まずは原文から!
神戸は五港(ごこう)の一つにて
あつまる汽船(きせん)のかず/\は
海の西より東より
瀬戸内(せとうち)がよひも交(まじ)りたり
さらに読みやすく!
神戸は五港(ごこう)の一つにて
あつまる汽船(きせん)のかずかずは
海の西より東より
瀬戸内(せとうち)がよい(通い)も交(まじ)りたり
さあ、歌ってみよう!
♪こうべはごこうの ひとつにてー
♪あつまるきせんの かずかずはー
♪うーみのにしより ひがしよりー
♪せとうちがよいも まじりたりー
(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり
開港五港の一つ・神戸の歴史
神戸は開港五港(ごこう)の一つといわれ、それは1858年の日米修好通商条約において開港した、5つの港のうちの一つです。
- 北海道函館市
- 新潟県新潟市
- 神奈川県横浜市
- 兵庫県神戸市
- 長崎県長崎市
兵庫県の県庁所在地・神戸市
兵庫県神戸市(こうべし)は、兵庫県の県庁所在地であり、最大の都市です。
人口は約150万人であり、福岡市(約160万人)よりちょっと少ないくらいになります。
神戸で遊びたい場合は、三ノ宮駅周辺、または神戸駅周辺がよいでしょう。
海辺のエリアには、
- メリケンパーク
- ハーバーランド
- モザイク
- 神戸タワー
- 神戸海洋博物館
など、見所はたくさんあります。
また、神戸は1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災において甚大な被害を受け、復興を果たしてきました。
天然の良港・神戸
神戸市は裏側がすぐに山であり、山から海までの傾斜が非常に激しいため、港に深い海を持っています。
神戸は街の裏側がすぐ山なので、海岸に沿って傾斜が大きいため、その結果として、港の海が深くなっているのです。
そのため、大型の船を停泊させることができるため、歴史的に国際港湾として発達してきました。
このように、自然の恩恵を大きく受けた港のことを、「天然の良港(てんねんのりょうこう)」といいます。

平清盛・日宋貿易の拠点
神戸は古くは、平清盛(たいらのきよもり)の本拠地でした。
そして、かつてより和田岬(わだみさき。現在の神戸港)を中心とした、平清盛による日宋貿易(にっそうぼうえき)の中心の港町として発展してきた歴史があります。
この日宋貿易は大きな利益を挙げ、この貿易が大きく繁栄して、平清盛は朝廷でも高い地位を得ていました。
傲(おご)り高ぶる平氏と、その滅亡
しかし、その平氏の横暴ぶりは「平氏にあらずんば人にあらず」と言われていたほどに傲(おご)り高ぶっていました。
そのため、それに不満を持つ人達が全国的にいました。
このようにして、源氏が平氏を討てと挙兵し、源平合戦となったのでした。
平氏は徐々に追い詰められ、だんだんと西へおいやられてゆきました。
最後には1185年、山口県下関市の壇ノ浦(だんのうら)にて滅ぼされてしまうのです。
壇ノ浦の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
また、神戸周辺で起きた源平合戦の一つに、「一ノ谷の戦い」などがあります。
こちらは、源頼朝(よりとも)の弟である、源義経(よしつね)が活躍した戦いです。
福原京
また、兵庫県神戸市北区・中央区辺りにはかつて、福原京(ふくはらきょう)という都がありました。
これは平清盛(きよもり)が造営した都です。
つまり神戸は、一時的に日本の首都であったということもできます。
しかし、福原京は本来の「日本の都」「日本の中心地」である京都からの反発も大きく、そんなに長くは続きませんでした。
(心の声)
それまで日本の中心だった京都を差し置いて、都そのものを神戸に移そうとか、平氏はどれだけ権力と自信を持ってたんだよ・・・って話ですよね(^^;)
ただその代わり、平清盛は「都」にふさわしい町のインフラ整備なども行ったりしたわけで、神戸の町の発展に貢献してきたことには変わらないわけです。
大輪田泊と、平清盛の功績
このように、平清盛は神戸に都を増築したり、大輪田泊(おおわだどまり。和田岬、神戸港のこと)を増改築してきたのでした。
つまり平清盛は、神戸の港を「当時としては最新の設備を備えた港」にするため、予算を大々的に投じて、港を大工事・大幅アップグレードしたというわけです。
このことから、やはり神戸の発展の歴史は平清盛の功績はかなり大きいといえます。
外国人居留地
神戸は国際的な貿易港だったことから、明治時代に入ると、多くの外国人が神戸に移り住むようになりました。
このように、外国人が住むためにまとまった地域のことを、「居留地(きょりゅうち)」といいます。
なぜ「居留地」が設けられたのか
なぜ、外国人がまとまって住むための「居留地」が必要だったのか。
恐らくは、外国人がそこでまとまって暮らした方が、江戸時代の260年にも及ぶ鎖国で外国人慣れしていなかった日本政府にとっては、そうした形にした方が都合が良かったからでしょう。
それは、
- セキュリティ(治安)面
- 外交(外国とのコミュニケーション)面
- 行政(外国人に向けた役所関係など)面
などにおいてです。
そしてこの外国人居留地として有名なものに、北野異人館(きたのいじんかん)などがあります。
この地域は西洋の建物が多くあり、まるで外国のような異国情緒(いこくじょうちょ)よある所です。
他の外国人居留地:函館の場合
函館(はこだて)にも、函館山の周辺には「函館ハリストス正教会」や「函館聖ヨハネ教会」などをはじめとする、まるで外国のような異国情緒あふれる風景があります。
また、函館の街を外国の脅威から防衛するために、幕末に箱館奉行所(はこだてぶぎょうしょ)が置かれました。
当時の函館は「箱館」と書きました。
函館および箱館奉行所については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
他の外国人居留地:長崎の場合
長崎の居留地も、オランダ人がよく通ったと言われる「オランダ坂」などがあります。
また、江戸時代はキリスト教が禁止されていたので、それまで隠れていて自由にキリスト教を信仰できなかった信徒たちの念願であり、また信徒であることを告白するきっかけになった「大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)」もあります。
長崎やオランダとの歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
他の外国人居留地:横浜の場合
横浜にも「山の手」に外国人居留地があり、また異国情緒(いこくじょうちょ)あふれる街が多くあります。
「横浜市イギリス館」などがその代表例ですね。
横浜市イギリス館は、当時としてはとても画期的かつ先進的な、鉄筋コンクリートによる、イギリス設計技師による設計となっています。
横浜港については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
他の外国人居留地:新潟の場合
ただし、新潟には外国人居留地は存在せず、日本人と入り混じって住むことが通常・基本だったようです(理由についてはすみませんが、わかりません)。
新潟港については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
横浜と神戸は似ている?
神戸は個人的にですが、横浜と似ていると思います。
どちらも、開港五港の1つであり、歴史的にもそれだけ重要な港町といえます。

次回は和田岬(わだみさき)、そして布引の滝(ぬのびきのたき)など、再び神戸市について語っていきます!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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