鉄道唱歌 東海道編 第59番 四天王寺の五重の塔

まずは原文から!

鳥も翔(か)けらぬ大空に
かすむ五重の塔の影
佛法(ぶっぽう)最初の寺と聞く
四天王寺(してんのうじ)はあれかとよ

さらに読みやすく!

鳥も翔(か)けらぬ大空に
かすむ五重の塔の影
仏法(ぶっぽう)最初の寺と聞く
四天王寺(してんのうじ)はあれかとよ

さあ、歌ってみよう!

♪とーりもかけらぬ おおぞらにー
♪かすむごしゅうの とうのかげー
♪ぶっぽうさいしょの てらときくー
♪してんのうじはー あれかとよー

(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅

※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり

四天王寺

今回は、大阪府大阪市天王寺区に存在する、四天王寺(してんのうじ)についての話題です。

四天王寺(してんのうじ)は、以下のようなお寺になります。

  • 飛鳥時代のめっちゃ昔(593年)、聖徳太子によって建てられた、日本最古クラスのお寺
  • 歌詞にあるように、「仏法最古(ぶっぽうさいこ)」のお寺
  • 「お寺」でありながら、神社の鳥居が存在するという「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」のお寺

になります。

では、以下詳しくみてゆきましょう!

歌詞「鳥もかけらぬ大空に」とは

まず、歌詞の意味としては、

「鳥も飛ばないような大空に、かすむ五重塔の影」

という意味でしょうか。

飛鳥時代に、聖徳太子によって建てられた四天王寺

四天王寺(してんのうじ)は、飛鳥時代の593年に、聖徳太子によって建てられたお寺になります。

聖徳太子とは、言うまでもなく推古天皇(すいこてんのう)の摂政(せっしょう)となって政治を行った方です。

当時としては、とても高かった四天王寺

四天王寺の五重塔は、(当時としては)あまりに高かったようです。
そのため、大阪駅のやや西の福島(ふくしま)地区からも、五重塔の威容(いよう)を眺めることができたといいます。

飛鳥時代の、仏教の争い

かつての仏教は、物部氏(もののべし)と蘇我氏(そがし)によって、その正当性が争われていました。

仏教は、西暦538年に中国から伝わった宗教になります。
しかし、当時の日本には元々既に「神道(しんとう)」という宗教が存在していました。

「神道」とは?

神道(しんとう)とは、いわゆる「イザナギ」「イザナミ」「天照大神(あまてらすおおかみ)」などの神様を祀(まつ)る、日本のオリジナルの宗教です。
こういった神様は、天皇陛下の祖先とされています。

日本に数多く存在する「神社」は、いわゆる「神道」の神様を祀(まつ)るものであるため、仏教の「お寺」とは異なる、というわけです。

仏教 VS 神道の戦い 蘇我氏 VS 物部氏

このように、仏教が日本に伝わって来た頃には、既に天皇陛下の祖先たる神様を祀(まつ)る「神道(しんとう)」が存在していたため、

外国の宗教である仏教を受け入れるなど、けしからん!
という物部氏(もののべし)の主張と、

いやいや、これからは仏教という新しい宗教・要素を取り入れて、日本を良くしていくべきだ!」
という蘇我氏(そがし)の主張で対立してしまい、争いが起きていました。

聖徳太子が、蘇我氏と仏教を保護(サポート)

聖徳太子は、仏教の力を借りて日本を良くしていきたい、と考えていたのでした。

そのため、(先述の通り)仏教を推し進めようとしていた蘇我氏を保護(サポート)していったのでした。

蘇我氏の勝利 四天王寺の建立

そして「蘇我氏が勝利したら、お寺を建てる」という聖徳太子による約束のもとに建てられたのが、四天王寺というわけです。

四天王寺の「仁王門」と「仁王像」

四天王寺には、仁王門(におうもん)といって、仁王(におう)という大きな像が2つ立っています。
これは、奈良の東大寺南大門(とうだいじなんだいもん)に存在する仁王像に次いで、日本で二番目に大きい像だそうです。

仁王像(におうぞう)とは、お寺の門の所に立ち、邪悪な者がお寺に入ってくることから守る役割のある像です。

四天王寺の「神仏習合」

また、四天王寺は「お寺」であるはずなのに、なぜか神社の鳥居(とりい)があることで知られます。
それは神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって、神様と仏様は同じ存在である、という日本らしい宗教観のもとに生み出された発想からなります。

四天王寺の宗派「和宗」

四天王寺は「和宗(わしゅう)」と言われる宗派になります。

これは独特の宗派なのですが、あらゆる宗派の人でも受け入れる、という意味になります。
また、聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という言葉にも由来しているといわれます。

聖徳太子が建てたお寺の七つの一つとして、京都の広隆寺(こうりゅうじ)というものがあります。
京都に建てられたお寺は、平安京ができた平安時代以降のものが多いと思います。
しかし、広隆寺は飛鳥時代のお寺なので、京都最古のお寺ということになります。

四天王寺の「エンタシス構造」

四天王寺にある柱は、中央部がわずかに膨らんで いる「エンタシス構造」が特徴的です。
エンタシス構造は、同じく聖徳太子が奈良に建てた法隆寺(ほうりゅうじ)にも見られます。

そしてエンタシス構造は古代ギリシャの「パルテノン神殿」のころから見られています。

なぜ「エンタシス構造」が考案されたのか?

なぜエンタシス構造が使われているのかと言うと、一説によると

まっすぐの柱というものは、遠くから見ると、弱々しく見えるから

です。
弱々しく見える柱って、なんだかぎこちないですよね。

そのため、中央部を若干膨らませることで、弱々しい印象を取り除いているというわけです。
これがエンタシス構造です。

聖徳太子は、実在したのか?論争

聖徳太子は、飛鳥時代に推古天皇(すいこてんのう)の摂政として、天皇の代わりに(天皇をサポートする形で)政治を行いました。

しかし聖徳太子はその実在性について、しばしば議論の対象になります。

聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)が本名であり、

  • 十人の話を、同時に聞き分けることができた
  • 予言の能力があった
  • 生まれてすぐに、言葉をしゃべった
  • イエス・キリストと同じように、処女の母親から馬小屋(厩/うまや)で生まれた

などの、スーパーエピソードが数々存在しています。

つまり、国を効率良く統治していくために、厩戸皇子という実在の人物に様々なエピソードを追加していって、神格性を持たせていったのでは、と言われてたりするわけです。

こうしたことから、「聖徳太子は実在しなかった」とも言われているわけです。

「仏法」とは

仏法(ぶっぽう)」とは説明が難しいのですが、簡単に言えば仏の教えです。

つまり、

「この教えを守れば、あなたは幸せになれますよ」

という教えのことをいいます。

その最初のお寺が、四天王寺というわけです。

天王寺とは

なお「天王寺(てんのうじ)」とは、「四天王寺」の略になります。
私も最近知って驚きました(^^;)

次回は、大阪を出発

次で、いよいよ大阪を出発します!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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