鉄道唱歌 北陸編 第15番 両毛線をさらに東に 織物の名産地、桐生・足利へ

まずは原文から!

線路わかれて前橋(まえばし)の
かたにすゝめば織物(おりもの)と 
製絲(せいし)のわざに名も高き
桐生(きりゅう)足利(あしかが)とほからず

さらに読みやすく!

線路わかれて前橋(まえばし)の
かたにすすめば織物(おりもの)と 
製糸(せいし)のわざに名も高き
桐生(きりゅう)足利(あしかが)とお(遠)からず

さあ、歌ってみよう!

♪せーんろわかれて まえばしのー
♪かたにすすめばー おりものとー
♪せいしのわーざに なもたかきー
♪きりゅうあしかが とおからずー

(両毛線)
高崎駅→新前橋駅→前橋駅→伊勢崎駅→桐生駅→足利駅→(至・小山駅)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

高崎駅(たかさきえき、群馬県高崎市)から両毛線(りょうもうせん)に乗って東へ行くと、前々回紹介した前橋駅(まえばしえき)をはじめ、伊勢崎駅(いせさきえき)・桐生駅(きりゅうえき)・足利駅(あしかがえき)などの駅を過ぎます。
さらに佐野市(さのし)や栃木市(とちぎし)をも過ぎ、やがて栃木県第二の都市である小山市(おやまし)に至ります。

この辺りは、前回も解説したように「桑畑」「養蚕」「生糸」「織物」などで有名な場所であります。

織物(おりもの)」は、現代のように「しまむら」「ユニクロ」などが無かった時代に、職人さんや工業機械などを用いて作っていた昔の着物や布などのことです。
織物は、生糸(きいと)をより合わせて造られ、中でも機械で近代的に製造するものは東京都八王子市などの「機織り(はたおり)」が有名です。

生糸(きいと)」は、カイコ(蚕)という幼虫が生み出す糸のことです。

カイコ(蚕)」は、ガの幼虫の一種で、生糸を生み出す虫になります。
カイコは(くわ)を食べて育つので、カイコを育てる「養蚕(ようさん)」にはたくさんの桑が必要になります。
そのため、養蚕地の周りには桑を栽培する桑畑(くわばたけ)も近隣にあった方が、運送にかかるコストカットの面でも都合がよかったのです。

(くわ)」は、カイコの餌になる植物です。そのため、前回も解説したように群馬県一体には鉄道唱歌の当時はこれらを栽培する桑畑がたくさんあったものと思われます。

上記を簡単にまとめると、以下のようになります。

(くわ)→カイコが食べる植物。
カイコ(蚕)→生糸を生み出す幼虫。
生糸(きいと)→織物を造る材料。
織物(おりもの)→昔の和服。

両毛線(りょうもうせん)は、高崎駅を出発すると上越線(じょうえつせん)との分かれ道でもある新前橋駅(しんまえばしえき、群馬県前橋市)を過ぎて利根川(とねがわ)を渡り、前々回も解説したように前橋駅(まえばしえき、群馬県前橋市)に至ります。
すると伊勢崎駅(いせざきえき、群馬県伊勢崎市)、桐生駅(きりゅうえき、群馬県桐生市)、足利駅(あしかがえき、栃木県足利市)などの駅を過ぎていきます。

さらに、桐生駅から先はいわゆる渡良瀬川(わたらせがわ)に沿って進みます。

栃木県足利市(あしかがし)は、あの室町幕府を開いた足利将軍の発祥の地ともいわれます。
また、足利市には日本最初の学校ともいわれる、足利学校(あしかががっこう)がある場所でもあります。

佐野駅(さのえき、栃木県佐野市)はかつて、静岡県裾野市(すそのし)の裾野駅(すそのえき)と駅名が重複していたようでした。裾野駅もかつて「佐野駅」という名前だったのですが、栃木県の裾野駅と重複を避けるえるために、富士山の裾野(すその。ふもとという意味)にあることから「裾野駅」に変わり、自治体名も裾野市に変わったという経緯があります。

やがて小山駅(おやまえき、栃木県小山市)に至ります。
小山市は、栃木県で二番目の都市です。

次はいよいよ高崎駅を出発し、信越本線に乗り換え、西へ長野方面へ向かってゆきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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