鉄道唱歌 北陸編 第38番 長岡を出て、車窓に少しずつ姿を現す弥彦山

まずは原文から!

汽車(きしゃ)の窓より西北(にしきた)に
ゆく/\望(のぞ)む彌彦山(やひこやま)
宮は國幣中社(こくへいちうしゃ)にて
參詣男女(さんけいなんにょ)四時(しじ)たえず

さらに読みやすく!

汽車(きしゃ)の窓より西北(にしきた)に
ゆくゆく望(のぞ)む弥彦山(やひこやま)
宮は国幣中社(こくへいちうしゃ)にて
参詣男女(さんけいなんにょ)四時(しじ)たえず

さあ、歌ってみよう!

♪きしゃのまどより にしきたにー
♪ゆくゆくのぞむー やひこやまー
♪みーやはこくへい ちゅうしゃにて
♪さんけいなんにょ しじたえずー

(信越本線)
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅

(弥彦線)
東三条駅→燕三条駅→燕駅→吉田駅→弥彦駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの

長岡駅(ながおかえき、新潟県長岡市)を出発し、信越本線に沿って新潟方面へ向かうと、窓の西北にはやがて弥彦山(やひこやま)の山容が徐々に姿を現してくることになります。

車窓の北西に、徐々に姿を現す弥彦山

弥彦山(やひこやま)は標高634mの山であり、東京スカイツリーと同じ高さになります。

弥彦山(やひこやま)の麓(ふもと)には、越後国(えちごのくに)一宮(いちのみや)であ
弥彦神社(やひこじんじゃ)があります。

弥彦神社は越後国(えちごのくに)一宮(いちのみや)であるため、新潟県で最も格式の高い神社になります。
一宮(いちのみや)とは、律令制においてその国で最も格式の高い神社のことです。
そして旧社格は、国幣中社(こくへいちゅうしゃ)です。

国幣中社(こくへいちゅうしゃ)とは、明治時代に定められた「近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)」という枠組みで決められた、神社のランク付けの一つです。
鉄道唱歌の歌詞にも比較的登場する「官幣大社(かんぺいたいしゃ)」という言葉も、近代社格制度の枠組みの一つです。

官幣社(かんぺいしゃ)と国幣社(こくへいしゃ)では、実はそこまでの違いはありません。
ただ、官幣社の方がどちらかというと天皇や皇室にゆかりが近いというイメージです。

官幣社と国幣社は、それぞれ大・中・小のランクに分かれており、大の方が位が高い神社ということになります。
なお、日本で最も位の高い神社は三重県の伊勢神宮(いせじんぐう)とされ、官幣大社や国幣大社よりも上の位にあるため、社格すらついていません。

明治時代は「国家神道(こっかしんとう)」といって、江戸時代までの「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」のような仏教と混じった神道(しんとう)を排除して、日本のオリジナル宗教である神道(しんとう)を強く打ち出し、国民が神様や天皇のもと一致団結して、欧米諸国に負けない国作りを目指していました。

そのため、天皇により近しい重要な神社を最も位の高い神社にするため、「近代社格制度」は設けられました。
そして、戦後にGHQの命により廃止されました。
現代では近代社格制度は設けられていないため、官幣大社や国幣中社などの呼び方は、あくまで「旧社格」と呼ばれます。

遥か向こうにのぞむ弥彦山。山の手前は上越新幹線

弥彦山は、新潟のこのあたりの地域では十分によく見えます。
また、標高も充分高いため(東京スカイツリーと同じ634m)、テレビ搭などが山頂に立っています。

というのも、テレビの電波というのは標高が高くないと、電波が十分に届かないのです。そのため、テレビ塔は少しでも高い山の上に建てられることになります。

ちなみに東京スカイツリーができたのは、既存の東京タワー(約330m)の近隣に200m~300m級の高層ビルが増えたために、高さが足りなくなって電波を届けやすくする目的があったからです。

634mという数字は「むさし(武蔵)」とも読めるため、日本人に親しみやすいよう、東京スカイツリーはあえてこの高さに設定されたようです。

なお余談ですが、他の東京スカイツリーと同じ高さ(634m)の山として、山梨県大月市(おおつきし)の岩殿山(いわどのやま)があります。

岩殿山(いわどのやま、標高634m)は、戦国時代の武田信玄(たけだ しんげん)の息子・武田勝頼(かつより)の配下である小山田信茂(おやまだ のぶしげ)の山でした。
武田勝頼が1575年の「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊に敗れ、急速に衰退し、織田軍から逃れるために岩殿山に逃げようとしました。

しかし配下であったはずの小山田信茂に受け入れを拒否され、武田勝頼は仕方なく一つ手前の天目山(てんもくざん)に逃れたところを織田軍の追っ手に捕まり、自害する羽目になってしまいました。

これは中央線鉄道唱歌第15番でも、
主君に背きし奸党(かんとう)の 骨また朽ちて 風寒し
と歌われています。

ここでいう「主君」とは武田勝頼のことであり、「奸党(かんとう)」とは小山田信茂のことをいいます。
奸党とは、本来は「ろくでなし」「裏切り者」みたいな、ちょっとマイナスのイメージの言葉です。
つまり小山田信茂は主君であるはずの武田勝頼を裏切ってしまった、みたいなニュアンスですね。
もし小山田信茂が武田勝頼を受け入れてたら、信茂自身も織田側から匿(かくま)った罪でまとめて復讐される羽目になっていたかもしれません。

武田勝頼終焉の地となった天目山(てんもくざん)および初鹿野駅(はじかのえき、現代の甲斐大和駅、山梨県甲州市)のことも、中央線鉄道唱歌第18番で歌われていますね。

話がずれましたが、次回は三条駅(さんじょうえき)で弥彦線(やひこせん)に乗り換え、弥彦山方面へ向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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