鉄道唱歌 北陸編 第66番 敦賀に到着!官幣大社・気比神宮、そして気比の松原

まずは原文から!

敦賀(つるが)はげにもよき港
おりて見てこん名どころを
氣比(けひ)の松原(まつばら)氣比(けひ)の海
官幣大社(かんぺいたいしゃ)氣比(けひ)の宮

さらに読みやすく!

敦賀(つるが)はげにもよき港
おりて見てこん名どころを
気比の松原(けひのまつばら)気比(けひ)の海
官幣大社(かんぺいたいしゃ)気比(けひ)の宮

さあ、歌ってみよう!

♪つるがはげーにも よきみなとー
♪おーりてみてこん などころをー
♪けひのーまつばら けひのうみー
♪かんぺいたいしゃ けひのみやー

(IRいしかわ鉄道線)
金沢駅→松任駅→美川駅→小松駅→動橋駅→大聖寺駅

(ハピラインふくい線)
大聖寺駅→細呂木駅→芦原温泉駅(旧・金津駅)→福井駅→大土呂駅→鯖江駅→武生駅→南条駅(旧・鯖波駅)→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅

(北陸本線)
敦賀駅→新疋田駅→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります

北陸トンネルを抜けて、敦賀へ

長い長い北陸トンネルをくぐって外に出ると、やがて敦賀駅(つるがえき、福井県敦賀市)に到着します。

敦賀駅(福井県敦賀市)

2024年、北陸新幹線が開通した敦賀駅

敦賀は2024年に北陸新幹線が開通してきました。
これにより、敦賀からは東京まで乗り換えなしで到達可能となりました。

従来の北陸本線・敦賀~大聖寺間は、ハピラインふくいの管轄へ

北陸新幹線が開通したために、北陸本線の敦賀~大聖寺の区間はJR社ではなく「ハピラインふくい」という第三セクターの会社の管轄になりました。

また、それに伴って上記区間は青春18きっぷは使えなくなりましたので、福井県における鉄道旅行の際にはこれを念頭に置いておきましょう。

敦賀駅は北陸新幹線の開通・開業に伴って、駅舎全体が大きくパワーアップしてリニューアルされています。 

敦賀は「げにも」良き港町

福井県敦賀市(つるが)は、歴史的にも大きな港として栄えた町です。

げにも」とは、「まさに」等の意味です。

げに」は、漢字で「実に」と書きます。

天然の良港 防御面でとても優れた敦賀港

敦賀の港は、非常に入り組んだ地形に位置しているため、これらが自然のバリヤーとなり敵の侵入を防ぐのにとても適しており、防御の面にも優れてます

昔は港に「大きな防御壁」などはなかなか作ることは出来ませんでしたから、こうした非常に入り組んだ地形というのは、防御にとても適していたのです。

こうした自然の恩恵を得られた港の事を、「天然の良港」といいます。

海上保安庁の拠点にもなっている敦賀

こうした地形が「防御の拠点」として優れているためか、敦賀は海上保安庁の拠点にもなっています。
海上保安庁(かいじょうほあんちょう)とは、海の荒くれ者を退治し、また海での犯罪を防止し、海の平和を守るための組織です。
海上自衛隊との違いは、どちらかというと「海の警察」に近いイメージです。

  • 海上保安庁:海の不審者を取り締まったり、船が安全に航行できるように、海を守る
  • 海上自衛隊:海から攻めてくる外国の侵略から、日本を守る

かつて敦賀から出ていた「欧亜国際列車」

かつて敦賀からは、「欧亜国際列車(おうあこくさいれっしゃ)」という、遥か遠くヨーロッパ方面へ向かっていた鉄道路線がありました。
欧亜(おうあ)とは、アジアとヨーロッパを結ぶ、という意味です。

  • 欧:ヨーロッパ
  • 亜:アジア

というのも、明治時代は現代のように、航空機(例えば、関西国際空港・成田空港などを発着する国際線のようなもの)がありませんでした。
(ちなみに鉄道唱歌は西暦1900年で、ライト兄弟が初の飛行機を作ったのは西暦1903年。)
このように飛行機が無かったため、当時は「船」と「鉄道」による交通手段こそが、ヨーロッパ方面へ向かう方法でした。

東京から列車で敦賀まで到達したら、敦賀から船に乗り、そしてロシアのウラジオストクという街に到達します。
ウラジオストクは、「日本から最も近いヨーロッパ」とも言われます。

ウラジオストクからは「シベリア鉄道」に乗って、約7日間ほどかけてロシアの首都・モスクワ、さらにはヨーロッパ方面へ向かっていたのでした。

このように敦賀は歴史上、国際的にも重要な港だったといえます。

敦賀に鎮座する「気比神宮」

敦賀には氣比神宮(けひじんぐう)という神社が鎮座(ちんざ)しております。
こちらは官幣大社(かんぺいたいしゃ)でございます。

官幣大社(かんぺいたいしゃ)とは近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)という、明治時代の神社のランク付けにおいて、最も格式の高い神社のことでございます。

氣比神宮(けひじんぐう)では、

  • 戦いの神様である応神天皇(おうじんてんのう)
  • 応神天皇の母である神功皇后(じんぐうこうごう)

が祀(まつ)られています。

応神天皇は第15代の天皇であり、第32代である飛鳥時代の推古天皇(すいこてんのう)や、第16代である古墳時代の仁徳天皇(にんとくてんのう)よりも前の天皇になります。
その応神天皇のお母様が、神功皇后(じんぐうこうごう)ということになります。
また、お父様は第14代天皇の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)になります。

応神天皇・神功皇后・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・ヤマトタケルノミコトはどちらかと言うと、「戦いの神様」のイメージが強いのです。
そのため、「必勝祈願」 「ゲン担ぎ」ほか「厄除けの神様」であると言い換えることもできます。

気比神宮は、古くから港町として海の商売繁盛・海上の交通安全や、安産祈願などに関してご利益があります。

気比の松原

そして気比の松原(けひのまつばら)は、いわゆる「日本三大松原」の一つとして数えられています。

その三大松原とは、気比の松原の他に、

  • 静岡県の「三保の松原(みほのまつばら)」
  • 佐賀県唐津市(からつし)にある「虹の松原(にじのまつばら)」

があります。

こうした松原は、昔の人たちによって津波防止塩害防止などのために植えられられてきました。
また、松原は景観の発展にもつながり、観光客の呼び込みにも使われます。

そして気比の松原には、かつて水戸藩の武士のグループ「天狗党(てんぐとう)」のリーダーだった武田耕雲斉(たけだ こううんさい)の像があります。

こちらは次回解説します!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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