まずは原文から!
五十鈴(いすず)の川の宇治橋(うじばし)を
わたればこゝぞ天照(あまてらす)
皇大神(すめおおかみ)の宮(みや)どころ
千木(ちぎ)たかしりて立ち給(たま)ふ
さらに読みやすく!
五十鈴(いすず)の川の宇治橋(うじばし)を
わたればここぞ天照(あまてらす)
皇大神(すめおおかみ)の宮(みや)どころ
千木(ちぎ)たかしりて立ち給(たも)う
さあ、歌ってみよう!
♪いすずのかーわの うじばしをー
♪わたればここぞー あまてらすー
♪すめおおかーみの みやどころー
♪ちぎたかしりてー たちたもうー
(紀勢本線)
亀山駅→一身田駅→津駅→阿漕駅→高茶屋駅→松阪駅→多気駅
(参宮線)
多気駅→田丸駅→宮川駅→伊勢市駅→二見浦駅(→至・鳥羽駅)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。
今回は、伊勢神宮(内宮)へ
列車は既に、三重県伊勢市(いせし)に到着しています。
今回は、伊勢神宮(内宮)の参拝になります。
前回も解説した通り、伊勢神宮には
- 外宮(げくう)
- 内宮(ないくう)
が存在します。
今回は内宮の参拝となります。
外宮については、前回の記事で解説しておりますので、ご覧ください。
内宮へは、バスで
伊勢神宮の外宮(げくう)は伊勢市駅より徒歩5分程度の近さではありますが、内宮(ないくう)はちょっと遠いです。
なので、内宮へ向かうには伊勢市駅から三重交通バスで向かうのが最もよいでしょう。
伊勢市駅前の「内宮行き」のバス停には、観光客・参拝客の皆さんが既に列をなして並んでいるため、乗り場は比較的わかりやすいといえます。
豊受大神を祀る「外宮」
外宮(げくう)には前回解説した通り、豊受大神(とようけのおおかみ)という、食物の豊作にご利益のある神様が祀(まつ)られています。
天照大神を祀る「内宮」
一方、内宮(ないくう)には天照大神(アマテラスオオカミ)という、現在の天皇の祖先にあたる女性の神様が鎮座されております。
歌詞にある「皇大神(すめおおかみ)」とは、ここでは天照大神のことをいいます。
基本的には「外宮→内宮」の順番で参拝
一般的には、外宮→内宮の順番で参拝し、天皇陛下はじめ皇族の方々もこの順番で参拝されています。
片方だけ参拝することを「片参り」といい、あまりよろしくないとされています。
なので、外宮→内宮の順番で参拝しておきたいところです。
五十鈴川(いすずがわ)
伊勢神宮(内宮)を流れる五十鈴川
五十鈴川(いすずがわ)とは、前回説明したように、伊勢神宮(内宮)の前を流れる清き流れの川です。
五十鈴川は、やがて伊勢湾(いせわん)に注ぎます。
古来から「清流」とされてきた五十鈴川
五十鈴川は古来から、伊勢神宮の川ということで汚したり穢したりする者はおらず、「清流」とされてきました。
というのも、昔の川には平気で汚物や廃棄物などを流したり者も多く、コレラなどの伝染病が発生する原因ともなっていたのです。
しかし伊勢神宮の川というだけあって、さすがにそこまでして川を汚す者はいなかったのでしょうね。
もちろん、人々の努力によって川が綺麗に保たれてきたという要因もあると思います。
ちなみに現代では、法律や環境基準が厳しくなっており、また浄水場で水から不純物などは取り除かれますから、そのような伝染病蔓延などは起こりにくくなっています。
五十鈴川は伊勢神宮の神聖なる川ですから、今も昔も現代でも綺麗な川であったわけです。
参拝前に、五十鈴川で身を清める「みそぎ」
この川で禊(みそぎ)、つまり体を清めてから、境内(けいだい)に入り、神様へお参りすることが昔から礼儀とされてきました。
この五十鈴川(いすずがわ)を渡る橋のことを宇治橋(うじばし)といいます。
この橋を渡って鳥居をくぐると、そこはアマテラスオオカミ(天照大神)の鎮座(ちんざ)する伊勢神宮の内宮(ないくう)ということになります。
その他、伊勢神宮に関する豆知識
江戸時代「一生に一度はお伊勢参り」
伊勢神宮は「一生に一度はお伊勢参り」といって、昔は多くの人達が「東海道」という、江戸から徒歩または馬で、何日間もかけてはるばるとやってきたのでした。
昔の人が徒歩で旅した「東海道」
その昔、江戸時代は江戸から京都まで「東海道」とよばれる幕府が整備した道を、約20日ほどかけて歩いて(または馬で)移動していたのでした。
何日も何日も歩いて移動するため、旅人達にとっては「泊まる場所」が必要になります。
それがいわゆる「宿場町」であり、東海道には全部で53の宿場町があったことから「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」と呼ばれています。
伊勢神宮へは、東海道と伊勢街道(いせかいどう)を通って来ていたのでした。
三重県四日市市の「日永の追分(ひながのおいわけ※)」から、伊勢方面へ分かれてきていたというわけです。
※追分(おいわけ):分かれ道のこと。
「お土産」の起源は、お伊勢参りだった
とはいえ、江戸時代は誰でもこんな大がかりな旅行をできるわけではありませんでした。
そのため、代わりに誰かに伊勢まで行ってもらって、帰りに何か買って帰ろうとしたのでした。
これが、いわゆる「お土産(みやげ)」文化の始まりになったとも言われています。
伊勢神宮の格式は?
明治時代に決められた「近代社格制度」
伊勢神宮は、日本で最も格式の高い神社という風に言われています。
明治時代に定められた「近代社格制度(旧社格)」では、例えば「官幣大社(かんぺいたいしゃ)」など、様々な神社のランク付けがなされていました。
官幣大社の代表例は、
- 静岡県三島市(みしまし)の、三嶋大社(みしまたいしゃ)
- 福井県敦賀市(つるがし)の、気比神宮(けひじんぐう)
などの神社が存在します。
伊勢神宮は、最高に格式が高い神社!
しかし、伊勢神宮は官幣大社よりも位が上であり、ランク付けすらついていないのです。
つまり伊勢神宮は「別格」であり、最も天皇家にとって重要な神社であるということもできます。
なぜ「近代社格制度」が生まれた?
なぜ近代社格制度が設けられたのか。
明治時代は国家神道(こっかしんとう)といって、
「欧米諸国に負けない強い日本にしよう。
そのため、これまでの神道と仏教が混じった『神仏習合』ではなく、神道のみをより追求した『国家神道』にしよう」
という流れが生まれたのでした。
そのため、より天皇陛下にゆかりあって重要な神社を、高いランクに位置付けようとしたというわけです。
さらには、官幣大社などに指定された重要な神社は、その維持や発展のために、国から厚いサポートを受けられるようになったのでした。
しかしその一方で、仏教の「お寺」は冷遇されるようになってしまい、衰退していくことになってしまいます。
なかでも「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」といって仏像を破壊したりなど、極端な仏教排斥の動きが出てくるようになっていくのでした。
「官幣大社」と「一宮」は、厳密には異なる
また、「官幣大社」と似た言葉に「一宮(いちのみや)」がありますが、これは奈良時代に造られた神社のランク付けなので、混同しないようにしましょう。
もちろん、官幣大社が一宮というケースも一定数存在します。
先述の官幣大社「三嶋大社」も、伊豆国(※)の一宮です。
※伊豆国(いずのくに):静岡県東部、伊豆半島一帯の地域。
例外:官幣大社が「三宮」であるケース
しかし、中には官幣大社でありながら、二宮(にのみや)または三宮(さんのみや)であるケースもあるため、勘違いしないように注意が必要です。
例えば、名古屋の熱田神宮(あつたじんぐう)も官幣大社ですが、尾張国(※)の三宮(さんのみや)となっています。
理由は残念ながら、私(筆者)も詳しくはわかりません。興味ある方は調べてみてください。
※尾張国(おわりのくに):愛知県北部あたりの地域。
ちなみに、尾張国の一宮は、
- 真清田神社(ますみだじんじゃ)
- 大神神社(おおみわじんじゃ)
という、共に愛知県一宮市(いちのみやし)に存在する神社であり、「尾張一宮(おわりいちのみや)」の語源になっています。
ここでは尾張国の例を挙げましたが、ここでは
- 「官幣大社=一宮」であるケースは多い
- しかし官幣大社が、必ずしも一宮であるとは限らない
ということを理解してもらえれば、OKです。
次回は、「神路山」の話題
次回は、伊勢神宮の裏の山である「神路山(かみじやま)」の話題となります!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!
コメント