鉄道唱歌 北陸編 第70番 長浜で降りて、琵琶湖はすぐそこに かつて大津まで通っていた水路

鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!

↓まずは原文から!

縮緬ちりめん産地さんち長濱ながはま
いでゝわたす琵琶びわうみ
大津おおつにかよふ小蒸汽こじょうき
けむりふきたてひとをまつ

さらに読みやすく!

縮緬ちりめん産地さんちの 長浜ながはま
いでてわたす 琵琶びわうみ
大津おおつにかよう 小蒸汽こじょうき
けむりふきたて ひとをまつ

さあ、歌ってみよう!

♪ちりめんさんちの ながはまにー
♪いーでてみわたす びわのうみー
♪おおつにかーよう こじょうきは
♪けーむりふきたて きゃくをまつ
IRいしかわ鉄道線)
金沢駅→松任駅→美川駅→小松駅→動橋駅→大聖寺駅

(ハピラインふくい線)
大聖寺駅→細呂木駅→芦原温泉駅(旧・金津駅)→福井駅→大土呂駅→鯖江駅→武生駅→南条駅(旧・鯖波駅)→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅

(北陸本線)
敦賀駅→新疋田駅→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります

木之本を出て、長浜へ

木之本きのもと(滋賀県長浜市木之本町)を過ぎて、琵琶湖の東海岸沿いを、真っ直ぐ南下してゆきます。

やがて、米原駅のちょっと手前の

  • 長浜ながはま(滋賀県長浜市)

に到着します。

長浜駅(滋賀県長浜市)

長浜駅(滋賀県長浜市)

長浜駅(滋賀県長浜市)

長浜駅(滋賀県長浜市)

ゴールとなる米原駅は、もはや目前です。

長浜ちりめん

滋賀県長浜市ながはましは、歌詞にあるように、「浜ちりめん」で有名な場所です。

ちりめん」とは、ここでは織物の一種のことをいいます。
つまり、昔の日本の着物・和服のようなものです。

魚の「ちりめん」もありますが、こちらとは意味が異なるので注意しましょう。

昔の衣服は全部手作りだったため、大量生産できず、値段も高かった

昔は現代のように「しまむら」「ユニクロ」のように安くて高品質なものは買えませんでした。
そのため、人々の手作業によって和服を造っていたのです。

しかし、それだともちろん手間もかかりますし、大量生産もできないため、それだけ高価にもなります。
なので、こうした高い技術によって作られる「ちりめん」などの織物は、昔は貴重だったのでした。

現代でも、こうした伝統工芸品は貴重であり、またその地域の名物として存続の努力が、各自治体によってなされています。

その他の「ちりめん」 丹後ちりめん

また、ちりめんは京都の北部(日本海側)の丹後地方たんごちほうの、「丹後ちりめん」も有名です。

丹後国たんごのくには、京都府の北部・主に日本三景・天橋立あまのはしだての周辺であり、

  • 宮津市みやづし
  • 舞鶴市まいづるし
  • 京丹後市きょうたんごし
  • 与謝野町よさのちょう

などが該当します。

丹後地域については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

山陰鉄道唱歌 第7番 宮津湾をめぐり、日本三景・天橋立へ 
山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

豊臣秀吉が拠点にした、長浜城

長浜城(滋賀県長浜市)

長浜城(滋賀県長浜市)

長浜城は、かつて豊臣秀吉が拠点としたお城です。
それは、前々回から説明している「賤ヶ岳の戦い」に備え、ここを攻撃と防御の拠点とするためです(※)

※もちろんそれだけが理由ではありません。
豊臣秀吉は後述するように、「賤ヶ岳の戦い」以前から長浜城を織田信長からもらっていました。

長浜からの、琵琶湖の景色(滋賀県長浜市)

長浜からの、琵琶湖の景色(滋賀県長浜市)

豊臣秀吉がこのお城をもらったのは、かつて戦国時代に、長浜市を流れる姉川(あねがわ)を舞台にした、

  • 姉川の戦い(あねがわのたたかい)」

に勝利し、そこで褒美として与えられた領地に対して、長浜城を建てたというわけです。

姉川の戦いについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください

【滋賀県】長浜市を探訪!豊臣秀吉にゆかりある地、「姉川の戦い」の地
今回は、滋賀県長浜市を探訪したときのレポートになります!長浜の歴史と、「姉川の戦い」についてより深く迫ってゆきます!琵琶湖の東・長浜市滋賀県長浜市(ながはまし)は、米原駅(まいばらえき、滋賀県米原市)のやや北西、琵琶湖(びわこ)の東のほとり...

明治時代、まだ鉄道が無く、大津まで船が出ていた

かつて東海道線が米原から大津まで開業してなかった頃に、長浜港からは船で大津まで通っていました。
しかし1889年に東海道線が全通すると、大津~米原間が、鉄道でつながったのでした。
そのため、この区間の移動は船から鉄道に役割が移ることとなりました

この当時の鉄道は、1872年に新橋から開業して以来、西へ西へと線路を延ばしていき、米原まで到達したというイメージです。
関西地方からも、東へ東へと線路を延ばしてゆき、大津まで到達しました。

残った大津~米原間だけは、まだ線路がなかったのでした。
そのため、この区間は長浜から琵琶湖を船で、大津まで連絡していたのでした。

やがて1889年に米原~大津間がつながり、東海道線は新橋~神戸まで続く1つの長大路線となったのでした。

長浜からの海(琵琶湖)の眺め

長浜駅からは豊公園ほうこうえんという公園がすぐ近くにあります。
また、ここからは海(琵琶湖)が非常に近いため、とても便利です。

長浜からの琵琶湖(滋賀県長浜市)

長浜からの琵琶湖(滋賀県長浜市)

豊公園ほうこうえんの由来は、言うまでもなくかつて長浜城を拠点とした、豊臣秀吉に由来します。

では、次はいよいよ、鉄道唱歌 北陸編のゴールである米原まいばらに止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

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