中央線鉄道唱歌 第3番 東宮御所(赤坂御所)を横に過ぎ、信濃町へ かつて練兵場のあった場所

まずは原文から!

東宮(とうぐう)御所(ごしょ)の壯觀(そうかん)を
仰(あお)げばやがて信濃町(しなのまち)
朝露(あさつゆ)清(きよ)き練兵塲(れんぺいじょう)
響(ひび)く喇叭(らっぱ)の音高し

さらに読みやすく!

東宮(とうぐう)御所(ごしょ)の壮観(そうかん)を
仰(あお)げばやがて信濃町(しなのまち)
朝露(あさつゆ)清(きよ)き練兵塲(れんぺいじょう)
響(ひび)く喇叭(らっぱ)の音高し

さあ、歌ってみよう!

♪とうぐうごしょの そうかんをー
♪あおげばやがてー しなのまちー
♪あさつゆきーよき れんぺいじょう
♪ひーびくらっぱの おとたかしー

(中央線)
飯田橋駅→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→信濃町駅→新宿駅→大久保駅→中野駅→荻窪駅→吉祥寺駅→武蔵境駅→武蔵小金井駅→国分寺駅→立川駅→日野駅→豊田駅→八王子駅→高尾駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※現代の中央線の起点は東京駅
※飯田橋駅は、当時は飯田町駅と牛込駅に別れていた

四ツ谷駅(よつやえき、東京駅新宿区)を過ぎると、東宮御所(とうぐうごしょ)つまり現在の赤坂御用地(あかさかごようち)、迎賓館(げいひんかん)を左にして、列車は信濃町駅(しなのまちえき)と進んでゆきます。

東宮御所(とうぐうごしょ)とは、皇太子殿下がお住まいになられる場所です。

殿下(でんか)」とは、皇太子につける敬称です。ちなみに天皇・皇后・上皇に対する敬称は「陛下」、親王・内親王につける敬称は「殿下」となります。

東宮(とうぐう)」とは、皇太子殿下のことをいいます。

東宮御所は、2019年に「赤坂御所」に名称変更しています。
また、現代の皇位継承順位で第1位・第2位の、秋篠宮家(あきしののみやけ)も、この赤坂御所にお住まいになられています。

2023年現在の今上天皇(きんじょうてんのう)である徳仁(なるひと)天皇陛下の次に天皇の地位を受け継ぐのは、皇位継承順位で第1位の秋篠宮文仁(ふみひと)殿下、そして第2位の2023年現在は高校生の悠仁(ひさひと)親王殿下、第3位は上皇陛下(平成時代の天皇陛下)の弟である、2023年時点で88歳の常陸宮正仁(ひたちのみや まさひと)親王殿下となっています。

秋篠宮家(あきしののみやけ)は、近年の話題だと眞子内親王(まこないしんのう)殿下(現・小室眞子さん)と、小室圭(こむろけい)さんの結婚問題で、かなり物議を醸したりもしました。

赤坂御所に隣接する迎賓館(げいひんかん)は、海外のお偉い方々を招くための施設です。それこそ国のトップやVIP(ベリー・インポータント・パーソン、重要人物)を招くため、日本の名に恥じないよう、それは豪華な造りになっています。

やがて、信濃町駅(しなのまちえき、東京都新宿区信濃町)に到着します。

信濃町駅(東京都新宿区信濃町)

信濃町には、かつて練兵場(れんぺいじょう)という、軍隊が訓練をするための場所のがありました。歌詞によれば、信濃町の練兵場ではラッパ(喇叭)の音がかなり響いていたことが伺い知れます。

信濃町は、全国各地に存在する新興宗教である創価学会(そうかがっかい)の本拠地であり、また本部が置かれていることで知られます。

創価学会(そうかがっかい)は、1930年代に興った日本の新興宗教です。戦後に池田大作(いけだ だいさく)という方によって大きく広められ発展し、日本には約280万人の信者(会員)がいるとされています。

創価(そうか)とは、いわば価値を創造することであり、元々は宗教というよりも、どちらかというと学問の研究機関というイメージでした。
それは元々の創始者である牧口常三郎(まきぐち じょうざぶろう)という方が教員をされていたこともあります。

新興宗教(しんこうしゅうきょう)とは、従来の仏教・キリスト教・イスラム教などの約1,500年前から存在していた宗教とは異なる、19世紀以降の(宗教の歴史としては)比較的新しい部類の宗教のことをいいます。
創価学会以外の新興宗教として、天理教(てんりきょう)、幸福の科学、エホバの証人などが挙げられます。

創価学会は1930年11月18日に「創価教育学会」として、牧口常三郎(まきぐち つねさぶろう)と戸田城聖(とだ じょうせい)の二人によって設立されました。なので「11月18日」とは創価学会にとっては特別な意味を持つ日になります。

彼らは鎌倉仏教の「日蓮宗」から派生した「日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)」で読まれている「法華経(ほけきょう)」をバイブルとして、法華経での教えをベースに創価教育学会で教育の研究を行い、かつその教育を広めていくというところから始まりました。

ただ当時は、日本が「満州事変」など、世界とまさに戦争が起ころうかという時代でした。
当時は戦争で国民が一致団結するために、「天皇は神様」であり、また天皇の祖先である神武天皇(じんむてんのう)がとても尊ばれていた時代でした。もちろん当時は「信教の自由」などは無いため、反論は許されません。

しかし日蓮正宗の「法華経」では、「他の宗派は信仰してはならない」という教えとなっていたため、法華経の教えをベースとする創価教育学会のスタイルは、上記の「国家神道」「天皇崇拝」に完全に反していました。
牧口城三郎は、当時「国民全員が天皇陛下のお札(ふだ)を家に飾る」ということを義務化されていた世の中で、伊勢神宮の神札(しんさつ。お札のこと)を祭ることを拒否したため、”治安維持法違反”と”不敬罪(ふけいざい)”で逮捕され、獄中でそのまま亡くなってしまいました。
牧口常三郎は、このように国家の弾圧にも屈せず獄中で亡くなるまで自信の信仰を貫いたため、創価学会では初代会長であると同時に英雄的存在となっています。

なお本家の日蓮正宗は、牧口常三郎とは異なりきちんと天皇陛下のお札を張ったり、伊勢神宮にきちんと参拝したりと、一見したら法華経の教えに反することではありますが上手く政府を敵に回さないように立ち回ったのでした。
この事が、なおのこと牧口常三郎が「熱心に自身の信仰を貫いた」と創価学会において英雄視される要因なのかもしれません。

同じく戸田城聖も刑務所に入れられていたもののその後(終戦直前の)1945年7月に出所し、戦後になって創価教育学会は「創価学会」と改め、戸田城聖の経営手腕の良さもあって創価学会は勢いを増してゆきました。そして池田大作が会長となった1960年代以降には、会員数を次々に(驚異的に)増やしてゆきました。また、現在は自民党と連立与党を組んでおり創価学会が支持母体となっている公明党(こうめいとう)も党勢を拡大してゆきました。
ただ本家の日蓮正宗と考え方が食い違い、創価学会は1991年に日蓮正宗とは決別して(破門され)独自の路線を進んでいます。

創価学会は勢いを拡大するにつれ、この時期に強引な勧誘を行ったことで、世間的な批判を浴びることとなってしまいました。
ちなみに創価学会では、勧誘のことを「折伏(しゃくぶく)」といいます。この折伏とは、これまでの自分を悔い改めさせ、創価学会の教えに転向させるよう”論破”することをいいます。

創価学会のような様々な宗教組織は、いかに知り合いを勧誘して、また教団に大きな寄付(創価学会では「財務」といいます)をもたらした信者がステータス(地位)が上がるという構図になりがちです。
また、そうした人が周囲の会員(信者)からチヤホヤされて持て囃(はや)されるため、それに気分を良くした人がさらに強引な勧誘(折伏)に走る、また教団に寄付をどんどん行うといった構造にもなりがちです。
そのため、中には行き過ぎたやり方で勧誘するといった人も多くなるでしょう。

こうした「強引で行き過ぎた勧誘」や、「どんどん学会にお布施をつぎ込む」といったイメージから、いわゆる「創価学会はヤバい」みたいなイメージがついてしまっている感はあります。

しかし「創価学会はヤバい」みたいなイメージを漠然と持っていると、本人の意図せぬところであらぬ誤解や偏見、差別を生みかねません。

たとえば、親が学会員(信者)の場合、子どもも自動的かつ必然的に創価学会員になる仕組みとなっているので、結婚などで学会員であることが判明すると相手の親から反対される、といった事態が起きています。
また、修学旅行で京都などに行き、自分だけが神社の鳥居をくぐれず、そこから創価学会員であることがバレてイジメに遭う、といった事も起こっています。

いついかなるときも、差別や偏見もいうものは「相手のこをよく理解していない」ことから発生します。
確かに中には「強引な勧誘を行う」「無理やり押しかけてくる」「こちらの宗派を否定してきた上で改宗を強要される」などそういった事をしてくる人もいるでしょう。
しかしそれは一部の人達が強引な勧誘や不当な商売などを行っているだけであり、またそういう人たちがたまたま大々的に報道されネットで拡散されて目立っているから、「ヤバい」というイメージが着いている感もあります。
万一、そういった人達が悪い事をしてきたら、「創価学会員全体」「宗教全体」を一括り(ひとくくり)にするのではなく、その違反行為をやっている”特定個人だけ”を日本の法律(例えば憲法20条違反の「信教の自由の侵害」や、刑法223条違反の「強要罪」、刑法130条違反の「住居侵入罪」「不退去罪」など)に則(のっと)って裁くようにすることが大切です。
また、最近では以前のような強引な勧誘は減ってきているともいいます。

むしろ大半の創価学会員の方々は、
「本当に日本や世界を良くする目的で、日々活動をされている」
ものと確信しております。

ちなみ私(筆者)は無宗教であり、創価学会を支持・批判どちらもしない立場であることを付け加えておきます。

こうした誤解されやすい新興宗教を少しでも中立的な観点から勉強するには、やはり「大人の教養TV」というYouTubeチャンネルのドントテルミー荒井さんの解説がわかりやすくてオススメです。
ぜひ「大人の教養TV 創価学会」で検索してみてください。
私よりも遙かにうまく(詳しく)解説されております(^^;)

信濃町駅を過ぎると、千駄ヶ谷駅(せんだがやえき、東京都新宿区)に向かって進んでゆきます。

列車の窓の左側には、2020年の「東京オリンピック」で使われた「新国立競技場」が登場します。
新国立競技場は隈研吾(くま けんご)さんの設計であり、2020年に開業した「高輪ゲートウェイ駅」と同じ設計者です。

国立競技場からさらに南へ行くと、アイドルグループ「乃木坂46」の名前の由来として有名な坂道である「乃木坂(のぎざか)」があります。
また乃木坂には、「ジャニーズ事務所」もあります。

乃木坂(のぎざか)」は、乃木希典(のぎ まれすけ)という1904年の日露戦争において活躍した指揮官に由来します。
乃木希典は、日露戦争の旅順(りょじゅん)攻略のときの指揮官です。

日露戦争において日本はロシアと戦ったわけですが、中国の「旅順(りょじゅん)」という拠点を巡って争っていました。
そしてこの旅順一帯が見渡せる「203高地」を巡って日本軍はかなり苦戦します。203高地は、標高203メートルの小高い山だからこのような名前となりました。
この203高地や旅順要塞はとても屈強でしたが、乃木希典の指揮により、多大な犠牲者を出しながらもなんとか陥落させることに成功します。

1912年になり明治天皇が崩御(ほうぎょ。亡くなること)されると、なんと乃木希典は後を追うように自刃(じしん)して亡くなってしまいます。よほど明治天皇に対する忠誠心が強かったのでしょう。
この時代はいかに天皇に対する忠誠心があるかが重要でしたから、先ほどの日露戦争の旅順(りょじゅん)での功績に加えて乃木希典が神格化(つまり、神様と崇められること)されたのはわかる気がします。
なので現在の乃木坂には、乃木希典を神様として祀(まつ)る「乃木神社(のぎじんじゃ)」があります。
乃木神社には、乃木坂46のメンバーも参拝されることで知られます。
また、「乃木神社」は全国各地にもあります。

やがて予備校「代々木ゼミナール」の本拠地である代々木駅(よよぎえき、東京都渋谷区代々木)を過ぎ、山手線とも合流し、新宿駅に着きます。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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