鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
信濃川(新潟市)の歴史などを、わかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
舟ゆく水の便りよく
わたせる橋をかぞふれば
およそ二百もありとかや
さらに読みやすく!
舟ゆく水の 便りよく
わたせる橋を かぞうれば
およそ二百も ありとかや
さあ、歌ってみよう!
♪ふねゆくみずのー たよりよくー
♪わたせるはーしを かぞうればー
♪およそにひゃくも ありとかやー
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅などを表記
信濃川の向こうは、新潟の町
沼垂駅を降りたら、信濃川の川の向こうは、新潟市(の中心地域)ということになります。
沼垂駅とは、現在の新潟駅とは異なる、新潟駅のやや東に存在した、明治時代当時の(信越本線の)終着駅です。
- 当時は、信濃川の川幅が長すぎたため(約1km)に、鉄道の橋をうまくかけられなかったこと
- 用地買収がうまくいかなかったこと
などの様々な理由で、沼垂駅が信越本線の最終駅となっていたのでした。
沼垂駅を降りて信濃川を渡ると(舟や橋などで渡る)、そこは新潟市(の中心地域)です。
日本一長い川・信濃川
信濃川は、日本一長い川です。
長野県のところでも解説しましたが、信濃川は長野県では
- 千曲川
という名前でした。
それが新潟県に入ると、信濃川という名前に変わるわけです。
北陸編 第23番でも解説したように、
末は越後の海に入る」
とあったと思いますが、その「越後」というのがまさにこの付近になります。
なお本サイトでは何度も解説している通り、関東地方の利根川は
となりますので注意しましょう。
詳しくは「鉄道唱歌 奥州・磐城編 第6番(利根川を渡る場面)」のところで解説しています。

当時の信濃川は、約1kmもあった!?
当時の信濃川の川幅は今と比べて非常に広く、川と川の長さが1kmもあったという風にも言われています。
また先述の通り、当時はこれだけ長かった信濃川に対して(鉄道の)橋をかけることができなかったのでした。
そして元々の新潟駅は、現在の位置ではなく、明治時代の開業当初はやや東側に存在した沼垂駅が終着でした。
しかしこの沼垂駅には反対意見も大きく、住民の怒りが頂点に達してしまったため、開業前に爆破事件なども起こってしまいました。
それは、
- 沼垂地域では、やはり駅としては不便であること
- 新潟地域が、沼垂地域に誘致合戦で負けたこと
などが、不満の理由として挙げられるでしょう。
現在でも、信濃川をわたると万代橋の向こうには新潟市の中心部的な、繁華街的な街並みがたくさん出てきます。
「水の都」にいがた
これは次回も解説しますが、当時の新潟市は「水の都」であり、たくさんの舟が町中を通っていました。
つまり、町の中には現在よりも多くの川や運河などが存在し、そこにたくさんの舟が通っていたというわけです。
もちろん、川や運河が多いということは、その分、橋の数も多くなるということです。
その数は、歌詞によれば
とのことです。
ただ、
だと、まるで伝聞情報みたいなニュアンスですね。
そのため、あくまでこの200という数字は、「参考まで」に思っておけばよいでしょう。

これは、かつて「水の都」「水都」と呼ばれた江戸(東京)や大坂(大阪)とも似ています 。
江戸にもかつてたくさんの運河がありましたが、現代では埋め立てられて「道路」になっていたりします。
大坂にもかつてたくさんの堀があり、
- 「道頓堀」
- 「長堀橋」
などの地名に、その名残があります。
現代ではこうした運河や堀は用済みとなって多くが埋め立てられ、ほとんど見かけることはできません。
少しでも、こうした水運の歴史にも興味を持ってもらえれば嬉しいです!
次回も、新潟市の話題を取り上げます!
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