鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の歌詞(奈良の観光・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
七代さかえし帝都の地
七大伽藍の鐘の音に
殘る響きぞ身にはしむ
さらに読みやすく!
七代さかえし 帝都の地
七大伽藍の 鐘の音に
殘る響きぞ 身にはしむ
さあ、歌ってみよう!
♪しちだいさかえし ていとのちー
♪しちだいがらんの かねのねにー
♪のーこるひびきぞ みにはしむー
奈良駅→近鉄奈良駅→若草山→奈良公園→春日大社→興福寺→猿沢池→東大寺→法華寺→西大寺→秋篠町→法隆寺→竜田山→佐保山→奈良駅
※鉄道唱歌に関連する観光地・神社仏閣のみ表記
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の「付録」的なシリーズ「奈良めぐり」
奈良駅(ならえき、奈良県奈良市)に到着すると、今回からは奈良(なら)の観光をしていこうという話題になります。
「奈良めぐり」は、鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の付録的な位置づけであり、奈良を重点的に観光してくため、合計で8番の歌詞が割り当てられています。
鉄道唱歌では、歴史的に重要な街や、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんにとって思い入れの深い場所に、多くの歌詞が割り当てられる傾向にあります。
例えば、
- 東海道編の「京都」
- 山陽・九州編の「大宰府(だざいふ)」
- 奥州・磐城編の「松島船あそび」
などがそれに該当します。
京都については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
大宰府については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
松島船あそびについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
1300年もの歴史を誇る、奈良県奈良市

奈良駅(奈良県奈良市)
奈良県奈良市(ならし)は、京都と同じく千年の古都(こと)であり、京都よりもやや長い1,300年もの歴史のある古い都ということになります。
西暦710年の平城京からはじまる都市
西暦710年に平城京(へいじょうきょう)が奈良に置かれて以来、現在はそれから1,300年ほどになるわけです。
それだけ歴史のある街ということであり、また奈良時代には奈良は日本の首都だったということもできます。
平城京は西暦710年に出来たので、
という語呂合わせの暗記方法がよく知られます。
一方、西暦794年に出来た京都の平安京は、
の語呂合わせが有名です。
京都がかつて
- 「京(きょう)」
- 「都(みやこ)」
などのように呼ばれたのに対して、京都の南に位置する奈良は「南の都」ということで、
- 「南都(なんと)」
とも呼ばれました。
奈良仏教で動かされてきた奈良時代 それは学問的で難しい仏教だった
奈良の仏教は南都六宗(なんとろくしゅう)と言われます。
栃木県・日光にある華厳の滝(けごんのたき)の名前の由来にもなった、華厳宗(けごんしゅう)も南都六宗の一つです。
※華厳宗は、「華厳経」という経典をバイブルにしています。
南都六宗とは
南都六宗は、平安仏教や鎌倉仏教などに比べたら、どちらかというと学問など難しい学部のような位置づけでした。
そのため、一般的とは言い難くむしろ高貴な人向けであり、平安仏教もどちらかというと山で修行がメインの厳しくハードルの高いものだったのでした。
そのため、こんにちの我々日本人に広く浸透している馴染み深い仏教は鎌倉仏教からです。
木津川で大量に運ばれてきた木材でできた、奈良の家屋
奈良時代は都にたくさんの(木造の)屋敷が出来たため、都の増築にあたってはたくさんのお寺や屋敷などを造るために、大量の木材が必要となりました。
そのため当初は、奈良周辺の山々は伐採が進み、木が無くなってしまい(禿げ山)、これによって保水能力を失い、大雨になると奈良の都は大洪水に見舞われたといわれます。
たくさんの木材を保存・保管していた木津
後に、木津川(きづがわ)によって運ばれてきた木材が、奈良の都でも使われるようになります。
※川が工事によって、真っ直ぐ舟が通りやすくなり(開削)、また舟の性能も、時代とともに向上していきました。
その後、何度も環境基準の見直しや無駄な伐採が禁じられたりして、現代に至ります。
ちなみに「木津(きづ)」の地名は、たくさんの木材を保存・保管していた舟置き場、みたいなイメージが由来になっています。
木津川で運ばれてきた木材は、木津の地に大量に保管され、必要に応じて奈良の都に搬出・出荷されていたのですね。
弾圧と戦いながらも奈良の困窮した人々を救った、行基さん

近鉄奈良駅前にある、行基像(奈良県奈良市)。奈良の待ち合わせスポットとしても有名。
近鉄奈良駅の目の前には、行基(ぎょうき)さんの銅像が立っています。
行基さんの銅像は、近鉄奈良駅前の待ち合わせ場所のシンボルとして有名です。
行基(ぎょうき)さんは奈良時代に、大きな社会事業を行ってきました。
最初はいわゆる「無許可布教」だったため、最初は「余計なことするな」と朝廷より弾圧されていました。
しかし、諦めることなく人々が貧困や不安にあえぐ中でお寺を積極的に建てたり、田んぼを耕したりすることで、人々の信頼を集め、ヒーロー的存在となりました。
やがて行基さんは最終的に聖武天皇の信頼をも得ることとなり、東大寺の「奈良の大仏」の建立(こんりゅう)に携わりました。
なぜ、当初は弾圧を受けていたのか?
なお、行基さんが当初弾圧を受けていた理由としては、当時素人が間違った仏教を広めるという「エセ布教」が横行しており、よほど朝廷に認められた者しか布教活動の許可が出なかったのだからのようです。
行基さんは正義感の強い方だったでしょうから、目の前で貧困や不安にあえぐ人々を見て、いちいち朝廷の許可など取っている暇はなかったのでしょう。
奈良時代は、七代の天皇による世の中だった
奈良時代は、歌詞にある通り七代の天皇により栄えてきた「元・日本の首都」となります。
つまり、奈良時代は7人の天皇によって治められてきた世の中、ということです。
以下、奈良時代の7人の天皇を簡単に紹介します。
【1】元明天皇(げんめいてんのう)第43代天皇
女性天皇。
708年に和同開珎(わどうかいちん)という貨幣を造ったのでした。
中臣鎌足の息子である藤原不比等(ふじわら ふひと)の力を借りながら、それまでの政府機能がパンクしかけていた藤原京を廃止にして、平城京に遷都したのでした。
なお、和同開珎は埼玉県・秩父(ちちぶ)から掘り出された銅がそのはじまりとされています。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【2】元正天皇(げんしょうてんのう)第44代天皇
引き続き、女性天皇です。
在位期間715年~724年。
結婚経験なし、独身で即位した初の天皇です。
723年に、「三世一身の法」を制定しました。
「三世一身の法(さんせいいっしんのほう)」とは、一度耕した田んぼ(※)は子ども・孫の三代にまで渡って保有していいですよ、という決まりです。
※一身田(いっしんでん)」といいます。
これは、三重県津市の「一身田駅(いっしんでんえき)」の由来ともなったのでした。
しかし、孫の代にはせっかく耕した一身田を国に返却しなければない理不尽さがあったため、定着しませんでした。
結局、743年に「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」が出される契機となったのでした。
三世一身の法と一身田駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【3】聖武天皇(しょうむてんのう)第45代天皇
在位期間724年~749年。
言わずと知れた、「奈良の大仏」「東大寺」を建立した天皇です。
奈良で力を持ちすぎた仏教勢力から逃れるため、
- 恭仁京(くにきょう)
- 難波京
- 紫香楽宮(しがらきのみや)
などに都を移したのでした。
恭仁京については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【4】孝謙天皇(こうけんてんのう)第46代天皇
女性天皇。
後に道鏡(どうきょう)というお坊さんと恋仲になり、自分にとっては邪魔な
- 淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
- 恵美押勝(えみのおしかつ)
らを排除し、なんと淳仁天皇を淡路島に流罪にする、という暴挙に出たのでした。
【5】淳仁天皇(じゅんにんてんのう)第47代天皇
孝謙天皇の後に即位しましたが、よりによって孝謙天皇が道鏡と恋仲になってしまい、暴走してしまいそうになっていたのでした。
このため、これを食い止めようと藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ:後に「恵美押勝(えみのおしかつ)」と改名)とともに、反乱を企てたのでした。
しかし、敗れてしまい、天皇の位を廃され、淡路島に流罪となるという憂き目にあってしまったのでした。
【6】称徳天皇(しょうとくてんのう)第48代天皇
孝謙天皇と同一人物。
女性。
自分の恋を邪魔する淳仁天皇を淡路島に流した後、再度天皇の位に復活し、称徳天皇となったのでした。
このように再度天皇の座につくことを「重祚(ちょうそ)」といいます。
道鏡に溺愛し、ついに「道鏡を天皇にする」とまで言い出したため、和気清麻呂(わけきよまろ)が大分県の宇佐神宮(うさじんぐう)に、神様の教えを聞きに行ったのでした。
勿論この「道鏡天皇」案は却下され、称徳天皇と道鏡は激怒してしまいます。
和気清麻呂と宇佐神宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【7】光仁天皇(こうにんてんのう)第49代天皇
奈良時代最後の天皇で、桓武天皇(かんむてんのう)の父です。
桓武天皇へとバトンタッチした後、都は長岡京から平安京へと移り、これにて奈良時代は終わりとなります。
794年より、平安時代となるのでした。
七人の天皇まとめ
以上7人の天皇のうち、最も存在感が高いのは、やはり「奈良の大仏」や全国に国分寺(こくぶんじ)を造った聖武天皇(しょうむてんのう)でしょう。
ちなみに孝謙天皇と称徳天皇は同一人物であり、女性天皇です。
一度退いて、再び即位する「重祚(ちょうそ)」と呼ばれるものです。
奈良時代は、上記のように非常にカオスな政権争いが続いた時代でもあります。
こんな社会不安から、聖武天皇は何度も都を移したり、奈良の大仏を建てたりしたのです。
奈良時代を象徴する、七つのお寺「南都七大寺」
歌詞にある七代伽藍(しちだいがらん)とは、奈良にある代表的な7つのお寺のことをいいます。
この奈良の7つの代表的なお寺のことを、「南都七大寺(なんとしちだいじ)」といいます。
南都(なんと)とは、先述の通り、京都の南にあるという意味での奈良の別称です。
以下の7つのお寺が、「南都七大寺(なんとしちだいじ)」に該当します。
【1】東大寺(とうだいじ)
言わずと知れた、「奈良の大仏」のあるお寺で、聖武天皇(しょうむてんのう)と行基(ぎょうき)によって建てられました。
東大寺については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【2】興福寺(こうふくじ)
春日神社や東大寺の近くにある、五重塔がシンボルのお寺です。
中臣鎌足から発祥した、藤原家という代々の家系の菩提寺(ぼだいじ)となるお寺です。
菩提寺(ぼだいじ)とは、その家系や一族を一括して祀るための(その業務を請け負った)お寺です。
興福寺については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【3】元興寺(がんこうじ)
興福寺の南西にあるお寺です。
元々は、明日香村(あすかむら)にあった蘇我氏(そがし)のお寺・法興寺(ほうのうじ)が、奈良に移転してきたものです。
また、法興寺は飛鳥寺(あすかでら)とも名前を変えているため、ちょっとややこしく困惑する人が多いようです。
元々のルーツである法興寺は、聖徳太子よりもさらに前の時代のお寺なので、相当古い部類のお寺であることがわかります。
【4】大安寺(だいあんじ)
元興寺のさらに南西、JR奈良駅のやや南にあるお寺です。
現代では「ガン封じ」のお寺として、病気治癒にご利益のあるお寺として知られます。
【5】西大寺(さいだいじ)
JR奈良駅のやや西にあるお寺です。
聖武天皇の后である、孝謙天皇(称徳天皇)の勅願(ちょくがん)によって建てられたお寺です。
勅願(ちょくがん)とは、天皇など高貴な方の直接のお願いという意味です。
また、近鉄線の大和西大寺駅(やまとさいだいじえき)は、多数のポイント(線路と線路が交差する点)が非常に複雑に混じり合うことで知られます。
西大寺については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
【6】薬師寺(やくしじ)
西大寺の南にあるお寺です。
薬師如来(やくしにょらい)、またはお薬師(やくし)さまとは、病気治癒にご利益のある仏様です。
昔は薬などの医学や薬学が発展していませんでしたから、お薬師様にお祈りすることで病気を治すことが期待されていたのです。
つまりお薬師様とは、まだ医薬品や薬学が発展していなかった当時、まるでお薬で治すかのような、様々な病気を治してくださる仏様というわけです。
【7】法隆寺(ほうりゅうじ)
言わずと知れた、聖徳太子が飛鳥時代に建てた、世界最古の木造建築のお寺です。
法隆寺については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
奈良時代の勉強は、とても難しい(筆者の場合)
余談ですが、奈良時代は(この記事を書くにあたり)勉強していて、日本の歴史における他のどの時代よりも難しく感じました。
そしてこの記事を書く際にも、勉強・知識を習得する際に多大な時間を要してしまいました。
例えば戦国時代などであれば、派手な戦闘シーンの華々しさがあるため、ドラマやゲームなどの常連であり、歴史ファンには人気な時代ともいえ、詳しい人も多いでしょう。
もちろん奈良時代も争いこそありましたが、戦国時代のような派手な戦闘シーンではなく、どちらかというと中央内部での(やや醜い)政権争いがメインであり、戦国時代のような派手な戦いという感じではないため、ドラマも作りにくく、あまり話題に上がってこない印象です。
(私の知り合いの歴史マニアにも、戦国時代や神話時代については無駄に詳しいのですが、奈良時代・室町時代・江戸時代はさっぱりと言う方がいます)
逆にいえば、奈良時代にあまり詳しい人がいない中で自分だけ奈良時代の勉強をすれば、自身の周りの歴史マニア達に差をつけるチャンスでもあります。
ワンランク上の奈良の観光・旅行者を目指そう
また奈良の観光の際には、もちろん「おーっ!大仏でかい!」「わーっ、鹿さんカワイイ!」といったメジャーな気分を味わうだけでも充分アリであり、また充分楽しめます。
しかし、奈良の歴史や奈良時代の知識を少しでも勉強して付けておくことで、奈良の観光はより楽しく充実したものになります。
これにより、ワンランク上の旅行者を目指しましょう。
次回は、若草山(わかくさやま、別名・三笠山)と奈良のシカについての話題となります!
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