鉄道唱歌 北陸編 第1番 もう一度上野を出発 北陸地方への旅へ

まずは原文から!

車輪(しゃりん)のひびき笛(ふえ)の聲(こえ)
みかへる跡(あと)に消(き)えて行(ゆ)く
上野(うえの)の森の朝月夜(あさづきよ)
田端(たばた)は露(つゆ)もまださむし

さらに読みやすく!

車輪(しゃりん)のひびき笛(ふえ)の声(こえ)
みかえる跡(あと)に消(き)えて行(ゆ)く
上野(うえの)の森の朝月夜(あさづきよ)
田端(たばた)は露(つゆ)もまださむし

さあ、歌ってみよう!

♪しゃりんのひびき ふえのこえー
♪みかえるあとにー きえてゆくー
♪うえののもーりの あさづきよー
♪たばたはつゆもー まださむしー

(東北本線)
上野駅→田端駅→王子駅→赤羽駅→蕨駅→浦和駅→大宮駅

(高崎線)
上尾駅→桶川駅→鴻巣駅→吹上駅→熊谷駅→深谷駅→本庄駅→神保原駅→新町駅→倉賀野駅→高崎駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

鉄道唱歌(てつどうしょうか)北陸編(ほくりくへん)は、明治時代の西暦1900年に、大和田建樹(おおわだ たけき)さんという方によって作られた唱歌(しょうか)です。

この時代には、いわゆる「地理教育」を目的として、当時の文部省(もんぶしょう)などから発表された唱歌が多くあり、人気を博していました。
また、同時期に作られた唱歌であり、鉄道唱歌・北陸編とも内容が類似・重複している曲として、長野県歌「信濃の国(しなののくに)」などがあります。「信濃の国」は、鉄道唱歌と歌詞に出てくる地名や名所などの内容が似ている(被っている)ため、併せて覚えておくととても勉強しやすく、頭に入りやすいです。

作曲は、現代の我々の鉄道唱歌のイメージとしてなじみ深い多梅稚(おおの うめわか)さんのものでもよいのですが、近年では納所弁次郎(のうしょ べんじろう、1865年生・1936年没、江戸の築地生まれ)さんという方の作曲バージョンも認知されてきています。

多梅稚(おおの うめわか)さんのバージョンは、現代の我々の鉄道唱歌の最たるイメージのものであり、明るくてリズムも良く、鉄道の旅のワクワク感もある雰囲気が特徴です。
列車に乗っているときにスーツさんの「Only you Train」という楽曲と併せて鉄道旅行中に頭で流せば、まるでスーツさんの動画を観ている感覚を味わえます。

一方、納所弁次郎さんのバージョンは明るいというよりはどこか哀愁(あいしゅう)漂う、旅の情緒を感じさせる雰囲気の曲となっています。
「♪しゃりんのひびきー ふえのこえー」と歌うと、まるでまだ朝の寒い時間帯に上野を北陸地方まで出発するんだという、どこか寂しげであり哀愁漂う雰囲気が出ます。

鉄道唱歌は、「東海道編」「山陽・九州編」「奥州・磐城編」までは、わりと道順が一本で、比較的シンプルでした。
しかし、「北陸編」からは道順が一本はなく、様々な路線を乗り継いでゆくストーリーとなるので、ややマニアックになり、基本的な地名や駅名などが理解できていないと、「今どこを歌ってるの?」となりかねません。
当ブログでは、これら地名や駅名などについても、わかりやすく解説していきますので、しっかり勉強していきましょう

以下が、鉄道唱歌北陸編の大雑把な流れです。

上野駅→東北本線赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→(高崎線)→熊谷駅→高崎駅→(信越本線)→横川駅→碓氷峠(バス)→軽井沢駅→(しなの鉄道)→上田駅→長野駅→(北しなの線)→妙高高原駅→(妙高はねうまライン)→直江津駅→(信越本線)→犀潟駅→柏崎駅→長岡駅→三条駅→新潟駅→(海)→佐渡島

佐渡島→(海)→直江津駅→(海)→伏木(富山)

富山駅前→(あいの風とやま鉄道)→高岡駅→倶利伽羅IRいしかわ鉄道津幡駅→(七尾線)→七尾駅→和倉温泉駅→津幡駅に戻る

津幡駅→(IRいしかわ鉄道)→金沢駅→(北陸本線)→小松駅→大聖寺駅→あわら温泉駅→福井駅→鯖江駅→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅→(柳ヶ瀬トンネル)→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅(ゴール)

上記は本当にかなり大雑把に書いたルートですが、これでも慣れなければ結構ややこしいですよね。

まず上野を出発して、東北本線に沿って田端駅・王子駅という風に進んで行きます。
そして赤羽に着いて、荒川を渡って、蕨駅、浦和駅を進み、大宮に着きます。
ここまでは、鉄道唱歌 奥州・磐城編の行程道順とも被っています。

大宮駅を出発すると高崎線に乗り換え、上尾駅 ・桶川駅(おけがわえき)・鴻巣駅(こうのすえき)という風に、中山道(なかせんどう)の宿場町をどんどん群馬県の高崎方面へ向かって進んでいきます。

途中で新幹線も停まり、あの熊谷直実(くまがい なおざね)のホームグランドで有名な熊谷駅(くまがやえき)を過ぎて、新町駅(しんまちえき)・倉賀野駅(くらがのえき)を過ぎていよいよ上野(こうづけ)の街・高崎市(たかさきし)に着きます。

高崎駅に到着すると両毛線(りょうもうせん)にちょっと寄り道して、群馬県の県庁所在地である前橋駅(まえばしえき)に着きます。
高崎駅を出ると再び信越本線に乗り換えて、安中駅(あんなかえき)の方面に向かいます。

安中駅を過ぎたら 次は磯部温泉(いそべおんせん)のある磯部駅(いそべえき)を過ぎてまた次は前に妙義山(みょうぎさん)が見えてきます。
するとますます信越本線の坂・勾配が急になり、松井田駅(まついだえき)を過ぎて横川駅(よこかわえき)に着きます。

横川駅は、現在は軽井沢方面への列車は廃止されているのですが、当時は「アプト式」と言った最新の技術によって、碓氷峠をぐんぐん登っていったのでした。

碓氷峠(うすいとうげ)は古くから中山道(なかせんどう)きっての難所と言われ、鉄道が開通しても非常にきつい勾配がある上に、26ものトンネルを掘っており本当に当時としては難工事だったことが予想されます。

碓氷峠を過ぎると長野県に入り、そこには軽井沢(かるいざわ)となります。
軽井沢は別荘地としても有名であり、また右側には浅間山(あさまやま)もそびえています。

軽井沢に着くと今度は第三セクター線「しなの鉄道」に乗り換え、追分駅(おいわけえき)を過ぎて御代田(みよた)、小諸(こもろ)と過ぎて行きます。
そして左には千曲川(ちくまがわ)が流れ、また上田城のあった上田市(うえだし)に到着します。
上田城は真田幸村(さなだ ゆきむら)のゆかりの城であり、また「落ちない城」として、難攻不落のお城としても有名です。

上田駅を出発すると今度は千曲川に沿って、北へ川中島(かわなかじま)、長野方面へと向かっていきます。
この時左には、姨捨山(おばすてやま)または冠着山(かむりきやま)、田毎の月(たごとのつき)で有名な山が登場します。

篠ノ井駅(しののいえき)に着くとここで篠ノ井線(しののいせん)と合流して千曲川と犀川(さいかわ)を渡ります。
この川と川の間の土地にある、川中島(かわなかじま)という場所に着きます。
川中島はかつて、戦国時代最強と呼ばれた武田信玄上杉謙信が5回に渡って戦った場所です。

川中島を過ぎると今度は、長野県の県庁所在地である長野市に到着します。長野市は善光寺(ぜんこうじ)の門前町として有名な街です。

長野市は北に戸隠山(とがくしやま)などの神々しい山々があり、長野を出発すると第三セクター線「北しなの鉄道」に従って、豊野駅(とよのえき)・牟礼駅(むれえき)・黒姫駅(くろひめえき)という風に過ぎていきます。

この辺りは窓の左側に黒姫山(くろひめやま)や妙高山(みょうこうさん)などの神々しい山々が出てきて、本当に景色が美しいです。
やがて妙高高原駅(みょうこうこうげんえき)に到着します。
妙高高原駅からは「えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン」に乗り換え、直江津(なおえつ)方面向かって北上します。
途中、高田駅(たかだえき)、春日山駅(かすがやまえき)などを過ぎますが、この辺りが上杉謙信の本拠地でもあります。

直江津駅(なおえつえき)に着いたら、今回の旅では本当に初めての海の景色という形になるかもしれません。
直江津駅からは、信越本線を右側(東側)に行き、川を渡って今は存在しない春日新田駅(かすがしんでんえき)の跡を過ぎていきます。

北越急行ほくほく線との分岐点である犀潟駅(さいかたえき)を過ぎて米山駅(よねやまえき)と過ぎていきます。このあたりは親鸞聖人(しんらんしょうにん)のゆかりの地でもあります。

やがて複数のトンネルを過ぎて、海の近い青海川駅(おうみがわあき)を過ぎて、そのうち柏崎駅(かしわざきえき)へ到着します。

柏崎駅からは長岡方面へ向かっていきます。長岡市はかつて戦災を乗り越えたことから「不死鳥の街」とも言われ、長岡の花火大会で有名です。

長岡を過ぎると今度は三条(さんじょう)方面向かっていきます。まどの左側には徐々に弥彦山(やひこやま)が姿を現し、三条からは弥彦方面への弥彦線(やひこせん)が出ており、燕三条駅(つばめさんじょうえき)を過ぎて弥彦村に至ります。

やがて三条駅を出ると加茂駅(かもえき)・矢代田駅(やしろだえき)・新津駅(にいつえき)を過ぎて新潟方面へ向かってきます。
当時は新潟駅はなく沼垂駅(ぬったりえき)という場所にあり、ここから信濃川(しなのがわ)渡っていくとやがて新潟市に到着します。

新潟港からは船で佐渡島(さどがしま)に渡っていきます。
佐渡島(さどがしま)は江戸時代から佐渡金山で栄えた有名な場所であり、また鎌倉時代の承久の乱(じょうきゅうのらん)で敗れた順徳天皇(じゅんとくてんのう)が流されてきた場所でもあります。

佐渡の観光を終えると、再び船に乗って直江津まで戻ってきます。
直江津からは当時はまだ鉄道が出来てなかったので、富山の伏木(ふしき)という港に通う船があるということで、ここから富山に向けて船出をします。

富山からはかつての北陸線、つまり現在の第三セクター線「あいの風とやま鉄道」が出ているので出発していきます。

富山を出発すると高岡(たかおか)・福岡(ふくおか)・石動(いするぎ)と進み、かつて旭将軍(あさひしょうぐん)・木曽義仲(きそよしなか)が500の牛に火をつけて攻撃したという倶利伽羅山(くりからやま)を過ぎて、石川県の津幡駅(つばたえき)に到着します。

津幡駅からは金沢目前ですが、ここから七尾(ななお)・能登半島(のとはんとう)方面へ寄り道します。七尾の近くには和倉温泉(わくらおんせん)という温泉があります。

再び津幡方面に戻ってくると、今度は加賀百万石(かがひゃくまんごく)の大都会である金沢(かなざわ)に到着します。
金沢には、水戸(みと)と岡山(おかやま)と並んで名高い兼六園(けんろくえん)という公園が存在します。

金沢を出発すると、今度は松任駅(まつとうえき)・美川駅(みかわえき)を過ぎて、白山(はくさん)を左にしながら手取川(てとりがわ)を渡り、小松(こまつ)方面へ向かいます。
小松には安宅の関(あたかのせき)という関所があり、源義経(みなもとのよしつね)のゆかりの地でもあります。

やがて加賀温泉駅(かがおんせんえき)・大聖寺駅(だいじょうじえき)を過ぎて、福井県との県境を通り、やがて芦原温泉駅(あわらおんせんえき)を過ぎて福井駅に到着します。

福井駅を出ると、大土呂駅(おおどろえき)・鯖江駅(さばええき)・武生駅(たけふえき)を過ぎて今庄駅(いまじょうえき)に着きます。
ここからはかつての杉津(すいづ)、現代の北陸トンネルという非常に長いトンネルを過ぎて、やがて敦賀駅(つるがえき)に到着します。

敦賀を過ぎると、今度は疋田(ひきた)・柳ヶ瀬(やながせ)・中之郷(なかのごう)といった険しい山道を越えて(現代はトンネルの区間)、やがて滋賀県の琵琶湖の方に出てきます。
そして目の前には賤ヶ岳(しずがだけ)という山が見えます。
この辺りは豊臣秀吉に忠誠を尽くした武士である賤ヶ岳の七本槍(しずがだけのしちほんやり)で有名です。

やがて余呉駅(よごえき)・木ノ本駅(きのもとえき)・長浜駅(ながはまえき)といった琵琶湖北東の駅を過ぎると、やがて終点の米原に到着します。
鉄道ができたことで日本国内が狭いものとなり、あちこちへ行けるようになったことに感謝しつつ、ここで鉄道唱歌 北陸編の全ての行程は終了となります。

・・・上記は本当に簡単に書いたつもりなのですが、これだけでもすごく長いですよね。
鉄道唱歌 北陸編はとてもボリュームたっぷりで、マニアックにもなりこれまでよりもレベルが上がってきます。

上野の森」とは、恐らく「上野恩賜公園」のことを言ってるのだと思います。
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、元々は皇室の領地だったのですが、民間に引き渡されたため、「恩賜(おんし)」ということになっています。

東北本線・上野駅(東京都台東区)

上野駅を出発すると田端駅(たばたえき、東京都北区)に到着します。かつての常磐線との分かれ道です。

田端駅(東京都北区)。鉄道唱歌の当時は現代の日暮里駅のように、常磐線との分かれ道だった

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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