鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
あとをたづねて分け入れば
草葉をわたる春風に
なびく菫の三つ五つ
さらに読みやすく!
あとをたずねて 分け入れば
草葉をわたる 春風に
なびく菫の 三つ五つ
さあ、歌ってみよう!
♪あーとをたずねて わけいればー
♪くさばをわーたる はるかぜにー
♪なーびくすみれの みついつつー
太宰府政庁・都府楼跡をたずねる
都府楼とは、いわゆる大宰府政庁のことです。
約1,000年もの昔から、九州の外国からの玄関口として、また外国からの防御の要として、ここに置かれていた政治機関のことです。

西鉄線・都府楼前駅(福岡県太宰府市)
当時、つまり飛鳥時代には、朝鮮半島における
- 白村江の戦い
などで、日本も巻き添えを食らう恐れがあったのでした。
そのため、当時最も日本で外国に近かった福岡県あたりの防衛を固める必要がありました。
古代の九州の守りの要・太宰府
防衛の観点から、やや内陸部に存在した 太宰府政庁

都府楼跡(大宰府政庁跡)(福岡県太宰府市)
しかし当時は、海沿いの地域はセキュリティ的に弱いとされていました。
そのため、やや内陸部や盆地の方が防御力が高いと考えられていました。
大宰府が海沿いではなく、やや内陸部に存在しているのは、そのためです。
また、京都や奈良といった都も、やや内陸部や盆地に存在しているのもそのためです。
大野城も、古代から太宰府を守るための重要な防衛拠点だった
そして、「大野城」などのあった山も、巨大な濠などの防壁を築く技術が無かった時代には、防御の拠点として利用・活用されてきたのでした。
太宰府の都府楼には、外国のエラい人を招くための「迎賓館」としての役割もあった
また、都府楼ないし大宰府政庁は、外国人からの玄関口として、外国の偉い人達、つまり国賓を招いて豪華にもてなすための、いわゆる「迎賓館」の役割も果たしました。
太宰府は外国からの玄関口・防衛の拠点として、重要だった
外国に近く最も攻められやすい地域ということは、逆にいえば当時の外国人にとっては日本の玄関口でもあるわけです。
大宰府は、そのような役割も果たしてきたわけです。
今の太宰府・都府楼跡は、公園に 草葉がなびく

都府楼跡(大宰府政庁跡)(福岡県太宰府市)
現代の都府楼跡(大宰府政庁跡)は、公園のようになっていて、とても広い敷地に緑に囲まれた癒やしのスポットのようになっています。
歌詞にある
なびく菫の三つ五つ
について、ここで「草葉」や「菫」とは、ここ政庁跡の広大な敷地に吹く、春風になびく草葉やすみれのことをいうのだと思います。
今や太宰府には、「風に草葉がなびくのみ」という切なさ
1,000年前にはここに政庁があり、また菅原道真公もここにやってきたのでした。
しかし今となっては広大な敷地に草葉やすみれが残るだけであり、それが春風によって吹かれてなびいてるだけとなったのだなぁ、という感慨深い気持ちを表しているのだろうと思います。
なんだか切ないですよね。
「令和」の由来 大伴旅人が、太宰府で詠んだ歌が引用
また、「令和」という元号の由来にもなった坂本八幡宮も、ここ・太宰府に存在します。
かつて奈良時代、大伴旅人という万葉集の歌人が、太宰府で開いた宴会において詠んだ和歌のはじまり部分から、「令和」という言葉が引用されました。
気淑く風和らぎ」
ようやく次で、長かった大宰府シリーズ編もラスト
長かった大宰府シリーズ編も、ようやく次で最後になります!最後まで気を抜かず勉強していきましょう。
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