鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の歌詞(伊勢参拝の終わり・奈良への帰り)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
すまして跡に立ちかへる
汽車は加茂より乘りかへて
奈良の都をめぐりみん
さらに読みやすく!
すまして跡に 立ちかえる
汽車は加茂より 乗りかえて
奈良の都を めぐりみん
さあ、歌ってみよう!
♪すましてあとにー たちかえるー
♪きしゃはかもより のりかえてー
♪ならのみやこをー めぐりみんー
二見浦駅→伊勢市駅→多気駅
(紀勢本線)
多気駅→松阪駅→津駅→亀山駅
(関西本線)
亀山駅→柘植駅→伊賀上野駅→加茂駅→木津駅→奈良駅
※鉄道唱歌に関連する駅のみ表記
※二見浦駅から奈良駅まで、青春18きっぷのみで戻るルートを想定して表記
今回は、再び奈良まで戻る行程
列車は既に三重県伊勢市(いせし)の二見浦(ふたみのうら)までに達しており、ここからは再び奈良まで戻るというストーリーになります。
伊勢神宮参拝も、めでたく終わり
今や伊勢神宮の参拝も、これでもはやめでたく終わりとなりました。
これはひとえに、鉄道の文化が開かれたとともに達成することができたわけです。
亀山駅→加茂駅→奈良へ
これより先の行程は、
- 亀山駅(かめやめえき、三重県亀山市)
まで戻ってから関西本線に乗り換えて、
- 加茂駅(かもえき、京都府木津川市)
まで戻ります。
加茂駅からはさらに乗り換えて、それからは奈良観光という流れになります。
「一生に一度はお伊勢参り」
昔は「一生に一度はお伊勢参り」といって、江戸時代は江戸(つまり現在の東京)の人々からすれば、伊勢神宮参拝はそれ自体が大きな憧れでもありました。
しかし、昔は「東海道」という街道において徒歩または馬で何日もかけて移動していた時代には、それも非常に難しい話でありました。
江戸から伊勢までは歩いていくにはかなり遠く、相当お金や時間に余裕がある人でないと無理だったでしょう。
また、
- 途中で川の氾濫などで足止めを喰らったりする
- 厳しい関所のチェックを通過したりしやければならない
- 険しい峠道などで遭難したり、山賊に襲われたりする
などの、現代の我々の生活では考えられないような、様々な困難が多かったからです。
お土産文化のはじまり
こうしたことから、江戸時代までは誰でも伊勢参拝をできるわけではありませんでした。
なので、誰か行ける人に代わりに行ってもらい、お土産品を買ってもらうという文化が定着したのでした。
これがお土産文化の起源と言われています。
鉄道がひらけてから、伊勢神宮参拝のハードルが一気に下がる
それが明治時代になってから、鉄道の開通に伴い、今もめでたく伊勢神宮参拝が終わりました。
伊勢参拝のためのハードルは一気に下がったわけですね。
鳥羽方面へ向かうのもアリ?
しかし奈良に戻る前に、青春18きっぷで旅行されている方は、もし時間があればJR参宮線で、伊勢地方で行ける東の限界地点である、
- 鳥羽駅(とばえき、三重県鳥羽市)
まで向かうのもありでしょう。

鳥羽方面へ向かう車窓(JR参宮線・松下駅~鳥羽駅間)

鳥羽駅(三重県鳥羽市)
参宮線・紀勢本線・関西本線で加茂・奈良へ
それでは伊勢・志摩の地域を後にして、
- 多気駅(たきえき、三重県多気郡多気町)
から紀勢本線に乗り換え、松阪駅・津駅を経由して、
- 亀山駅(かめやまえき、三重県亀山市)
まで戻ります。
津駅までは、「快速みえ」号などを駆使するとよいでしょう。
※ただし津駅から先は「伊勢鉄道線」の区間となり別途料金が発生する上、しかも亀山駅には寄らないため、要注意です。
亀山駅からは関西本線に乗り換え、
- 柘植駅(つげえき、三重県伊賀市柘植町)
- 伊賀上野駅(いがうえのえき、三重県伊賀市)
を経由して、はるばると奈良へ戻ります。
列車は加茂駅(かもえき、京都府木津川市)から乗り換えて、今度は奈良の観光ということになります。

加茂駅(京都府木津川市)
大仏線
ただし、鉄道唱歌の明治時代当時は加茂駅と奈良駅をショーモカットで結ぶ大仏線(だいぶつせん)という路線があったことは、これまで何度も説明してきました。
大仏線(だいぶつせん)には、奈良の大仏の観光を容易にするために
- 大仏駅(だいぶつえき)
という駅が、現在の佐保(さほ)地域にありました(鉄道唱歌より7年後の1907年に廃止)。
そのため、当時はこの大仏線に乗り換えたのかもしれません。
次回からは、「奈良めぐり」
とりあえず奈良駅(ならえき、奈良県奈良市)に着いたら、一休憩しましょう。
次回からは、全8番におよぶ壮大な「奈良めぐり」となります!
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