鉄道唱歌 北陸編 第69番 木ノ本に知られる、轡の森と木之本地蔵院 秀吉ゆかりの地、北陸道の名所

まずは原文から!

豐太閤(ほうたいこう)の名をとめし
轡(くつわ)の森は木の本(きのもと)の
地藏(じぞう)と共(とも)に人ぞ知る
汽車の進みよ待てしばし

さらに読みやすく!

豊太閤(ほうたいこう)の名をとめし
轡(くつわ)の森は木の本(きのもと)の
地蔵(じぞう)と共(とも)に人ぞ知る
汽車の進みよ待てしばし

さあ、歌ってみよう!

♪ほうたいこーうの なをとめしー
♪くつわのもりはー きのもとのー
♪じぞうととーもに ひとぞしるー
♪きしゃのすすみよ まてしばしー

(北陸本線)
金沢駅→松任駅→美川駅→小松駅→動橋駅→大聖寺駅→細呂木駅→芦原温泉駅(旧・金津駅)→福井駅→大土呂駅→鯖江駅→武生駅→南条駅(旧・鯖波駅)→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅→新疋田駅→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります

北陸本線を南下、米原まであと少し 木ノ本駅へ到着

近江塩津駅(おうみしおづえき、滋賀県長浜市)からは、北陸本線湖西線(こせいせん)とで分岐してゆきます。
ここで北陸本線(米原方面)へ進んで余呉駅(よごえき、滋賀県長浜市余呉町)を過ぎると、やがて木ノ本駅(きのもとえき、滋賀県長浜市木之本町)に到着します。

木ノ本駅(滋賀県長浜市木之本町)

木ノ本(きのもと)周辺は、かつて北陸道の宿場町、つまり「木之本宿(きのもとしゅく)」があった場所でもあります。
北陸道(ほくりくどう)は、まだ鉄道がなかった江戸時代に、人々が徒歩または馬で通った道です。何日もかけて歩くため、旅人たちが泊まるための町を「宿場町」といいます。
また、北陸道は米原が起点(終点)となっています。これは鉄道の北陸本線も米原が終点なのと似ています。

木ノ本は、調べたところ「木之本」という表記の方が一般的なようです。

豊臣秀吉の馬が力尽きた伝説で知られる、「轡の森」

轡の森(くつわのもり)」とは、木ノ本駅の南東100mほどの位置にある、イヌザクラという桜の木がある場所です。
このイヌザクラは、豊臣秀吉が乗ってきた馬が亡くなり、桜の木と化したものです。
では豊臣秀吉がなぜこの木之本のあたりまで馬に乗ってきたのかというと、恐らくですが前回説明した「賤ヶ岳の戦い」に挑むためでしょう。

その自分を乗せて、ここまで一生懸命走ってきた大切な馬が、どうやらここ木之本にさしかかったとき、疲れ果ててしまい亡くなったようです。

これを悲しんだ秀吉が、馬をこの木之本の地に埋めて、自分の大事な鞭(むち)を(馬が眠っている地面に)さしておいたようです。

すると、その馬が眠っている土から芽が出て、なんと現在のイヌザクラとなり大きく育ったようです。

以上が、豊臣秀吉にゆかりある木之本の「轡の森」の伝説になります。

(くつわ)」とは、馬の頭に着ける器具のようなものをいいます。ここでは、豊臣秀吉が賤ヶ岳の戦いに挑む際に、ここまで乗ってきた馬のことをいいます。残念ながら、ここで力尽きて亡くなってしまったようです。

イヌザクラ」とは、いわば桜の一種です。ここでは、秀吉が乗ってきたとされる馬が疲れ果てて死んだ後、ここに埋められた馬が桜として成長したものです。
豊臣秀吉は関白の位を譲って、さらに偉い「太閤(たいこう)」となったため、「豊太閤(ほうたいこう)」と呼ばれます。

北国街道を行き交う人々に信仰された、木之本地蔵院

次に、木之本地蔵院(きのもとじぞういん)の話をします。

木之本は、北陸道を行き交う旅人たちから、巨大な地蔵が古くから拝まれてきました。
それは高さ6mに及ぶ、とても大きな地蔵になります。
この地蔵院にある本尊(ほんぞん)は、秘仏(ひぶつ)といわれています。

本尊(そんぞん)とは、そのお寺のメインとなる仏様、または仏像にあたります。
例えば、奈良の東大寺(とうだいじ)であれば、本尊はあの「奈良の大仏」として誰もが知る盧舎那仏(るしゃなぶつ)になります。

秘仏(ひぶつ)とは、見せてはいけない仏さまのことをいいます。
これは、三種の神器(さんしゅのじんぎ)が、天皇陛下ですら見てはならないのと似ています。
秘仏は、厨子(ずし)と呼ばれる扉に厳重に閉じられています。無断で開いた者は、恐らく天罰が降りることでしょう。
ちなみに、長野の善光寺(ぜんこうじ)も絶対秘仏とされ、誰も見てはなりません。
飛鳥時代もの大昔、本田善光(ほんだ よしみつ)という人物が拾ったとされる日本一古い仏像であるため、それだけ神聖であるということです。

その(本来は)秘密にされている地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を外に出して再現したものが、天にそびえる高さ6mに及ぶ大きな木之本地蔵院にある像というわけです。

この大きな地蔵は、北陸道(木之本宿)を行き交う旅人たちから親しみを込めて信仰れてきたようです。

汽車の出発よ、もう少し待っておくれ・・・もう少し観光したい気分だけど仕方ない

しばし」とは「しばらく」という意味です。

つまり歌詞の4行目は、
汽車が出て行くのは、もうちょっと待って欲しい」という、そんな意味でしょう。

以上をふまえて、歌詞をまとめると

豊臣秀吉に名ある轡の森は、木之本地蔵院の高さ6mにも及ぶ地蔵とともに、人々に知れられる(ほどの観光地だ)。
(じっくり見ていきたいから、)列車が発車するのは、もう少し待ってくれ。

のような意味になるでしょう。

私が木ノ本を実際に訪れたときに、もう少し北国街道の並みなどを散策してみたかってのですが、残念ながら列車の発車時間が近づいてきていたため、「汽車の進みよ待てしばし(列車の発車よもう少し待っておくれ)」と思った記憶があります!

木ノ本の町並み(滋賀県長浜市木之本町)

では、木ノ本駅から列車に乗ったら、次は長浜(ながはま)へ向かってゆきます。
ゴールの米原へは、もう少しです!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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