中央線鉄道唱歌 第2番 靖国神社の横を過ぎてゆき、やがて市ヶ谷駅・四ツ谷駅へ

まずは原文から!

花かぐはしき靖國(やすくに)の
やしろ間近き牛込(うしごめ)の
牛の歩みも遲(おそ)からで
市ヶ谷(いちがや)見附(みつけ)四ツ谷(よつや)驛(えき)

さらに読みやすく!

花かぐわしき靖国(やすくに)の
やしろ間近き牛込(うしごめ)の
牛の歩みも遅(おそ)からで
市ヶ谷(いちがや)見附(みつけ)四ツ谷(よつや)駅(えき)

さあ、歌ってみよう!

♪はなかぐわーしき やすくにのー
♪やーしろまぢかき うしごめのー
♪うーしのあゆみも おそからでー
♪いちがやみつけー よつやえきー

(中央線)
飯田橋駅→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→信濃町駅→新宿駅→大久保駅→中野駅→荻窪駅→吉祥寺駅→武蔵境駅→武蔵小金井駅→国分寺駅→立川駅→日野駅→豊田駅→八王子駅→高尾駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※現代の中央線の起点は東京駅
※飯田橋駅は、当時は飯田町駅と牛込駅に別れていた

市ヶ谷・四ッ谷・新宿方面へ

飯田橋駅(いいだばしえき、東京都千代田区)を出ると、やがて

  • 市ヶ谷駅(いちがやえき、東京都千代田区)
  • 四ッ谷駅(よつやえき、東京都新宿区)

と進んでゆきます。

この間、中央線は靖国神社(やすくにじんじゃ)の北側を走ることになります。

靖国神社

靖国神社(やすくにじんじゃ)は、戦争で亡くなられた方々を弔(とむら)うことを目的とした神社です。

明治時代の「東京招魂社」から始まった、靖国神社

靖国神社は、明治時代の東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)に始まります。
招魂社(しょうこんしゃ)とは、幕末から明治にかけて全国で起きた様々な争いで没した人々の魂を慰める目的で、全国各地に建てられた神社です。

靖国神社の起源となる東京招魂社は、元々、明治時代の前に起きた戊辰戦争(ぼしんせんそう)で亡くなられた人々の霊を弔うために建てられたものでした。

靖国神社参拝問題

そして、太平洋戦争(大東亜戦争)が終わった後、この戦争で亡くなられた方々を靖国神社にて弔(とむら)うことになりました。
靖国神社では、日本のために戦って命を落とした、殉職した人々の魂を「英霊(えいれい)」と表現します。

しかし、ここからが問題です
靖国神社には、いわゆる「A級戦犯」と呼ばれる人物たちを祀っています。
A級戦犯とは、戦後の「東京裁判」において、戦争を引き起こした重大(重罪)人物とされる人々であり、死刑になった人もいます。主に東条英機(とうじょう ひでき)前内閣総理大臣などが該当します。
戦後、日本がGHQの占領下・支配下に置かれたとき、靖国神社の存続が危ぶまれたりもしました。それは、靖国神社で祀られている英霊たちが、たとえ日本にとっては”国のために戦った人々”であっても、外国からすれば”自分たちを脅かした敵”にあたるからです。

そして、中国韓国といった国々は、日本の戦争による「被害者」として、このA級戦犯が祀られている靖国神社と、その靖国神社を参拝する政治家を批判してきました。それはやはり、日本にとっては「英霊」であっても中国や韓国にとっては自分たちの平和を脅かした「」にあたるからですね。
これを「靖国神社参拝問題」といいます。
この辺りの国際問題や歴史問題は、本当に複雑なのです。
私も、できればこの問題にはあまり深入りしたくない・・・。

日本が参拝する目的は、決して「嫌がらせ」が目的ではない

靖国神社を参拝する政治家には、主に自民党など保守系の議員が多いイメージです。
保守系」とは、日本の古き良き文化を大事にしようという考えの一派です。俗に「右派」といったりします。
特に終戦記念日の8月15日に参拝することが多いです。

こうした政治家(および多くの日本国民)による靖国神社参拝は、もちろん中国や韓国といった国々への嫌味(いやみ)や嫌がらせなどが目的ではないわけです。
あくまで、我々日本人の子孫のために命懸けで戦ってくれたご先祖さま、つまり英霊(えいれい)の皆さんに感謝するための参拝であり、決して中国や韓国といった国々を刺激する意図ではないのです。

政治家や、特に総理大臣が靖国神社を参拝するたびに、中国や韓国といった国々から批判をされることは、日本人としてはちょっと悲しいことではあります。

しかし、それも今や一昔前の話。今や日韓関係や日中関係は(一部を除き)改善の方向に向かっており、いわゆる「反日」や「嫌韓」などのムードは、少なくとも5年前~10年前に比べたら落ち着きを見せていると感じています
また、最近は「靖国神社参拝問題」「反日」「ヘイトスピーチ」などのニュースは減ってきているため、より国際的に平和的になってきていると思いたいものです。

※この記事は「靖国問題」というかなりデリケートな話題を扱っております。なるべく「右」にも「左」にも寄らず、中立的な立場観点から書くように配慮致しました。もし問題あればコメント欄で優しくご指摘ください。

皇居外堀の横を過ぎ行く

実は「皇居外堀」であって、「神田川」ではない

中央線のこの辺りの線路は、皇居外堀(こうきょそとぼり)に沿った区域を走ります。窓の右側には、美しい水の景色が続きます。

これは「神田川(かんだがわ)」と勘違いしやすいのですが、あくまで窓の右側に見えている人工的な川は「皇居の外堀」であり、神田川ではありません

神田川とは

神田川(かんだがわ)は、飯田橋駅よりも東側を流れている川です。
つまり西側は「皇居外堀」となり、別物になります。

神田川は、東京都武蔵野市の吉祥寺(きちじょうじ)にある井の頭公園(いのかしらこうえん)に川の源流があり、東へ東へと流れてゆきます。
そして飯田橋駅のところで中央線と合流し、秋葉原の近くで隅田川(すみだがわ)と合流し、末はやがて東京湾へと注ぎます。

つまり神田川は飯田橋駅を境に、北西へ向きを変えて分かれています
(やがて新宿区中野区・杉並区を通り、先述の吉祥寺の「井の頭公園」の源流にたどり着く。)

飯田橋駅から北上した神田川の真上には、「首都高速5号池袋線」が通っています。
首都高速は、川にフタをする感じで、川の真上を、ビルとビルの合間を縫いながら走っていくケースが多いといえます。それだけ、高層ビルが密集する東京都心部には、高速道路を建設するスペースが無いということですね。

南こうせつとかぐや姫

神田川」といえば、「南こうせつとかぐや姫」の、1973年の曲が印象的ですよね。

神田上水とは

神田上水(かんだじょうすい)とは、神田川の水を使って、都心部に水を供給するための仕組みです。

上水(じょうすい)とは、人々の「飲み水」や、洗濯などの生活に使われる水を供給するための、人工的な川のことをいいます。

対義語は「下水(げすい)」です。

しかし、江戸時代までは上水に対して、糞尿を流したりする者も中にはいたのでした。
そのため、それによって飲み水が汚染され都心部にコレラが蔓延し、江戸で何万人もの死者が出ることになりました

しかし、現代では「浄水場」があり、「汚い水」と「綺麗な水」はきちんと分離された上で都心部(一般家庭など)に供給されていくため、このようなことは(基本的には)起こりません。

「市ヶ谷見附」とは?

市ヶ谷見附(いちがやみつけ)は、江戸時代に不審者が江戸城に不法侵入してこないよう、市ヶ谷で見張っていた場所になります。

見附(みつけ)とは、見張り場所という意味です。

かつての市ヶ谷見附の位置にある、市ヶ谷橋。写真の左奥には、防衛省がある。(東京都千代田区)

防衛省が存在する、市ヶ谷

市ヶ谷(いちがや)には、「防衛省(ぼうえいしょう)」があります。
つまり、日本の防衛・自衛隊のトップの組織がここにあるということです。

自衛隊で最も階級が高い(つまり、全国の23万人の自衛官の中で最も偉い)のは、統合幕僚長(とうごうばくりょうちょう)になります。

その統合幕僚長が、市ヶ谷に存在する防衛省のイスにおられるというわけです。

自衛隊の階級は?

自衛隊の階級は、

士→曹→尉→佐→将→幕僚長

の順に偉くなります。
(い)以上の階級を「幹部自衛官」といいます。
神奈川県横須賀市にある「防衛大学校」を出れば、最短で23歳からいきなり「三尉」という、幹部自衛官からのスタートとなります(その代わり、防衛大はとても厳しい)。

多くの自衛官は、最も階級の低い「二士(にし)」から始まり、何十年間か勤務してから「定年までには、せめて曹長か幹部くらいにはなれればいいかなぁ~」といったようなキャリアアップ感です。
これは一般の会社においても、入社時は平社員からはじまり、「定年までには主任か課長くらいになれればいいかなぁ~」といった雰囲気と似ていますね。

ピラミッド型の組織では、そう簡単にはトップになれない

統合幕僚長」は全国に約23万人いる自衛官のトップですから、そう簡単になれるものではないでしょう。
というか大半の自衛官が、幹部である「(い)」まではたどり着けず、「(そう)」の階級で、定年(54歳。最近55歳に引き上げ)を迎えます。

これは一般の会社でも、大半の社員が定年までに「課長」にまではたどり着けず、「係長」や「主任」などの役職で定年を迎える、というのに似ています。

ピラミッド型の組織は、上の階級や役職にいくほどそのイスの数は限られてきますから、このようになるのは、ある意味仕方ありません。

四ッ谷駅に到着

やがて、四ッ谷駅(よつやえき、東京都新宿区)に着きます。
四ッ谷駅は、中央線快速が必ず停車する駅です。

この辺りから、新宿区(しんじゅくく)に入ってゆきます

四ッ谷の由来

四ツ谷」の地名の由来ですが、江戸時代には本当に「四つの家屋しかなかった」ことが由来のようです。江戸時代はこの辺りも本当に何もない田舎だったので、今の東京からは信じられませんよね
しかし、皇居外堀周辺のこの地域の線路沿いには、そこそこ「小さな崖」や「」が残っており、当時この地域が「四つの家屋しかない谷」だった頃の名残があります。

「四谷大木戸」とは?

また四ツ谷には、山梨県方面から甲州街道(こうしゅうかいどう)を通って江戸に入ってこようとする敵を取り締まるための設備である、「四谷大木戸(よつやおおきど)」がありました。

江戸時代は、徳川幕府は山梨県経由で西日本から攻めてくる敵(幕府に反抗する藩や大名)を警戒していたのでした。
そうした不審者を取り締まるためのゲートが、四谷大木戸だったわけですね。

もちろん、東海道経由で江戸に攻めてくる敵についても幕府は警戒していたため、静岡県の大井川(おおいがわ)にはわざと橋をかけていなかったのですね(諸説あり)。

次回は、信濃町へ

次は、信濃町(しなのまち)に止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

コメント