鉄道唱歌 北陸編 第41番 「明治11年の行幸」 天皇陛下を見守った松陰

鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
明治11年の御幸などについて、わかりやすく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

十一年じゅういちねん御幸みゆきの日
かたじけなくも御車みくるま
とゞめたまひし松かげは
今この里にさかえたり

さらに読みやすく!

十一年じゅういちねんの 御幸みゆきの日
かたじけなくも 御車みくるま
とどめたまいし 松かげは
今この里に さかえたり

さあ、歌ってみよう!

♪じゅういちねんの みゆきのひー
♪かたじけなくもー みくるまをー
♪とーどめたまいし まつかげはー
♪いまこのさとにー さかえたりー
(信越本線)
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの

明治11年に、天皇が北陸地方を行幸

明治11年の行幸ぎょうこう」とは、明治11年1878年に明治天皇が、北陸地方行幸ぎょうこうされた時の事をいいます。

「行幸」とは?

ここで行幸(ぎょうこう/みゆき)とは、天皇陛下が外出または出張なさることをいいます。

現代でも、天皇陛下はじめ皇族の方々が被災地などをはじめ、全国各地をご訪問されたりしますよね。

東京駅の「御幸通り」

東京駅でも、皇居から東京駅の正面玄関に向けて「御幸通みゆきどお」という豪華な道路があります。

ちなみに天皇陛下が全国各地へ行幸ぎょうこうされる際には、

  1. この「御幸通り」を通られて、東京駅の正面玄関から入り、
  2. お召し列車」に乗られて、各地を回られる

というわけです。

「明治11年の行幸」の目的

なお、明治11年の行幸の目的は、天皇の権威を全国各地にアピールする、という目的があったとされています。

当時は天皇陛下の権限が絶大であり、1889年の「大日本帝国憲法」のもとでは、「天皇は神聖不可侵しんせいふかしん」とされていました。
そのため、天皇の権威をアピールして、国をまとめることが重要だったわけです。

行幸のルート 難所の「親不知」を通過

明治11年に天皇が行幸されたときのルートについてです。

  1. まずは東京を出発して、
  2. 群馬県から新潟県に入り、
  3. 今回解説する、前回も解説した加茂市かもしあたりを訪問され、
  4. 後述する「親不知おやしらず」という難所を通り、
  5. 北陸地方を西へ進み、
  6. やがて、西日本までおもむかれた

ということです。

明治11年の行幸の当時は、北陸地方にはまだ鉄道が通ってなかった

この時期は、まだ西南戦争が1877年が終わったばかりでした。
また、新橋~横浜で鉄道が開通してまだ6年、首都圏や関西都市部などで、ようやく鉄道が走りはじめた段階という時代でした。
そのため北陸地方には、まだ鉄道は開通していませんでした

そのため、天皇陛下は神輿みこしのようなものにかつがれての移動となりました。

明治11年の行幸の後に通られた「親知らず」

先述した通り、天皇が「明治11年の行幸」の際に北陸地方の旅をなされた際に、「親知らず」という難所があり、かなり苦労されたようです。

親知らず」とは、富山県新潟県の間にある、日本海側にある断崖絶壁です。

えちごトキめき鉄道「日本海ひすいライン」の、

  • 親不知駅おやしらずえき(新潟県糸魚川市)」

がこれに該当します。

親が子供を思わず突き落としてしまうくらい、余裕がなく狭いスペースであるため、「親不知おやしらず」と呼ばれるわけです。

人が一人通れるスペースがかろうじてあるだけで、すぐ横には波が迫ってきています。

そのため歴史上、何人か波にのまれて、犠牲になったそうです。


参勤交代などの際に、大名などお偉い方が親知らずを通るときは、

  1. 護衛の人達が、大勢でバリアーや壁のような役割を果たし、
  2. 大名が波で濡れないようにした

そうです。


天皇陛下が明治11年に通られた時は、安全のため山側のルートを新しく造って通られたといいます。

現代では立派な道路やトンネルができているため、断崖絶壁を通る必要はありません。

加茂市の「青海神社」

そして前回解説した新潟県加茂市かもし青海神社おうみじんじゃ境内けいだいには、松の木がたくさん植えられています。

歌詞によれば、この松の木々は、明治天皇のやってこられた御車みくるま(つまり、先ほど述べた神輿のような車)を、かたじけない思いで見守っていたのでしょう。

かたじけなくも」とは、「おそれ多くも」という意味です。

つまり、とても偉い人を前にかしこまる、みたいな意味でしょう。

つまり神社の松陰で、天皇陛下を恐れ多くも見守っいた松陰は、この里現代の加茂市ということになります。

加茂駅(新潟県加茂市)

加茂駅(新潟県加茂市)

加茂市を訪問されたときは、このような昔のことをしのびながら旅行するのも、旅の一つのおもむきといってもいいのではないでしょうか。

次回は、新津へ

列車は、やがて新津にいつに到着します。

新潟へは、あともう少しです!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。

もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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