鉄道唱歌 山陽・九州編 第27番 向かいの岸は下関 関門海峡は行き交う船にとっての要所

まずは原文から!

向(むかい)の岸(きし)は馬關(ばかん)にて
海上(かいじょう)わづか二十町(にじゅっちょう)
瀬戸内海(せとうちうみ)の咽首(のどくび)を
しめてあつむる船(ふね)の數(かず)

さらに読みやすく!

向(むかい)の岸(きし)は馬関(ばかん)にて
海上(かいじょう)わずか二十町(にじゅっちょう)
瀬戸内海(せとうちうみ)の咽首(のどくび)を
しめてあつむる船(ふね)の数(かず)

さあ、歌ってみよう!

♪むかいのきーしは ばかんにてー
♪かいじょうわずか にじゅっちょう
♪せとうちうーみの のどくびをー
♪しーめてあつむる ふねのかずー

前回で福岡県北九州市の門司港(もじこう)に着いて、ついに九州にたどり着いたことになります。

そして、門司(もじ)から見れば向かいの対岸はすでに山口県の下関(しものせき)であり、しかもその距離はわずか1~2km(※後述)という近さになります。
なお、鉄道唱歌の明治時代の当時(西暦1900年)には、下関は馬関(ばかん)と呼ばれていました。
というか、門司港からは対岸には思いっきり下関が見えます。

歌詞では「海上わずか二十町」とあり、この「(ちょう)」というのは昔の長さの単位になります。

1町=だいたい100m

で覚えておけばいいでしょう。
なので、

20町=約2km

のように、あくまで概算ではありますが、約2kmの距離だと覚えておけばよいです。

他にも

1尺(しゃく)=約0.3m
1間(けん)=約2m
1里(り)=約4km

上記はどれも正確ではないのですが、旅行案内や歴史の勉強しているときに、概算(がいさん)するときに便利です。

【鉄道唱歌での例】

長野県の富士見駅について(中央線第29番)
「海抜三千二百尺」→約960m
※実際の富士見駅の標高(955m)とほぼ一致

新潟市の万代橋(ばんだいばし)について(北陸編第43番)
「長さは四百数十間」→約860m
※当時の信濃川は大きかったので、現代の万代橋の長さとは異なる

長野県の諏訪湖(すわこ)について(中央線第33番)
「周囲(まわり)四里の諏訪の湖(うみ)」→約16km
※実際の諏訪湖の長さ(15.9km)とほぼ一致

話を元に戻しますが、門司港駅(もじこうえき)から向かい側の赤間神宮(あかまじんぐう)までの距離は、歌詞にある通り約2kmです。

また、海岸線が最も接近するのは、下関側の「壇ノ浦(だんのうら)」と、九州側の「和布刈(めかり)」との間であり、わずか1kmほどしか離れていません。この狭くなる海域を「早鞆の瀬戸(はやとものせも)」といい、狭くなるため潮の流れが速くなります。

なお、門司港駅(もじこうえき)は、明治時代の開業当初は九州鉄道の起点となった「門司駅」になります。
そして現在の門司駅(もじえき)は、明治時代の開業当初は「大里駅(だいりえき)」という名前でした。

赤間神宮(あかまじんぐう)は、壇ノ浦の戦いで敗れ、平氏に都(京都)から連れてこられた、まだ幼かった安徳天皇(あんとくてんのう)を祀(まつ)る神社です。安徳天皇は、母上様とともに海に入って亡くなられました。
なお「赤間(あかま)」とは、下関の古い言い方(「馬関」よりもさらに前の言い方)です。

和布刈(めかり)」とは、九州側の壇ノ浦の対岸です。非常に狭まった海域で向かい側の壇ノ浦とは距離が近く、潮の流れがここで早くなるため、「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と呼ばれます。
しかもここは「関門トンネル人道」といって、歩行者も歩いて向こう岸まで行けます。

歌詞に
瀬戸内海の咽首(のどくび)を しめてあつむる船の数
とあります。

これは、関門海峡がまるで瀬戸内海の狭い喉の入り口のような形であり、この狭い海域にたくさんの船が集まる様子を表しています。

ではなぜこの「喉首」のような狭い関門海峡にたくさんの船が集まるのかというと、単に
「昔は瀬戸内海から日本海側へ行く道が他になかった」
からですね。

昔は大量のモノを運ぶにも、航空機や長距離トラック、貨物列車は無かったので、江戸時代までは舟で荷物を運ぶのが一般的でした。

西廻り航路(にしまわりこうろ)」はその典型例・代表例で、山形県の酒田(さかた)から、日本海側を大きく迂回して、関門海峡から瀬戸内海に入り、「天下の台所」大坂(大阪)に大量のお米などを運んでいたのでした。

ここで疑問に思うのが、
「船しか使えないんだったら、中国地方を縦に結ぶ運河は無かったの?」
というものです。

結論、非常に難しいです。現在の木次線(きすきせん)や、廃止された三江線(さんこうせん)などを思い浮かべてもらえればわかると思いますが、昔は鉄道ですら中国山地を縦に貫くのは難しかったのに、ましてや江戸時代にそんな険しい中国山地の勾配に逆らって運河を造るなんて、そんな大掛かりで危険な工事なんて誰もやりたくなかったでしょう。そもそも、元取れる(そんな労力・コスト・リスクに見合うだけの利益が出る)のかよ?って話ですよね。たちまち暴動や反乱が起きて、主導した藩主などのリーダーが失脚するかもしれません。
そんな労力・コスト・リスクをかけるくらいなら、河村瑞賢(かわむら ずいけん)の整備した西廻り航路の方が、関門海峡へ大きく迂回して多少遠回りになっても低コスト・低リスク・低労力だったはずです。

現代では、中国山地を縦に綺麗に貫く高速道路のトンネルが整備されてますから、長距離トラックで昔からすれば信じられないほど快適で低コスト・安全な輸送がなされているのです。

上記を踏まえて、少なくとも江戸時代までは、船が交通の中心だったために、日本海側~瀬戸内海を行き来するためには、関門海峡がとても重要だったのです。この狭い海域に、多くの船が集まってきたのでした。

山口県下関市(しものせきし)は、人口約26万人の山口県最大の都市です。第二の都市が、県庁所在地の山口市(人口約19万人)になります。
ただし、下関市は山口県の街ではありますが、福岡県北九州市(小倉)の方が距離的に近いため、県庁所在地の山口市よりは、むしろ福岡市や北九州市との結びつきの方が強いかもしれません。
なので、下関市民の方々の中には、自宅は下関だけども学校や職場が北九州または福岡であり、週末も大都会・小倉に遊びに行くなど、一日の大半を福岡県内で過ごすという事実上の福岡県民の方も多くいらっしゃることでしょう。

しかし、下関駅周辺もデパートやショップ、飲食店などが充実しており、スタバもあり一通りの都会的要素は備えているため、そこまでの不便さはありません。

下関駅(旧・馬関駅) (下関市)

関門海峡はかつて、関門連絡船(かんもんれんらくせん)が出ていました。
そして、下関駅はかつて馬関駅(ばかんえき)という名称であり、1901年に開通した頃には、下関駅は現在の位置とは異なっていました。
1901年の開業当初の馬関駅(ばかんえき)は、現在の下関駅よりも約700m東の海岸・港湾沿いにありました。
ここから列車の車両を船に載せて、九州の門司へ運んでいたのでした。
つまり、線路(レール)が船の中まで続いており、列車ごと船に載せて運ぶことができたのです。
これによって、わざわざ貨物や乗客を乗せたり降ろしたりする手間が省けたのです。

この仕組みは、青森と函館を結ぶ青函連絡船(せいかんれんらくせん)と、岡山県の宇野駅と香川県高松市を結んでいた宇高連絡線(うこうれんらくせん)と似ています。

しかし、青函連絡船は1954年の津軽海峡で起きた洞爺丸沈没事故(とうやまるちんぼつじこ)という悲惨な事故をきっかけに、青函トンネル構想の機運が高まり、実際に1988年に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役割を終えて廃止となりました。

また似たように、宇高連絡線も1950年代に瀬戸内海で頻発した海上事故がきっかけで、1987年に瀬戸大橋が開通するとその役割を終えて廃止となりました。

関門海峡では、さらなる軍事輸送などの増強を図って、1942年代に入り関門トンネルが開通となりました。
それまでの日本では、丹那トンネル(たんなトンネル)という静岡県の熱海(あたみ)~三島(みしま)間を結ぶトンネルが1934年にも開通していますが、これは手で掘り進めたり落盤事故や浸水事故などと闘い続けた、約16年にも及ぶ難工事でした。
しかし1942年にはシールド工法などの、より大きな機械で安全に掘り進める技術が発展したこともあり、こうしたトンネルが開通できたようです。
また、下関は狭まった海峡であり、戦争になると攻撃の対象になります。
なぜなら、関門海峡を魚雷だらけで封鎖されると、瀬戸内海から福岡方面や日本海側への軍事海上輸送ができなくなります。もちろん、その逆方向(瀬戸内海への海上輸送)も不可能になります。

こうしたことを想定し、海峡地下のトンネルであれば砲撃の被害にも遭いにくいと判断されたことも深いでしょう。

話が長くなりましたが、次回も関門海峡の話題は続きます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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