鉄道唱歌 東海道編 第58番 大阪はかつて「水の都」だった 難波津、かつての水運のあと

まずは原文から!

こゝぞ昔の難波(なにわ)の津(つ)
こゝぞ高津(たかつ)の宮(みや)のあと
安治川口(あじかわぐち)に入(い)る舟(ふね)の
煙は日夜(にちや)たえまなし

さらに読みやすく!

ここぞ昔の難波(なにわ)の津(つ)
ここぞ高津(たかつ)の宮(みや)のあと
安治川口(あじかわぐち)に入(い)る舟(ふね)の
煙は日夜(にちや)たえまなし

さあ、歌ってみよう!

♪こーこぞむかしの なにわのつー
♪こーこぞたかつの みやのあとー
♪あじかわぐーちに いるふねのー
♪けむりはにちやー たえまなしー

(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅

※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり

列車は既に、大阪駅(おおさかえき、大阪府大阪市)に達しています。

前回も少し紹介しましたが、大阪はかつて「水の都」というように言われていました。

それは大阪はかつて天下の台所と言われ、水上交通が盛んだった頃は、物を舟に載せて運ぶために、町の中に舟を通す必要があったからです。
そのために、大阪の町中には数多くの人工的な川(お堀)が掘られていました。
もちろん江戸(かつての東京)も水運は発展していましたし、北海道の小樽(おたる)にもかつての運河が現代に残されていますよね。

全国各地から年貢米として預かった米は、大阪(大坂)に集まってきて、さらには舟・お堀を通じて大坂の町の中に通してました。また、その逆も行っていたわけです(大坂→江戸、など)。

大阪には「堂島(どうじま)」「中之島(なかのしま)」「北浜(きたはま)」「船場(せんば)」などといった、内陸部なのにまるで海辺を思わせるような地名が多いです。
それは町中に張り巡らされたお堀によって、多くの舟が行き交っていたためですね。
昔は、川と川に挟まれた土地のことを「島」というふうに呼んでいました。
例えば、広島県の由来となった「広島」も、元々は太田川(おおたがわ)などの複数の川に囲まれた土地(三角州)に由来しています。この三角州が広く大きな島のようだったから、「広島」という地名になったわけですね。
また、長野県の川中島(かわなかじま)も、千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいかわ)の二つの川に挟まれた土地だから、川中島という名前がついています
なお川中島は、武田信玄と上杉謙信という戦国時代最強の武将が5回もかけて戦った「川中島の戦い」で有名ですね。

川中島の戦いについては、以下の記事でわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください

鉄道唱歌 北陸編 第28番 「川中島の戦い」 最強のライバル同士が戦った古戦場

そして大阪の中之島(なかのしま)も、現在も二つの川に挟まれた土地なので、中之島という地名の名残りを残しています。

大阪は他にも、「道頓堀(どうとんぼり)」「長堀橋(ながほりばし)」「心斎橋(しんさいばし)」「渡辺橋(わたなべばし)」などといった、かつて大阪中に張り巡らされていたお堀と、それらお堀にかかっていた橋に由来する地名がとても多いです。
それらのお堀の中には、現在では用済みとなって埋め立てられてしまったものもあれば、また道頓堀のように現在でも残っているお堀もあります。

かつて大阪港の近くには、川口居留地(かわぐちきょりゅうち)という、かつて多くの外国人が住んだ場所がありました。
幕末の開港五港(ごこう)とはいわゆる函館・新潟・横浜・神戸・長崎の五つの港でしたが、大阪港もかつて海外の西洋諸国と貿易交易をするために重要な場所だったのです。
しかし、大阪の海は水深が浅く、大きな船を止めることができなかったため、より深い海を持ち大きな船を停泊させられる神戸に港は移ってゆきました。

難波津(なにわづ)とは、かつて現在の大阪市中央区辺りに存在していたとされる、古代の港のことです。
なぜ中央区あたりに港が存在していたのかと言うと、昔と現在とでは海岸線が大きく異なるからです。
もっといえば、大昔は奈良県の生駒山(いこまやま)辺りまで海外線がきていたらしく、現在の大阪府全体がだったとも言われています

これは関東地方の話になりますが、埼玉県の見沼(みぬま)のあたりまでに、大昔は海岸線が来ていた話と同じです。 これを奥東京湾(おくとうきょうわん)といいます。
埼玉県さいたま市浦和区(うらわく)について、海がないのに「浦和」っていう名前がついてるのは、実はこれが由来だったりします。

埼玉・浦和と、奥東京湾については、以下の記事でわかりやすく解説しておりますので、ご覧ください

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第4番 浦和と大宮

高津宮(たかつのみや、こうづのみや)とは、仁徳天皇(にんとくてんのう)が祀(まつ)られている神社のことです。
なお、鉄道唱歌で歌い手によって「こうづ」「たかつ」と異なります。昔の音源では「こうづ」と歌っていますが、現代の音源では「たかつ」と歌う傾向にあるようです。

仁徳天皇(にんとくてんのう)とは、古墳時代に活躍された第16代の天皇であり、大阪を初めて発展させた人物の一人とも言われています。

現在の令和の天皇陛下は126代目ですが、最初の第1代目(神武天皇)から第9代目くらいまでは その歴史的な根拠に乏しく、実在性についてはかなり疑問視もされています。
なにせ2600年も昔のことなので、今となってはタイムマシンでも無い限り、本当かどうかはわからないのです。
しかし仁徳天皇に限っては、明確な根拠をもって実在していたとされる可能性が高いと言われています。
仁徳天皇は大阪府堺市の大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)において祀られています。
大仙陵古墳は仁徳天皇陵として宮内庁(くないちょう)により管轄されており、日本国内最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と言われています。

大阪の海には、淀川区という大きな海の他に安治川(あじかわ)や神崎川(かんざきがわ)、大和川などの大きな川があります。

安治川口駅(大阪府大阪市此花区)

かつて大阪府は摂津国(せっつのくに)と呼ばれていたのですが、摂津国で最も格式の高い神社、つまり一宮(いちのみや)であった住吉大社(すみよしたいしゃ)は、海の航海や漁業を守るための神社として知られます
かつて遣唐使も、住吉大社の近くの海(住吉津)からその危険な航海に出て行ったと言われます。
その遣唐使も、航海が危険であるという理由で菅原道真(すがわらのみちざね)公の進言により、894年に廃止されています。

住吉大社については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください

鉄道唱歌 関西編 第62番 妙国寺のソテツを後に、堺を出発 大和川を渡り、住吉大社へ

また、現在はゆめ咲線の駅である安治川口駅(あじかわぐちえき、大阪府大阪市此花区)は、かつて明治時代は西成鉄道(にしなりてつどう)という私鉄の会社の路線でした。

ゆめ咲線には、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の最寄駅もあります。

次回は、四天王寺の解説をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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