鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
弥彦(新潟)の観光・歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
ゆく/\望む彌彦山
宮は國幣中社にて
參詣男女四時たえず
さらに読みやすく!
ゆくゆく望む 弥彦山
宮は国幣中社にて
参詣男女 四時たえず
さあ、歌ってみよう!
♪ゆくゆくのぞむー やひこやまー
♪みーやはこくへい ちゅうしゃにて
♪さんけいなんにょ しじたえずー
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅
(弥彦線)
東三条駅→燕三条駅→燕駅→吉田駅→弥彦駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
長岡駅を出て、徐々に北西に姿を現す弥彦山
長岡駅(新潟県長岡市)を出発し、信越本線に沿って新潟方面へ向かうと、窓の西北にはやがて弥彦山の山容が徐々に姿を現してくることになります。

車窓の北西に、徐々に姿を現す弥彦山(新潟県)
弥彦山は、標高634mの山であり、東京スカイツリーと同じ高さになります。
越後国一宮・弥彦神社
弥彦山の麓には、越後国一宮である、弥彦神社があります。
「一宮」「国幣中社」とは?
弥彦神社は越後国の一宮であるため、新潟県で最も格式の高い神社になります。
一宮とは、律令制においてその国で最も格式の高い神社のことです。
そして旧社格は、国幣中社です。
国幣中社とは、明治時代に定められた「近代社格制度」という枠組みで決められた、神社のランク付けの一つです。
鉄道唱歌の歌詞にも比較的登場する「官幣大社」という言葉も、こうした「近代社格制度」の枠組みの一つです。
国などから幣帛(捧げ物)を受けられた、国幣社・官幣社
官幣社と国幣社では、実はそこまでの違いはありません。
ただ、官幣社の方がどちらかというと天皇や皇室にゆかりが近いというイメージです。
幣とは「幣帛」のことであり、いわゆる神様に対する捧げ物お金やお米などのことです。
そして官幣社または国幣社に指定された神社は、国またはエラい人からこうした幣帛を受けられるようになったのでした。
つまり、国のサポートを得られるようになった神社というわけです。
官幣社と国幣社は、それぞれ大・中・小のランクに分かれており、大の方が位が高い神社ということになります。
なお、日本で最も位の高い神社は三重県の伊勢神宮とされ、官幣大社や国幣大社よりも上の位にあるため、社格すらついていません。
なぜ明治時代に「近代社格制度」が設けられたか
明治時代は「国家神道」といって、
- 江戸時代までの「神仏習合」のような仏教と混じった神道を排除して、
- 新たに日本のオリジナル宗教である神道を強く打ち出し、
- 国民が神様や天皇のもとで一致団結して、
- 欧米諸国に負けない国作りを目指していた
ました。
そのため、天皇により近しい重要な神社を「位の高い神社」にするため、「近代社格制度」は設けられました。
そして高いランク付けとなった神社は、国により様々な優遇措置(先述の「幣帛」)を受けることになりました。
逆に、明治時代は極端な「廃仏毀釈」により、仏像が破壊されるほど仏教排斥の動きが強まってしまいました。
すると仏教である「お寺」は冷遇されてしまい、奈良の興福寺などのように衰退するお寺が多くありました。
戦後に「近代社格制度」は廃止へ
近代社格制度は、戦後にGHQの命により廃止されました。
欧米諸国からは極端な「国家神道」や「天皇崇拝」が日本を戦争に導いたのだと思われてしまったため、近代社格制度は廃止されることになったのでした。
現代では「近代社格制度」は設けられていないため、「官幣社」や「国幣社」などの呼び方は、あくまで「旧社格」という扱いになります。
標高634m、東京スカイツリーと同じ高さの弥彦山

遥か向こうにのぞむ弥彦山。山の手前は上越新幹線(新潟県)
弥彦山は、新潟のこのあたりの地域では十分によく見えます。
また、標高も充分高いため(東京スカイツリーと同じ634m)、テレビ搭などが山頂に立っています。
というのも、テレビの電波というものは標高が高くないと、電波が十分に届かないのです。
そのため、テレビ塔は少しでも高い山の上に建てられることが多くなります。
余談1:東京スカイツリーは、なぜ出来た?
ちなみに東京スカイツリーが出来た理由は、既存の東京タワー(約330m)の近隣・周辺に200m~300m級の高層ビルが増えてきたために、高さが足りなくなって、より高いタワーを建てることで電波を届けやすくするという目的があったからです。
634mという数字は「むさし(武蔵)」とも読めるため、日本人に親しみやすいように、東京スカイツリーは、あえてこの高さに設定されたようです。
余談2:他にもある、東京スカイツリーと同じ高さの山 山梨県大月市・岩殿山
なお余談ですが、他の東京スカイツリーと同じ高さ(634m)の山として、山梨県大月市の岩殿山があります。
岩殿山(標高634m)は、戦国時代の武田信玄の息子・武田勝頼の配下である小山田信茂の山でした。
武田勝頼が1575年の「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊に敗れ、急速に衰退し、織田軍から逃れるために岩殿山に逃げようとしたのでした。
しかし配下であったはずの小山田信茂に受け入れを拒否され、武田勝頼は仕方なく一つ手前の天目山に逃れたところを織田軍の追っ手に捕まり、自害する羽目になってしまいました。
これは中央線鉄道唱歌 第15番でも、
と歌われています。
ここでいう「主君」とは武田勝頼のことであり、「奸党」とは小山田信茂のことをいいます。
奸党とは、本来は「ろくでなし」「裏切り者」みたいな、ちょっとマイナスのイメージの言葉です。
つまり、小山田信茂は主君であるはずの武田勝頼を裏切ってしまった、みたいなニュアンスですね。
もし小山田信茂が武田勝頼を受け入れてたら、信茂自身も織田側から匿った罪で、まとめて復讐される羽目になっていたかもしれません。
岩殿山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

詳しくは以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

次回は、東三条駅から弥彦方面へ
話がかなりずれましたが、次回は東三条駅で弥彦線に乗り換え、弥彦山方面へ向かいます!
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