鉄道唱歌 山陽・九州編 第12番 倉敷に到着!玉島港、そして香川方面への瀬戸内海の交通の歴史


まずは原文から!

靈驗(れいけん)今にいちじるく
讃岐(さぬき)の國(くに)に鎭座(ちんざ)ある
金刀比羅宮(ことひらぐう)に參(まい)るには
玉島港(たましまこう)より汽船(きせん)あり

さらに読みやすく!

霊験(れいけん)今にいちじるく
讃岐(さぬき)の国(くに)に鎮座(ちんざ)ある
金刀比羅宮(ことひらぐう)に参(まい)るには
玉島港(たましまこう)より汽船(きせん)あり

さあ、歌ってみよう!

♪れいけんいーまに いちじるくー
♪さぬきのくににー ちんざあるー
♪ことひらぐーうに まいるにはー
♪たましまこうより きせんありー

(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

かつて香川県(讃岐国)まで船が出ていた、玉島港(倉敷市)

讃岐国(さぬきのくに)とは、現在の香川県にあたります。
金刀比羅宮(ことひらぐう)とは、香川県琴平町(ことひらちょう)にあるお寺のことをいいます。
玉島港(たましまこう)とは、岡山県倉敷市(くらしきし)にある港のことをいいます。

かつて瀬戸大橋が出来る前に活躍した「宇高連絡船」

まだ瀬戸大橋がなかった時代には、岡山県と高松市は「宇高連絡船(うこうれんさくせん)」という船で結んでいました。
列車ごと船に載せて運ぶ仕組みであり、かつて青森市と函館市を結んでいた青函連絡船(せいかんれんらくせん)と似ています。

なぜ宇高連絡船が廃止されたのかというと、1950年代から1960年代にかけて、船の遭難や沈没が相次いだからです。戦後復興にともない人口が増えて経済や人の往来が活発となると、船での人の行き交いも増えます。すると、必然的に船の事故も増えてきます。

青函連絡船が廃止され、青函トンネルができたのも、1954年に起きた洞爺丸沈没事故(とうやまるちんぼつじこ)という悲惨な事故が起きたからです。

瀬戸内海(せとないかい)も、瀬戸大橋(せとおおはし)ができてからは、宇高連絡船はその役割を終えました。

岡山側の宇野駅(うのえき)と、香川県側の高松駅(たかまつえき)が海の方向へ向かって線路が伸びているのは、おそらくこの連絡船が列車ごと船に載せていた(船の中までレールが敷かれていた)ことの名残ではないかと思われます。

高松港(香川県高松市)

似たように、青森駅も函館駅も、船の方へ向かって線路が延びており、現在でもその遺構が残されています。青森には青函連絡船「八甲田丸(はっこうだまる)」が、函館には青函連絡船「摩周丸(ましゅうまる)」が保存されています。

青函連絡船「八甲田丸」(青森県青森市)

かつて「西廻り航路」の拠点として栄えた、玉島港

玉島港(たましまこう)はかつて、西廻り航路(にしまわりこうろ)の重要拠点として栄えました。
西廻り航路(にしまわりこうろ)とは、かつて江戸時代に河村瑞賢(かわむら ずいけん)という人物が整備した航路であり、秋田県の酒田(さかた)から日本海を大きく西へ迂回して(途中で富山の伏木(ふしき)も通ります)、山口県の下関(しものせき)を経由して瀬戸内海に入り、玉島港を通って大阪(大坂)に至る航路です。
ではなぜ、このような航路が発展したのかというと、大昔は現在のような鉄道や高速トラック、航空などによる貨物輸送がなかったため、船に載せて運ぶ方が効率が良かったのです。

かつて内陸側の水運ルートだった「高梁川(たかはしがわ)」

高梁川(山陽本線の車窓より)(岡山県)

また、玉島港は山側の高梁川(たかはしがわ)を伝って運んできた舟に対して、荷物を載せ替えする港としても使われました。
いわば、玉島港は水運の拠点でした。

倉敷美観地区で知られる、倉敷市

倉敷美観地区(岡山県倉敷市)

岡山県倉敷市(くらしきし)は、倉敷美観地区(びかんちく)で有名です。
美観地区(びかんちく)とは簡単に言うと、江戸時代までの美しい白壁の町並みが現在でも残っいる地域のことです。
街中に多くの運河が張り巡らされている水郷であり、滋賀県近江八幡市(おうまはちまんし)や千葉県香取市(かとりし)の「佐原の街並み」などのような美しい水と古い街並みが残ります。
なぜこうした水郷が江戸時代にあったのかというと、先程述べたように昔は舟による貨物輸送が主流であり、街中まで舟を通す必要があったからです。そのため、街中には舟を通すための人工的な川(運河や堀など)が作られていました。
もちろん、かつて「水都」と呼ばれた江戸や大坂にもこうした運河や堀はたくさんあったのですが、こうした大都市部では用済みとなって埋め立てられているケースがほとんどです。

しかし倉敷市をはじめ近江八幡市、香取市、そして北海道の小樽市(おたるし)などでは、景観や伝統文化を残すため、地域住民の長年の努力により現在も運河やお堀、そして町の景観は残されています。

ただ、こうした美観地区のような古い町並みは、現代では全国的にほとんど取り残されていません。
なぜかと言うと日本人の大都市はほとんど第二世界対戦中に空襲で焼け野原になったからです。
また古い運河やお堀などは、先ほど述べたように鉄道の貨物輸送がメジャーとなってからは使われなくなり、用済みとなって埋め立てられてしまい消滅してしまいました。

そして倉敷市は、空襲を受けなかったこともいわれています(ただ、玉島港は空襲を受けています)。空襲を受けなかったことと、地元の人たちによる古く美しい街並みの維持に対する懸命な努力によって現在の景観が保たれています。

なお、倉敷美観地区には、日本初の「西洋美術をメインとした美術館」である大原美術館(おおはらびじゅつかん)があります。

倉敷駅から山陰方面へ分岐する「伯備線」

倉敷駅からは、伯備線(はくびせん)という鳥取方面へ北上する路線が出ています。
伯備線(はくびせん)は、倉敷駅をスタートして北上し、岡山県新見市(にいみし)を経由して、鳥取駅まで至る鉄道路線です。
山陽地方と山陰地方を縦に結ぶ路線のため、いわば「陰陽連絡路線(いんようれんらくろせん)」の1つといえます。
このような山陽と山陰を結ぶ線路は、他に加古川線(かこがわせん)、播但線(ばんたんせん)、因美線(いんびせん)、木次線(きすきせん)、山口線(やまぐちせん)などがあります。しかし、沿線の人口の少なさや本数の少なさ、線形の悪さや勾配のきつさなどの要因もあり、スピードアップが難しく特急列車も設定し辛い状況にあります。木次線(きすきせん)は特に赤字路線として有名です。かつて広島県広島市と島根県浜田市を結ぶはずだった可部線(かべせん)も途中の三段峡駅(さんだんきょうえき)で建設を断念したり、広島県三次市(みよしし)と島根県江津市(ごうつし)を結んでいた三江線(さんこうせん)も2018年で廃止となってしまいました。
こうした陰陽連絡路線が苦境に立たされている要因は、やはり高速道路と高速バスに勝てないことにあります。高速道路は真っ直ぐなトンネルを通り走りやすいため、スピード・所要時間・価格の面で高速バスが圧倒的有利なのです。

しかし、伯備線(はくびせん)は特急列車も多く運行しており、苦境に立たされがちな陰陽連絡路線の中ではかなり需要の高い路線という印象があります。

伯備線(はくびせん)は、伯耆国(ほうきのくに。現在の鳥取県米子市あたりのこと)と、備中国(びっちゅうのくに。現在の岡山県倉敷市あたりのこと)を結ぶことから、それぞれの頭文字を取って名付けられています。

備中松山城のある、備中高梁駅

伯備線は、倉敷駅を出て北上すると、途中の備中高梁駅(びっちゅうたかはしえき、岡山県高梁市)に着きます。
高梁駅のやや北東にある備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)には、猫城主の「さんじゅーろー」がいます。
さんじゅーろーは、2018年に遭難しているところを保護されたそうです。
さんじゅーろーの名前は、新撰組の谷三十郎(たに さんじゅうろう)が由来となっています。
備中松山城は山の上にあり、また城の位置よりも低い場所に雲(霧)がてきるため、いわゆる雲海(うんかい)が眺められます。その様子がまるで「天空の城」と呼ばれます。

「松山」「高松」「高梁」など、慣れない地名の多い備中地方

備中地方のこのあたりは「松山(備中松山)」や「高松(備中高松)」など、まるで四国に出てくるような地名が出てきます間違えないよう気をつけましょう。
また、「高梁(たかはし)」「総社(そうじゃ)」という地名も慣れるまでは読みにくいため、ここも列車旅をするときは読み慣れておきましょう

高梁川に沿って伯備線を北上すると、新見駅・伯耆大山駅へ

伯備線はこのまま高梁川(たかはしがわ)に沿ってどんどん北上し、岡山県新見市(にいみし)の新見駅(にいみえき)に着きます。
新見市は中国山地のちょうど真ん中にあり、市域の大半が山地であることで知られます。
この辺りまで着くと、中国地方と中国山地のど真ん中来たなあ、といった印象になります。
さらに備中神代駅(びっちゅうこうじろえき)からは芸備線(げいびせん)との分岐駅になります。
備中神代駅~東城駅(とうじょうえき)~備後落合(びんごおちあいえき)の辺りの区間は営業係数がなんと10万というスーパー赤字区間となっています(ただし数値は時期によって変動あるため注意)。
なお「営業係数」とは、100円稼ぐのに必要な金額のことをいいます。つまり芸備線のこの区間は100円稼ぐために10万円の投資をして設備維持や列車運行をしなければならない、という意味になります。
これだけの赤字路線のため、常に廃止が議論されています。そしてニュースでもよく取り上げられるため、鉄道ファン、鉄道マニアの関心や注目を集めています。

新幹線が時速300kmで通過する、新倉敷駅

倉敷駅を出て、次の新倉敷駅(しんくらしきえき)は、こだま号がメインではありますが新幹線の停車駅となります。
新倉敷駅ではN700系のぞみ号が時速300kmで通過していくため、その通過スピードはものすごい速さとなります。

金光駅・笠岡駅を過ぎて、広島県福山市へ

次の金光駅(こんこうえき)は、金光教(こんこうきょう)という宗教を中心とした宗教都市となります。
このように宗教を中心とした宗教都市は、天理教(てんりきょう)を中心とした奈良県天理市(てんりし)などが存在します。
また岡山県発祥の黒住教と並んで、「幕末三大宗教」とよばれます。

さらに岡山県最西端である笠岡市(かさおかし)を過ぎると、まもなく列車は県境を過ぎて、広島県に入っていきます。

岡山県笠岡市(かさおかし)は、カブトガニで有名です。カブトガニが生息出来る地域は限られており、笠岡市の独特の海岸や砂浜がカブトガニの生息に適しているとのことです。

大門駅(だいもんえき)からは広島県に入り、東福山駅を過ぎると、福山の街はもうすぐそこです。

次は、福山駅に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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