鉄道唱歌 北陸編 第55番 七尾と和倉温泉 能登半島の旅を満喫

まずは原文から!

七尾(ななお)は能登(のと)の一都會(いっとかい)
入海(いりうみ)ひろく舟(ふね)おほし
ちかき輪倉(わくら)の温泉は
町きよらかに客たえず

さらに読みやすく!

七尾(ななお)は能登(のと)の一都会(いっとかい)
入海(いりうみ)ひろく舟(ふね)おおし
ちかき輪倉(わくら)の温泉は
町きよらかに客たえず

さあ、歌ってみよう!

♪ななおはのーとの いっとかいー
♪いりうみひろくー ふねおおしー
♪ちーかきわくらの おんせんはー
♪まちきよらかにー きゃくたえず

(七尾線)
津幡駅→宇野気駅→羽咋駅→能登二宮駅→七尾駅→和倉温泉駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見で表記

能登半島の都会の一つ・七尾市へ

津幡駅から七尾線(ななおせん)で能登半島南半分の地域を約1時間かけて北東へ向かいやってくると、七尾駅(ななおえき、石川県七尾市)に到着します。

七尾駅(石川県七尾市)
七尾市街地より(石川県七尾市)

石川県七尾市(ななおし)は、能登半島のやや真ん中、東海岸にある海にほど近い街です。

七尾駅からは、さらに「のと鉄道」が出ていて、和倉温泉(わくらおんせん)はじめ穴水(あなみず)方面へ向かうことができます。

穴水(あなみず)からさらに北の輪島(わじま)への路線はかつては存在したのですが(のと鉄道七尾線)、残念ながら2001年に廃止となってしまいました。

かつて上杉謙信に攻め落とされた、七尾城

七尾城はかつて上杉謙信によって滅ぼされた場所であります。
上杉謙信(うえすぎ けんしん)は、戦国時代に「無敗の神様」「戦いの神様」などのように呼ばれた、越後・新潟県の英雄的存在です。

それまで七尾の地は能登畠山(のとはたやま)氏という一族によって支配されていましたが 、七尾城を滅ぼされてからは上杉家、やがて前田家の天下になりました。
前田家は、加賀百万石(かがひゃくまんごく)の礎(いしずえ)を築いた前田利家(まえだ としいえ)で知られます。
また、1577年に起こったこの「七尾城の戦い」は、上杉謙信の亡くなる1年前の戦いでもありました。

前田氏にゆかりある「花嫁のれん」

七尾の歴史的名物である「花嫁のれん」は、かつて前田家の花嫁がくぐった「のれん」のことです。
のれん(暖簾)」とは、飲食店や居酒屋など店の入口にかかって下がっている幕のことです。これをくぐって店の中に入ります。
前田家に嫁(とつ)ぐときに、花嫁がこののれんを潜ると幸せになると言われていました。
また、七尾線の観光列車「花嫁のれん」も、乗客の皆様が幸せになるために、といった願いを込めてつけられた名前です。

和倉温泉へ 海・街ともに、とても美しい

七尾駅からさらにもう1駅北上すると、七尾線の終着駅・和倉温泉駅(わくらおんせんえき、石川県七尾市)に着きます。

和倉温泉駅(石川県七尾市)。自治体がカッコで記されている、JR西日本としては珍しい駅名標だ
和倉温泉駅(石川県七尾市)

和倉温泉(わくらおせん)は、七尾市からやや北にある温泉のことです。歌詞によれば「町きよらかに客たえず」とあります。

和倉温泉の街並み(石川県七尾市)

能登の入り海が広く、綺麗になったすごくいい景色のいい場所です。

和倉温泉の海の景色(石川県七尾市)
和倉温泉からの、能登半島の海(石川県七尾市)

現代では輪島へ向かう鉄道路線は廃止されましたが、石川県輪島市(わじまし)は「輪島塗り(わじまぬに)」と「輪島朝市(わじまあさいち)」で有名です。

能登半島の旅を終えると、次は七尾線で再び津幡(つばたえき、石川県河北郡津幡町)に戻り、いよいよ北陸最大の都市・金沢に向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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