鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
開港五港の一つ・新潟の歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
商家の軒は日をおほふ
げにも五港の一つとて
戸數萬餘の大都會
さらに読みやすく!
商家の軒は 日をおおう
げにも五港の 一つとて
戸数万余の 大都会
さあ、歌ってみよう!
♪しょうかののきは ひをおおうー
♪げーにもごこうの ひとつとてー
♪こすうまんよのー だいとかいー
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
かつて「水の都」と呼ばれた新潟
かつて開港五港の一つだった新潟市は、
- 「水の都」
といって、たくさんの舟が街の中を行き交っておりました。

「水の都」新潟駅前より(新潟県新潟市)
例えば、江戸や大坂についてもそうだと思いますが、かつて町の中には、船を通すための「水の道路」がたくさん掘ってありました。
この水の道路のことを、
- 「運河」
- 「堀」
などといいます。
大坂では「堀」と呼ばれるケースが多かったようです。
- 「道頓堀」
- 「長堀橋」
などにその地名が残っていますよね。
なぜ町中に、水路や堀がめぐらされたいたのか?
なぜこのように舟が通る水路が街中にあったのかというと、昔は「車」や「トラック」などがなかったからですね。
特に大量の荷物を運ぶときは、舟に大量に載せた方が効率よく運べるからです。
こうした運河や堀は、恐らく現在では用済みとなってしまい、埋め立てられて無くなってしまっているものと思われます。
埋め立てられた堀は、現在では道路になっているケースも多いです。
たくさんの商店の軒が並んでいた
また当時の商業街は、現在のようにデパートが立ち並ぶような感じではなく、たくさんの駄菓子屋みたいなお店が並んでるイメージでありました。
歌詞では、その横に並んで連なる
が、
というような意味でしょう。
開港五港の一つ・新潟
また新潟港はかつて開港五港と言われ、1858年の日米修好通商条約で開港した5つの港のうちの1つです。
こうした「五港」の一つに選ばれたため、国際的に発展してした港でした。
そうして、たくさんの船(百船)が、まるで横浜みたいに行き交っていたことになります。
そういった船の煙が、歌詞にある通り、
のでしょう。
「げに」は「実に」と書きます。
まさに、とかそういった意味ですね。
なお、開港五港とは、
の五つの港のことをいいます。
新潟港については、以下の記事でもさらに詳しく、わかりやすく解説していますので、ご覧ください。

現在でも、人口80万人の大都会
歌詞によれば、当時の新潟は
とあります。
明治時代では、万単位の人口であれば、かなりの大都会になります。
新潟市は現在でも人口80万人の大都会です。

新潟駅(新潟県新潟市)
次はいよいよ新潟港を船で出発し、佐渡方面へ向かいます!
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