鉄道唱歌 関西編 奈良めぐり8 奈良のみやげを堪能 名残惜しくも、奈良をいざ出発!

まずは原文から!

なごり殘(のこ)して別れゆく
奈良(なら)のみやげは何々(なになに)ぞ
奈良人形(からにんぎょう)に春日塗(かすがぬり)
張子(はりこ)の鹿(しか)に奈良扇(ならおうぎ)

さらに読みやすく!

なごり残(のこ)して別れゆく
奈良(なら)のみやげは何々(なになに)ぞ
奈良人形(からにんぎょう)に春日塗(かすがぬり)
張子(はりこ)の鹿(しか)に奈良扇(ならおうぎ)

さあ、歌ってみよう!

♪なーごりのこして わかれゆくー
♪なーらのみらげは なになにぞー
♪ならにんぎょうに かすがぬりー
♪はりこのしかにー ならおうぎー

(奈良観光)
奈良駅→近鉄奈良駅→若草山→奈良公園→春日大社→興福寺→猿沢池→東大寺→法華寺→西大寺→秋篠町→法隆寺→竜田山→佐保山→奈良駅

※鉄道唱歌に関連する観光地・神社仏閣のみ表記

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

奈良の観光も、今回で終わり

長かった奈良の観光も、そして第8番に及ぶ「奈良めぐり」も、いよいよここで終わりということになります。
奈良の土産を買って、名残惜しくもいざ奈良を出発!という流れになります。

歌詞で言及されている、4つのおみやげ品

歌詞では「奈良のみやげ」として、以下の4つが歌われています。

奈良人形(ならにんぎょう)」
春日塗り(かすがぬり)」
張り子の鹿(はりこのしか)」
奈良扇(ならおうぎ)」

しかし、上記4つについては散々調べたのですが、正直あまりよくわかりませんでした(^^;)
張り子の鹿」だけはネットで検索すると結構出てくるですが、いずれも現代では情報がかなり少なく、確かな情報にたどり着けませんでした。
張り子の鹿」は、簡単に言うとシカの形を模したカワイイぬいぐるみのようなものです。

以下、一般論で解説します。

「人形」の歴史 今の「フィギュア」と価値・意義は同じ!?

人形」とは、いうまでもなく人や擬人化(ぎじんか)された動物、またはアニメキャラなどの形を模したしたオブジェです。
人形ぬいぐるみフィギュアなどは現代では人々の愛好用(癒しや「もふもふ感」をもらうため)の玩具として用いられますが、日本の長い歴史において人形は元々、宗教上の儀式用に用いられてきました。
まあ、例えるならばアニメキャラのフィギュアを本人に見立てて、「おれは彼女といつか結婚して一緒に生活するんだ!」という儀式を行うイメージですかね?
全然違うか・・・

奈良人形全然関係ない話題ですみませんが、奈良人形も同じく儀式で使われてきたのが始まりでした。
現代のアニメオタクがフィギュアに祈りを込めるのと(呼び方が異なるだけで)やっていることは今も昔もなんら変わりない儀式)ような気がしています(^^;)。いや、それはそれで良いことだと思います。

陶磁器の一種「塗り」

塗り」とは、いわゆる陶磁器の一種です。
石川県・能登半島(のとはんとう)の「輪島塗り(わじまぬり)」などが有名ですね。簡単にいえば、昔の職人さんによる手作りの高級な食器です。
昔は工芸機械などありませんでしたから、みな職人さんによる手作りでした
しかも多大な工程や手間ひまをかけて造るため、工期が長くなりがちで、費用もかかります。
そのため、値段が高価高級になりがちです。
なかなか庶民に買えるものではありません。
しかし明治時代になって産業革命がおこると、機械で大量生産できるようになり、安く販売できて大衆に浸透していくようになると、従来の伝統工芸品は衰退を余儀なくされます。
しかし明治時代では無用のものとなっても、100年経った現代では非常に貴重な伝統工芸品となり、各自治体によって維持保存の取り組みがなされています。

「張り子の鹿」

張り子」とは、簡単にいうと粘土で造った(動物の)型に、を貼り付けて作る人形です。
また、を組み合わせて動物の形の枠を造り、紙を貼り付けていくことで動物の人形が出来ます。
張り子の鹿」とは、そうして出来た奈良のシカの人形なのでしょう。

ちなみに余談ですが、「張り子の虎(はりこのとら)」というと、同じ手法で造られた虎の人形・おもちゃのことです。
転じて、見せかけだけで全然怖くない人のことを「所詮あいつは張り子の鹿だ」などと言ったりします。
本物の虎は怖いですが、おもちゃだと怖くないからですね。

「奈良扇」について

「扇」は、うちわの和風・上品にしたバージョンといった感じですが、昔は着物・和服の女性が顔を隠すためにも使われていました。
現代でも、女性の裸を見られる男性は、その女性から愛された男性だけです(言い換えれば、自分の彼女の裸のみ。つまり男性はモテる努力をする必要がある)。
しかし平安時代は、女性は顔すら男性に見せてはなりませんでした。
男性が女性の顔を見られるのは、その女性から愛された男性だけです。
なので、女性は常に扇で自分の顔を隠していたのでした。

皆さんにとっての「奈良のみやげ」とは

奈良のみやげ、いかがだったでしょうか。
正直かなり難しく、ちゃんとした説明になってないかと思いますが、少しでも読者の方々の役に立ちそうな情報を伝える配慮をしたつもりなので、少しでも皆さんの「かしこさUP」に繋がれば幸いです。

皆さんは「奈良に来たらコレ!」というものは何でしょうか。

旧・奈良駅舎 名残惜しく、奈良を出発!

旧・奈良駅舎(奈良県奈良市)

奈良駅の右側には、旧奈良駅舎があります。中は横浜赤レンガ倉庫などと同じで、オシャレにアレンジされています。
旧奈良駅舎は1934年に完成された二代目奈良駅で実際に使用されていたもので、戦前の建築様式を今風にアレンジしています(もちろん、現代の耐震基準建築基準法などを満たすように、当時の面影を残しつつ見えない部分をバージョンアップさせています)。

なお、現代の奈良駅舎は三代目になります。

鉄道唱歌の時代(1900年)は、この旧奈良駅舎(1934年)よりもさらに前の時代です。
そして鉄道唱歌の作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんも、この旧奈良駅舎よりもさらに古い初代駅舎(1890年)のホーム(当時は停車場)から出発していったのでしょう

大和田建樹さんは、鉄道唱歌・東海道編でも京都にたくさんの歌詞を割りあて、また「奈良めぐり」にもたくさん歌詞を割りあてていますから、よほど京都と奈良がお気に入りだったことが伺えます
もちろん、京都と奈良は日本の歴史でも非常に重要な街ですから、それは納得できます。

私(筆者)の場合は、静岡県沼津市と北海道函館市が大好きなので、沼津駅函館駅を出るときはいつも名残惜しく感じます。

まさに、

「土産を提げていざ立たん 跡に名残は残れども」

ですね。

皆さんは、何駅を出発するときが、一番名残惜しいでしょうか。

感想:奈良の歴史は難しい けど奥は深い

奈良めぐり」いかがだったでしょうか。
奈良時代は本当に難しく、勉強にかなりの時間を要したため、なかなか記事の執筆や更新が進みませんでした。

そして、私自身もこの「奈良めぐり」の記事を書くにあたって相当勉強しましたし、奈良や奈良時代に関する知識もかなりつきました。
次回また奈良に行ったときは、よりレベルの高い(かつ充実した)旅行ができるようになっていることと思います。

さあ、次回からは奈良駅を出発して、桜井線(さくらいせん。現代では「万葉まほろば線」とも案内される)に乗り、桜井(さくらい)・高田(たかた)方面へ向かってゆきましょう!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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