まずは原文から!
藥(くすり)に名ある富山市(とやまし)は
神通川(じんつうがわ)の東岸(ひがしきし)
はるかに望む立山(たてやま)は
直立(ちょくりつ)九千(くせん)九百(くひゃく)尺(しゃく)
さらに読みやすく!
薬(くすり)に名ある富山市(とやまし)は
神通川(じんつうがわ)の東岸(ひがしきし)
はるかに望む立山(たてやま)は
直立(ちょくりつ)九千(くせん)九百(くひゃく)尺(しゃく)
さあ、歌ってみよう!
♪くすりになーある とやましはー
♪じんつうがわのー ひがしきしー
♪はるかにのーぞむ たてやまはー
♪ちょくりつくせん くひゃくしゃく
(あいの風とやま鉄道線)
富山駅→高岡駅→福岡駅→石動駅→倶利伽羅駅
(IRいしかわ鉄道線)
倶利伽羅駅→津幡駅→金沢駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
薬の名所・富山 その歴史とは
富山県は、薬の生産・販売で有名です。
それは江戸時代からはじまっています。
ではなぜ、江戸時代の富山で薬(を売る行為)が始まったのか。
江戸時代は、どの藩も幕府にとって都合良く税金(年貢)を納めなければなりませんでした。
富山藩もそれは例外ではありません。
しかも幕府にとっては、江戸より遠い藩(特に、外様大名)に下手に軍事力や財力を付けられると、その武力を背景に反逆し、幕府を倒そうとする勢力になることは脅威でした。
特に「関ヶ原の戦い」で敗れて遠くに飛ばされた外様大名は、徳川家に対して恨みを持っておりいつ反逆するかわからない可能性もあったからです(例:山口県の長州藩など)。
そのため、幕府は各藩(特に外様)に対して、公共事業(例えば、橋や堤防、道路を作る)という名目で、半ば嫌がらせのように手伝わせました。もちろん建設費や工事費、労働力などは、みな各藩の負担です。
(例:薩摩藩の木曾三川工事など)
これを「手伝普請(てつだいふしん)」といいます。
このような負担を課せられて、また参勤交代による多大な出費も併せて、江戸時代の各藩はどこも多大な出費を余儀なくされ、常に財政難にあえいでいました。
そこで、どの藩もまずやろうとしたのが、大規模に新田開発を行い、田んぼを耕し、効率的な農業機具を発明し、たくさんのお米が収穫されて財源を確保しようとしたのです。
(例:米沢藩、仙台藩、岡山藩など)
しかし、富山ではそこまでお米や農業に適した土地がなく、他の藩のように思うように農業で稼ぐことができなかったようです。
そんなとき、江戸時代に富山藩の大名が参勤交代で江戸に滞在していたとき、他の藩の大名が腹痛に苦しんでいたところ、富山の薬を飲ませたところ、急激に回復したことが話題になったそうです。
この薬を、「反魂丹(はんこんたん)」といいます。
こうして富山の薬は一躍有名になり、これからの富山藩は「薬の販売でやっていこう」となり、これにより藩の財政はやっていけるようになったそうです。
富山の薬は先述の通り、今から約300万年前の江戸時代より、「反魂丹(はんこんたん)」という薬の販売で有名になりました。
富山県は、現在でも薬の生産量は日本一です。
富山駅の北側の海岸線までのエリアには、製薬会社がたくさん存在します。
富山市を流れる「神通川」
神通川(じんつうがわ)は、富山市街地のやや西側を流れる川です。
逆にいえば、富山市街地は神通川の東側に存在していることになります。
そして神通川は、残念なことにあの「イタイイタイ病」でも有名な川です。
富山の方々からすれば「神通川=イタイイタイ病」みたいな負のイメージは持ってもらいたくないとは思いますが、社会科でも習う(授業で教わり教科書に出てくる)以上、どうしてもこの話題と切り離すことはできませんことをご了承ください。
「イタイイタイ病」は、神通川の上流にある工場から排出された「カドミウム」という物質が原因で引き起こされた、「四大公害病」の1つです。
「四大公害病」は、他にも熊本県水俣市(みなまたし)でおきた「水俣病(みなまたびょう)」、三重県四日市市(よっかいちし)で起きた「四日市ぜんそく」、新潟県で起きた「新潟水俣病」があります。
※くれぐれも各都市のイメージを損ねる意図はありません。現代の各都市は地元住民の皆さんの努力により、著しく環境改善がなされているものと確信しております。
高度経済成長期にあった1960年代頃の日本では、どの都市もいかにして大きな工場をたくさん誘致して、建設して、工業製品を大量に生産して、大きな利益を上げるのかが第一優先でした。
これによって多くの工場や会社が潤沢になれば、働く人々の人口も増え、自治体への税収も多くなり、街の経済発展に繋がるからです。
しかし、現代ほど有害物質に対する知識やノウハウ・扱い方に長けておらず、また環境基準や法律などが現代ほど厳しくなかった当時は、工場から大量に出る有害物質をコントロールしきれていませんでした。
また、工場で物を燃やしたり高熱で加工したりすると、どうしても有害物質が出てくることは避けられません。
しかし当時の日本は残念ながら工場の発展が第一優先だったのか、現代ほどこの認識が欠けていたのかはわかりませんが、こうした有害物質が大気中や海や川などの自然に放出されてしまいました。
その結果として、人々は病気に苦しむようになり、裁判も多発するなど社会に負の痕跡を残すこととなりました。
しかしながら、それ以降の日本はこうした苦難を乗り越え、環境基準を厳しく設定し、有害物質の扱い方や廃棄方法なども厳しくなりました。
そして山、海、川などの自然も人々の努力により綺麗になっていきました。
現代の神通川は、地元の方々の弛(たゆ)まざる努力の成果により、水質は著しく改善されており、「イタイイタイ病」はもはや過去の忘却にあることを付け加えておきます。
富山市のはるか向こうにそびえる「立山」
立山(たてやま)は、富山市の南東にある標高 3,015mの山です。
立山は、先述の神通川(じんつうがわ)の畔(ほとり)からはるか遠くに美しく望むことができ、まるで富士山のように雪の冠が美しいです。富山県のシンボルといってもいいでしょう。
歌詞では9,900尺(しゃく)とありますが、1尺はだいたい0.3メートルですから、
9900×0.3=2970
であり、立山の標高3,015mとだいたい計算が合います。
昔の人は、かなり高い精度で山の高さを測っていたんですね。
ちなみに「富山(とやま)」の名前の由来ですが、立山など高くて美しい「山々に富んでいる」地域なので、「これが富山の由来なのかな?」と思って調べてみたら、やはりその通りでした。
立山の「白鷹(はくたか)伝説」
立山には、かつて白鷹伝説(はくたかでんせつ)という、北陸新幹線(およびかつての特急)「はくたか」 の由来になった伝説があります。
昔あるとき、白鷹(はくたか)を連れて立山に修行をしにきた人物がいました。
彼の名を、佐伯有頼(さえき ありより)といいます。
しかし、突然クマが目の前に現れて、驚いた白鷹(はくたか)は逃げてゆきました。
クマのせいで大切な白鷹(はくたか)が逃げていったことに有頼さんは激怒し、ふざけんな!と言ってクマを追いかけました。
クマは洞窟の方へ逃げてゆき、奥まで追いかけていくと、そこには何とも美しい神様がいました。
あのクマは、有頼さんを神様に会わせるための使いだったのです。
神様は言いました。
「ここ(立山)にて信仰を開きなさい。そうすれば、人々はみな幸せになれるでしょう。」
これが立山の白鷹信仰(はくたかしんこう)の始まりになります。
そしてこれがあの新幹線「はくたか」の由来となった、白鷹伝説になります。
富山市では、このように神通川から遥か遠くにそびえ立つ立山を眺めるもよし、富山城の散策をするもよしです。
富山駅周辺にはたくさんの飲食店なども充実していますから、ここから先に続く北陸地方の旅に備えてしっかり英気(えいき)を養ってゆきましょう。
次回からは、富山駅を出発して金沢方面へ向かいます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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