まずは原文から!
おるればわたる信濃川(しなのがわ)
かゝれる橋は萬代(ばんだい)の
名も君が代(きみがよ)とときはにて
長さは四百(しひゃく)數十間(すじゅっけん)
さらに読みやすく!
おるればわたる信濃川(しなのがわ)
かかれる橋は万代(ばんだい)の
名も君が代(きみがよ)とときわ(常盤)にて
長さは四百(しひゃく)数十間(すじゅっけん)
さあ、歌ってみよう!
♪おるればわーたる しなのがわー
♪かかれるはしはー ばんだいのー
♪なもきみがーよと ときわにてー
♪ながさはしひゃく すじゅっけん
(信越本線)
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅
列車は既に新潟県新潟市(にいがたし)に到着しています。
前回も解説しましたが、鉄道唱歌の当時の信越本線の終着駅は沼垂駅(ぬったりえき)でした。
この沼垂駅(ぬったりえき)は、現在の新潟駅のやや東に存在しました。
新潟駅の1つ前にある越後石山駅(えちごいしやまえき、新潟県新潟市)から港方向に真っ直ぐに進み、信濃川のほとりに沼垂駅は存在していました。
これは当時の信濃川は1kmほどの川幅があり、あまりにも長くて橋がかけられず、川の向こうにある新潟市の中心部まで線路を延ばせなかったことに起因します。
新潟地域と沼垂地域は、当時激しい駅の誘致合戦が繰り広げられていたのですが、結局は上記のような理由により新潟の中心部までには線路が通せず、沼垂(ぬったりえき)に駅が作られることになりました。
これに激怒した新潟の人々の怒りが頂点に達し 「沼垂駅爆破事件」という事件にまで発展してしまいました。
しかしながら、個人的に地図を眺めていて思ったのが、沼垂駅は信濃川河口の新潟港にほぼ直結した位置にあります。
明治時代は新潟港は「開港五港(ごこう)」の一つとして国際的に重要な役割を果たしていましたから、海外との連絡線として沼垂駅は地形的に重要だったのかもしれません。
明治時代に信越本線が開業してから、東京~新潟間は11時間で到達できるようになりました。
さらに1930年代には上越線が開業し、7時間に短縮されています。
それだけ、東京から新潟へのアクセスは重要だったことがわかります。
新潟駅が現在の位置に移されても、沼垂駅はしばらくは貨物路線として機能していました。
これも新潟港の海運との連携のよさがあったからだと考えられます。港の近くまで鉄道で荷物を運んで、船に載せ替えられるからですね。
しかし、1960年代以降は高速道路が発達し、高速トラック輸送がコスパのよい主流になったきたため、貨物輸送は次第に衰退し、沼垂駅もその役割を終えました。
沼垂駅は現代でも廃駅跡・廃線跡があり、マニアを引きつけるには十分です。
信濃川にかかっている橋は万代橋(ばんだいばし)といいます。
万代(ばんだい)とは、非常に長い年月を意味します。「君が代」の歌詞にある「千代に八千代に」も同じような意味です。「常盤(ときわ)」「千歳(ちとせ)」なども同じような意味になります。日本人は歴史的に、こうした「末永く続く」といった意味の語句を地名に採用することがよくあったことでしょう。
信濃川の長さは当時から変わっていますので、万代橋の長さも変化していることでしょう。
ちなみに1間(けん)=約1.8km、おおよそ2mです。
歌詞によると(当時の)万代橋の長さは430間(けん)程度?なので、
430×2=860m
となり、ほぼ1kmほどの長さがあったということになります。
それだけ、信濃川の幅が広かったわけですね。
現代の万代橋の長さは約300mほどになります。
万代橋を渡ると、川の向こう(上記写真の左側)は新潟の繁華(はんか)の中心地です!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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