まずは原文から!
千年(ちとせ)のむかし太宰府(だざいふ)を
おかれしあとは此(こ)の處(ところ)
宮(みや)に祭(まつ)れる菅公(かんこう)の
事蹟(じせき)かたらんいざ來(き)たれ
さらに読みやすく!
千年(ちとせ)のむかし太宰府(だざいふ)を
おかれしあとは此(こ)の処(ところ)
宮(みや)に祭(まつ)れる菅公(かんこう)の
事蹟(じせき)かたらんいざ来(き)たれ
さあ、歌ってみよう!
♪ちとせのむーかし だざいふをー
♪おかれしあとはー このところー
♪みーやにまつれる かんこうのー
♪じーせきかたらん いざきたれー
大宰府(だざいふ)は千年前の昔、つまり飛鳥時代の頃から、もっといえば白村江の戦い(はくすんこうのたたかい)のあった時期から、大陸からの侵攻の防御の為に、日本を守る為の玄関口としてこの場所に設置されました。
また、現代の日本の玄関口といえば成田空港や関西国際空港などがそれにあたりますが、 昔は飛行機などなかったので、 当時の日本の玄関口は地理的に外国に近い、九州の北にある大宰府だったのです。
逆に言えば当時の外国人にとっては、大宰府が日本の玄関口だったので、海外の国賓(こくひん)、つまりお偉い方々を招くための迎賓館(げいひんかん。海外の国賓を迎え入れて豪華にもてなす場所のこと)もありました。
大宰府の政庁跡(せいちょうあと)、つまり都府楼跡(とふろうあと)は現在でも史跡として、または公園として残されています。
なお、「大宰府」と「太宰府」は、前回も解説したように漢字が違います。
すごく簡単にいうと、
昔からこの地域にあった政治の中心地→「大宰府」
福岡県太宰府市の自治体名→「太宰府」
など、一応の使い分けは存在します。
歌詞にある「宮」とは、ここでは太宰府天満宮のことをいいます。
また、歌詞にあるように菅原道真(すがわらのみちざね)公のことを菅公(かんこう)とも呼ばれます。または、親しみを込めて「菅公さま」というふうにも呼ばれます。
かつて菅原道真公は、平安時代の西暦900年、京都で醍醐天皇(だいごてんのう)のそばで働いていた時にあらぬ罪を着せられてしまい、大宰府に左遷(させん)となってしまいました。
「左遷(させん)」とは、悪いことをした人に対して罰として不便な僻地(へきち)に追い込むことです。
ではなぜそのような処置がなされたのかというと、例えば死刑にしてしまえばそれ以上苦しみを味合わせられないので、あえて不便な場所に追い込んで惨めな思いをさせることが理由として考えられます。
そして、昔は報復左遷(ほうふくさせん)や流罪(るざい)、そして島流しということがよく行われていたのでした。ある意味、死刑よりむごいかもしれません。
菅原道真公は、生涯最後の2年間は余生をこの大宰府で惨めな思いをしながら過ごしました。
その惨めな最期の生涯を、鉄道唱歌ではこれから語っていこうということです(「事績語らんいざ来たれ」)。
鉄道唱歌では、ここから長い長い「大宰府シリーズ編」に突入します!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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