人や荷物を乗せて運ぶための交通の仕組みです。
昔は列車も(もちろん新幹線も)トラックも航空機もなかった時代だったので、水運といって舟に荷物を乗せて運ぶやり方が一番効率がよかったのです。
かつて奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)が、奈良県の加茂(かも。関西本線加茂駅のあるあたり)に恭仁京(くにきょう)を移したのも、木津川(きづがわ)を利用した淀川の交通の便が良かったからだと言われています。木津川は淀川と通じているので、大坂(大阪)方面との物資の授受がしやすいからですね。
なお、恭仁京加茂駅のことについては、鉄道唱歌関西・参宮・南海編第9番でも歌われています。

また、淀川は古くから暴れる川してもよく認識されてきました。つまり、嵐や大雨などが起きると川が氾濫してしまい、周辺の地域に甚大な被害をもたらすのです。
そのため、淀川は治水(ちすい)が昔から行われてきました。治水とは、川が氾濫しないように、堤防を造ったり、川の急カーブを無くすために直線的なルートにしたり、放水路を造ったり、ダムを造ることなどをいいます。これによって、川の流れを豪雨のときも適切になるようにするのです。
そして淀川の治水は、あの豊臣秀吉も尽力してきたことで知られます。

また京阪本線(けいはんほんせん)は、かつて京都の山科(やましな)にある髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)から、大阪の高麗橋(こうらいばし)まで出ていた京街道(きょうかいどう)の宿場町に沿った路線でもあります。
京街道(きょうかいどう)とは、かつて豊臣秀吉が整備した、京都の山科大坂を結ぶための街道のことです。
髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)とは、京都の山科にある、東海道と京街道の分かれ道のことです。「追分(おいわけ)」とは、分かれ道のことを意味します。西へ進めば京都の三条大橋(さんじょうおおはし)へ、南西へ分かれて進めば(よど)・枚方(ひらかた)・守口(もりぐち)を経て、大坂の高麗橋(こうらいばし)に至ります。

京街道は、元々は淀川の氾濫を防ぐために、宇治川(うじがわ)に太閤堤(たいこうづつみ)という堤防を築いたことが発端でした。
この堤防の上の道路が通りやすかったため、京街道の発端となったともいわれています。

京阪本線は、淀(よど)・枚方(ひらかた)・守口(もりぐちといった京街道の宿場町を多く経由します。

話を戻しますが、歌詞にあるように、昔は淀川を舟を(竿を川底について)漕いで移動していたのでした。
そんな話も、歌詞にあるようにもはや昔の話なのです。
そして今は瞬(またた)く暇に鉄道という線路に乗って、京都~大阪間を進んでいきます。
蒸気機関車の鉄道の吐き出す煙の絶えない、列車の線路の道という意味です。
そして現在は時速130kmのJR新快速や阪急列車が走り、さらに東海道新幹線が時速285キロで進んでいくのだから凄いですよね。
私が東海道新幹線に乗ったとき、GPSアプリで高槻周辺で新幹線の速度を測ったのですが、時速285kmと出ていました。東海道新幹線は大阪~名古屋間で近鉄線と競合している理由もあるからか、さすが速いです。

列車は間もなく高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)を過ぎます。

高槻駅(大阪府高槻市)

大阪府高槻市(たかつきし)は、かつて西国街道(さいこくかいどう)の芥川宿(あくたがわしゅく)があった場所です。
西国街道とは、京都の東寺(とうじ)を出発して、山陽地方を経由して九州にまで至る、昔の人が徒歩または馬ではるばると旅をした道です。菅原道真(すがわらのみちざね)公も、九州の大宰府(だざいふ)に左遷になったときに、西国街道を通ったと言われています。その際、朝廷からの援助はほぼ無かったといわれています。

また、西国街道は、先ほど述べた京街道とは異なり、淀川のやや北を通っていました。高槻の芥川宿を出ると、大阪の千里中央(せんりちゅうおう)あたりを通り、伊丹(いたみ)を南西に進んで西宮→加古川→姫路、と進んでいたようです。

芥川(東海道新幹線の車窓より)

やがて列車は、茨木・吹田・新大阪方面へ向かっていきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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